インターナショナルスクール教師 伊藤アンドレさん インタビュー|特集「憧れ・出会い・交流 ニッカナインティー」

日系二世としてカナダと日本で体感した葛藤と自分を受け入れる気持ちとは・・・

「Habitat for Humanity」というボランティア活動に参加する伊藤さん


 バンクーバーで日系二世として生まれ、現在は日本のインターナショナルスクールで教師として活躍されている伊藤アンドレさん。日系二世として日本とカナダの中間に立つ彼が、これまで両国で味わってきた葛藤やその時の心境について伺った。

「みんなとは違う」と感じた幼少期

ー日系カナダ人としてカナダで生まれ育った伊藤さんですが、来日されたきっかけを教えてください。

 私は生まれも育ちもバンクーバーですが、親戚に会いに行くために日本へは幼い頃から頻繁に訪れていました。その影響もあり、いつかは日本で暮らしたいと思っていました。初めて日本で仕事をしたのは大学生の時です。英会話の先生として働いていたのですが、その時に教えることと日本で暮らすことの両方に心を惹かれました。その後、バンクーバーへ戻り教員免許を取得したのですが、卒業式にも出席せず、すぐに日本に戻りました。それくらい日本が好きになりました。

ー幼い頃から日本と強い繋がりを持っていたのですね。カナダに住む日系カナダ人として苦労されたことはありますか?

 私が白人のカナダ人とは違うということを意識し始めたのは小学生の頃でした。小学校には、私以外にアジア系の生徒は三人しかいなくて、他は全員白人でした。幼い頃は何とも思わなかったのですが、小学校高学年になった頃、クラスで好きな子が出来ました。その女の子も白人だったのですが、私から見るとアジア人の私よりも白人の男の子と距離が近かったような気がしたのです。その頃から「私は皆とは違うのかな」と思うようになりました。

 大きくなるにつれ、日本人である自分が恥ずかしいと思っていた時期もありました。両親と日本語で話しているのを人に見られて「あの人達はなぜカナダにいて英語が話せないのか」と思われるのが恥ずかしかったのです。それもまた、カナダ人として見られたい自分がいたからだと思います。

 実はそれと似た気持ちは今も少しだけあります。日本にいると、日本人に見えるにも関わらず、カナダ人であり英語も話せるということは特殊なパワーのようなもので、自信にも繋がっています。ですが、カナダにいると自分にそこまで自信がないのです。ひょっとしたらまだ現地の人と自分を同等に見られていないのかもしれません。

日本人の顔を持つからこそ味わった葛藤

ー来日してからの苦労もあったそうですね。

 皮肉にも、私が日本人の顔をしていたことにより大変だったことがいくつかありました。日本語は話せましたが、それでも来日当時は日常会話程度。読み書きはあまり出来ませんでした。特に印象に残っているのは定期券を購入しようとした時です。そもそも申込書に書いてあった質問がわからなかったり、答えのほとんどをひらがなやカタカナでしか書けなかったり。日本人の顔をしているのに、こんなことで戸惑っている自分が恥ずかしかったです。

 当時は自分自身にプレッシャーをかけていたのだと思います。日本人ではないのに日本人になろうとしていました。周りの人も私が日系二世だとわかっていたらそこまでプレッシャーにはならなかったのでしょう。ですが顔を見ただけでは分かりません。ですので、会話をする度に「日本語が下手だと思われているのだろうな」と思うことはありました。

ーそのような困難を乗り越えてまで日本に暮らしたいと思う、日本の魅力とは何ですか?

 やはり人だと思います。私は小さい頃から家の中で日本の文化に触れ、家庭内でも日本の常識を学んだり日本語で話すなど、とても日本的な環境の中で育ちました。近くに暮らしていた他の日本人家族とお正月もお祝いしていました。日本に来た際にも、お年寄りの人に対しての思いやりや、街の治安の良さなど、共感するところがいくつもありました。日本にいることが心地よいと感じるようになり、ここだったら暮らせるな、と思ったのです。

 もし今、「あなたの故郷はどこですか」と聞かれたら、日本と答えると思います。もうすぐ日本に来て20年になりますが、おそらくこれからずっと日本で暮らしていくと思います。もちろん、生まれも育ちもカナダなので、考え方や物事の見方は少し違いますが、それでも日本は居心地が良いです。カナダにはまだ家族がいるので、毎年夏に訪れています。バンクーバーは夏が一番いい季節なので、日本とカナダのいいとこ取りですね。

ー現在はインターナショナルスクールの教師として働かれていますが、教えるということは常にやりたいことだったのですか?

 大学では工学部にいたのですが、在学中に日本で1年間就業体験をするというプログラムがありました。とても魅力的だったので応募してそのうちの一人に選ばれました。しかし、その年はバブルが弾けた直後で日本が不景気だったため、そのプログラムが打ち切りになってしまったのです。とても残念でやりきれない思いでした。それでもまだ日本に行きたいという気持ちが強かったので大学を一年休学し、当時需要が高かった英会話教室の講師として日本に来ました。私のやりたいことが工学系から教えるということに変化したのはその頃だったと思います。

 教えることについて魅力を感じたというよりも、工学部での就業体験をした際にとにかく時間が早く過ぎて欲しいと思ったのを覚えています。ずっと時計を見続けていて、早く終わらないかな、と思っている自分がいました。一方で教えている時は時間がすぐ過ぎていきました。人と接することが元から好きで、教えるということを楽しんでいたという証拠かもしれないですね。

ー日本の高校でも教えていた経験があるそうですね。

 はい、そこでも苦労はしました。私には日本語の名前と英語の名前、両方あるのですが、日本人ではないことを示すためにも英語の名前、アンドレを使わせてもらいました。ですので、先生、親御さん、生徒にも私は日本人ではないことはわかっていたはずなのですが、保護者会や手紙を書く際には、いつも緊張している自分がいました。皆さんにとっては「カナダ人なのに日本語が上手」と思われていたはずなのですが、私はいつも悲観的に、「私の日本語は下手だと思われている」と考えてしまい、ストレスにもなりました。

 そんな時に私の妻は、「もう少し外国人として振る舞っていいんじゃない?それが本当の伊藤アンドレだし、学校もあなたのような経験を持つ外からの影響を望んでいるのだと思う」と言ってくれました。それは本当に心の支えになりましたね。

ー様々な経験をされここまで来た伊藤さんですが、教師として常に心がけていることはありますか?

 現在は数学を教えているのですが、私にとって数学は「考えること」が最も重要なことです。問題があり、それに対する解を探す。それはどこにでも通用する力だと思っています。社会に出たって、数学の問題を出されることはありません。数学の授業で私は生徒にいつも言っています、「こんなこと、将来使うことはない」と。因数分解や微分積分は社会に出てやることはまずありません。しかし、数学の根底にあるのは「この問題を解決してください。」ということです。今まで培ってきた知識を使い、時には工夫を凝らして、問題の解き方を探すことが一番重要なのです。

 数学の他に、現在「Habitat for Humanity」という活動にも参加しています。学校の生徒を連れてボランティア活動を行うのですが、これを通して私の教師としての役目を果たしているような気がします。恵まれない国を訪れ、自分たちが当たり前だと思っていたことが実は当たり前ではないことに気づく。毎日多くの人が彼らを支えていて、それに対するありがたみや感謝の気持ちを示すきっかけになればと思っています。

 もうこの活動を始めて四年が経ちますが、生徒たちをつれて行くたびに彼らの心境や行動にまで変化が起きるのです。それは教室で出来ることの全てに勝ると思います。ですので、これからもさらに多くの生徒を連れて行きたいですね。