美容業界に長年携わるおるたりのストーリー。
総合的な“美”のスタイルを、自ら学び、多くの人へと伝えていく。
Japan Beauty Images Inc.オーナー
ヘイズ ふさえさん
33年前、母親の知り合いの渡加をきっかけに、自らも渡加を決意したふさえさん。カナダに来てしばらくは、日本で働いていたころと同じ、美容業界とはまったく違った、会計関連の仕事をしていた。だが、あるとき、日本食料品店大手・平成マートでのコスメティック担当のアルバイトを紹介され、休日にコスメティックの仕事を始める。そして、そのアルバイトを通し「結構私、この仕事好きなのかもしれない」という思いを抱くようになり、しばらくして会計関連の仕事を辞めて、コスメティックの仕事の日数をだんだんと増やしていくこととなる。
「そのアルバイトを始める以前に、実はアメリカのスタイリングの方たちがカナダで開いていたセミナーや資生堂さんのセミナーに参加して、(皮膚や髪の色に合わせてカラーを提案する)ドレーピングやフェイシャル、メイクアップの方法を習っていたのです。とくにドレーピングでは証書が貰えるくらいのコースをとっていたくらいでしたので、もともと美容関連の仕事に興味があったのだと思います。」
その頃はまだJ-Townはなく、ミシサガの店舗まで、自宅から車で一時間の道のりを通っていたという。そして数年後、平成マートが、トロントの、今のJ-Town内の場所に移るという話が持ち上がり、それを機にJapan Beauty Images Inc.を開店し、独立。資生堂カナダ初の、そして唯一の日本人デストリビューターとして、一から店をつくっていくこととなった。最初は普通の主婦であった自分が独立するということに、興味がありながらも、なかなか踏切がつかなかったそうだが、その店舗移動の一件が彼女の背中を力強く押した。
「以前から取引のあった会社の方たちとのコネクションはありましたが、新規開拓もしなければなりませんでした。ですが、そんな私のもとに、多くの企業の方が’うちの商品を置いてくれないか’とコンタクトしてきてくださったのです。とてもラッキーでしたね。」
店頭には、お客さんのニーズにこたえたものの他、’自分がつかえるもの’を基準に、商品を置いているという。これは、彼女の実体験から生まれた考え方だ。
「私自身、以前はなかったアレルギーがでてきてしまい、その克服には何が良いのかと、体のことについていろいろなことを調べ始めました。本などで危険だといわれている物質が入っていても、大半の人が“みんなはいっているじゃない”と、あまり気に止めません。私も以前は“本当に危険なものだったら政府が禁止するでしょう”などと、他力本願な部分がありましたが、調べていくうちに、’スタイルの美という外側だけでなく、中側も勉強していかなければならない’と思うようになりました。」
美容は、色をつければよいというものではなく、中から美しさがあらわれるもの。中からきれいにしていくためにはどうしていったらいいのかを、スキンケアだけでなく、体内環境から考えていくことが大切であり、そのための知識を、彼女は熱心に勉強し、カウンセリングを通して多くのお客さんに伝えている。こういった彼女のひたむきな姿勢に、店には日本人だけでなく、多くのアジア人が彼女のカウンセリングを受けにくる。
「アジア人の方は、お肌の質自体に日本人と比べてのかわりはありませんが、間違った商品の使い方をしている人が多いのです。日本だと、CMなどで自然と勉強できますが、他の国ではそういったことはほとんどありません。一から説明し、デモンストレーションを行うと、本当に驚かれます。他のお店ではできないくらいのカウンセリングには、自信を持っています。」
開店から10年目を迎え、店はさらに土曜日にネイル、不定期でボディマッサージ行っており、近日中にもメイクアップセミナーを行う予定と、総合的な美容・健康を提供していくために進化をつづけている。彼女の総合的“美”に対する熱い思いは、とどまることを知らず、今日も訪れる人々に“美”を提供しつづける。
彼女の美容部員としての長年の経験は、次の新たな“美”を創造していく糧となる
資生堂カナダ
Regional Trainer(特定地域担当トレーナー)
西田 智津子さん
高校3年生の頃、薬剤師になろうと進学を考えていた智津子さんだったが、たまたま見かけた美容部員募集の求人に’かっこいいな’と、軽い気持ちで応募したところ、見事合格。親に反対されるも、自分の中にあった‘私には美容部員がすごくあっているような気がする’という思いを信じ、美容部員としての人生を歩み出した。
大阪で一カ月に渡る厳しい研修を終え、某百貨店で3年間勤務し、結婚。仕事を辞めて、44年前にトロントへ移ると、彼女は日本で働いていた某会社のヘッドオフィスに出向いた。
「その会社の美容部員のトップに、仕事がしたいと英語半分に直談判しに行きました。今思うと、よくそんなことをしたものだと自分でも思います(笑)。すると、彼女から’大阪でのトレーニングは厳しいということを聞いている。そこを卒業してきたあなたは優秀に違いない。けれどもう少し英語を勉強してくれるかしら?’と言われました (笑)」
そして、トップの計らいで、デパートのイートンで新米として働くこととなる。働き始めて二年目を迎えたころ、長男を出産。これを機に仕事を辞めるつもりであった彼女のもとに、一本の電話がかかってきた。資生堂という日本の会社が、新たにカナダに参入、同デパートに入るので、そこで働かないかという話であった。
彼女はこれを承諾。長男が6カ月になったころ、仕事に復帰。こうしてカナダで最初の資生堂美容部員が誕生した。
「最初は私一人ですべての業務を行っていました。当時は資生堂カナダという会社はまだ存在していませんでしたから、誰もトレーニングをしてくれません。そこで資生堂を知っている、日本人の自分が選ばれたのだと、今になって思いますね。」
そしてそれから41年経った今、彼女は美容部員、フリーランスメイクアップアーティスト、カウンターマネージャー、カウント・エグゼクティブを経験し、6年半前からは特定地域担当トレーナーとして、美容部員のトレーニングも行っている。彼女にとって、この美容部員へのトレーニングは、かねてからやりたかったことだったという。トレーナーと美容部員の関係というと、“上司と部下”という、ドライな関係を想像するが、彼女が店頭に顔を出すと、こぞって美容部員たちは嬉しそうな様子で、彼女のもとへ集まり、冗談交じりの楽しげな会話を繰り広げるのだ。
「美容部員さんを教育することはとても大切なことですが、人に意欲を出させるということは、実に大変なことです。私はこれまでに、ほぼすべての役職を経験してきましたから、美容部員たちの心情もわかる部分が多いです。そういった経験を活かして、美容部員の人たちに来て喜ばれるようなトレーナーになることができていることに感謝していますし、そういう存在であり続けたいと思っています。」
彼女はこれまでの41年間、カナダ参入の時代から現在という資生堂の歴史をともに歩んできた。彼女なしに、資生堂のカナダでの活動を語ることはできないだろう。
「この41年間は、私にとって、昔のことを昨日のことのように思いだせるくらいあっというまで、本当に楽しい時間でした。商品や会社の方針、さまざまなところで資生堂という会社をすごいと思っているからこそ、ここまで仕事に情熱を持ち、続けてくることができたのだと思いますし、自信を持ってお客さんにすすめることのできる商品をつくっている会社に感謝しています。日本から離れたカナダで資生堂に出会ったこと…、私は運命だと感じています。年齢を重ねても仕事をして、楽しく暮らすことができている今、この仕事をやってよかったと心から思っています。」