カナダでゲーム屋三昧 #19

非常識な常識学

人々の「選択」は常識に支配されている

戦後70周年、安保法案で再び戦時を振り返るニュースに溢れています。もう今の若者世代には2代前・3代前の話です。それでも、「戦争時の日本」というのは映像やニュースで毎年のように「間接的に」体験し、当時の記録や当時の日本の行いを振り返ることができます。「集合的記憶」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?人は必ずしも体験をしていないことでも、国・民族・性別・家族など「自分が属する集団」から伝承されて、あたかも自分自身の記憶のように内在化しているものなのです。それは単に「あの戦争は良かった/悪かった」という意見から、実は「乗馬やクリケットなどは紳士のたしなみ」といった個人的趣味に至るまで、自分で選択しているようで実は集団によって選択「させられている」話は、いくらでもあるのです。

実は、私、10年さかのぼれば「集合的記憶の研究者」をしておりました。いわゆるNHKなどがやっている世論調査などをもとに「常識と思われる考え方がいかに自分の選択ではなく、自分のまわりによって影響を受けているか」を研究していました。例えば大学時代はナチスドイツの研究で、ナチスそのものというより、「ナチスをどのように『集合的解釈』しているか」を、戦後西ドイツ人の世論調査から追っていました。意外にも戦後賠償で経済的に困窮していた戦後ドイツでは「ナチス時代のほうが良かった」という意見が多く、その後も70年代に若者世代が右翼化していきます。ヒトラーは偉大だったんだ、という今ではほとんど聞かれない意見も、当時は割と多数を占めていたのです。

このトレンドを覆したのは、ナチス裁判や政治的な会見などではなく、『ホロコースト』というアウシュヴィッツを描いた1本の映画でした。77年に流行したこの映画を境に、ホロコースト系の映画や記事はどんどんと量産され、急激に反ヒトラー的な意見が「常識化」していきます。現在のドイツにとってナチスの過去はトラウマになっていますが、実は、それも戦後30年以上たって、徐々にホロコーストの事実が暴かれて、初めてそうした「常識」になったのです。※中山淳雄 “世論からみる『過去の克服』”(『季刊戦争責任研究』2005年春季号)

その後、大学院では全然違うテーマなのですが、「『ボランティア』の流行が、人々の親社会化していく行動的変化ではなく、『ボランティア』という言葉のマーケティングによって人々がポジティブにとらえるようになったに過ぎない志向的変化に過ぎない」ということを研究していました。1993年と2000年にボランティア経験者が急に増えているのは、ボランティアの「カテゴリー」が変えられたからです。従来の福祉や奉仕といった活動ではなく、国際活動とか公民館の子供向け文化活動も、「1種のボランティアである」と包括されたことで、参加者の水増し現象が起こります。

ただ、ここで面白い発見は、実際に参加したかどうかではなく、「参加『したい』かどうか」という気持ちの変化です。これは、カテゴリーを問わず、80年代後半から急激に上がっています。実際に行動としてやるかどうかは別として、「ボランティア」という言葉のカテゴリーと印象が変えられることで、「やりたい人」は急増するのです。実際にやるかどうかは別として…。※中山淳雄 『ボランティア社会の誕生~欺瞞を感じるからくり~』2007三重大学出版会

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「遊び」の集合的記憶が、現在の市場を生み出している

さて、それでは本題です。ナチスドイツもボランティアも、その事実そのものではなく、「事実をどう解釈して、伝えるか」によって、人々のそれに対する印象はガラリと変わります。そして1度方向づけられると、そのトレンドは10年・20年といった単位のなかで国民や民族のなかに集合的記憶として根付き、覆しがたい「常識」となって我々の行動を規定します。

これは実は「遊び」にも十分つながる話なのです。なぜストラテジーゲーム(ミリタリー)のメッカがドイツとロシアなのか。なぜアメリカではシューティングゲームが流行り、日本では全くメジャーにならないのか。10代そこそこの戦争を経験したことのない若者でも、祖父が屋根裏部屋に隠し持っている銃の整備している姿を見ていたり、たまに新聞で銃撃戦がピックアップされているのを見れば、射撃シューティングは、かけ離れた現実ではないのです。反省するためのものとは言いながら、軍国時代の記念館を通して自国が過去おこなった過ちを何度も聞かされていれば、ミリタリーゲームに興味が湧いたっておかしくはありません。

今のゲーム市場は、アメリカ・日本・中国が世界三大市場として台頭している状況ですが、それぞれの国の軌跡をたどると、確かにそうした「遊び」に消費が促進される文化的背景があります。また後々語っていきたいですが、日本は江戸時代にすでに大都市が生まれ、雨で仕事ができない職人達が賭博やスポーツなど「遊び」にお金をかける習慣が一般化していきました。江戸・明治・大正・昭和と時代を追っていく中で、日本では長い時間をかけて「遊戯文化」といえる慣習が一般層へと深化していく過程があったのです。

和歌も茶道も傾奇者も、歌舞伎も浄瑠璃も紙芝居も、出版も映画も音楽も、TVも漫画もアニメも、そしてゲームも、数百年以上もの歴史のなかで「遊びを好む」という習慣そのものが連綿と続いた結果として、他の国にはない特別な文化的状況が生まれるのです。それは生まれながらにゲームをし続ける我々世代のなかにも、「集合的記憶」として息づいているのです。

なぜ日本人はRPGやカードバトルが好きなのか。なぜ選択肢の少ないストーリー型の小説的RPGを延々と楽しめるのか。なぜPvPバトルが苦手で友人との協調的なバトルばかり繰り返すのか。なぜ1st Person Shooting(自分自身の視界でのシューティング)ではなく3rd Person Shooting(自分とは別のキャラの視界でのシューティング)が流行るのか。なぜゾンビやミリタリーは受け付けないのか。ゲームの世界には「日本にしかない特徴」がいっぱいあります。これは我々の価値観に深く染みついた集団的な経験の現れの面白い1例です。この特徴から、我々の歴史を振り返ることができます。

私個人としては、こうした「常識の裏側に潜むもの」を暴く快感に酔いしれた学生時代でした。それは実は仕事をはじめても変わっていません。願わくば、日本だからこそ現状がありえているという遊戯史の因果関係を、いまのゲーム会社経営という経験をもとに、いつか解き明かしていきたいな、と思ってます。


nakamura-atsuo中山 淳雄
Bandai Namco Studiosのバンクーバー法人にて、欧米向けモバイルゲームの開発スタジオ責任者。2004年東京大学西洋史学士、2006年東京大学社会学修士、2014年Mcgill大学MBA修了。(株)リクルートスタッフィング、(株)ディー・エヌ・エー、デロイトトーマツコンサルティング(株)を経て現在 に至る。著書に”The Third Wave of Japanese Games”(PHP, 2015)、『ヒットの法則が変わった いいモノを作っても、なぜ売れない? 』(PHP、2013)、『ソーシャルゲームだけがなぜ儲かるのか』(PHP、2012)、他寄稿論文・講演なども行っている。