カナダでゲーム屋三昧 #17

私は大学時代にYMCAというキリスト教もしくはキリスト教たらんとする者が集う寮に入っておりました。大学から徒歩4分、食事付きという好条件ではありましたが、毎朝7時からの聖書の購読と礼拝があり、なかなか今日びの大学生向けにはずいぶんと厳格なルールがある寮でした。私自身は家族も含めてキリスト教と無縁の世界にあり、宗教に対する興味本位で入寮し、たっぷりと聖書づけの2年間を過ごしました。信仰心のなかった自分が聖書を読み出すにはずいぶんと高いハードルがありました。それでも続いたのは、この25名が毎日昼夜を問わず祈ったり聖書を読んだりする姿があったからであって、実のところキリスト教そのものよりは25名の重力によって動いていたからに他なりません。

キリスト教のみならず、宗教とはそもそも時代遅れなのか?という疑問をずっと持ってきました。なぜなら19世紀に我々が猿からの進化であることが判明した時点で、「人がどうやって生まれてきたのか」という人類が数十世紀にわたって追求してきた物語の起源に、人はたどり着いてしまったから。アダムとイブも、ノアの箱舟も、人の起源を説明するものとしては不足がある。ところが、そうではなかった。現代のアメリカでも、実は半分以上の人が進化論を信じない統計も出ていたり、信仰心と科学とのせめぎ合いのなかで、信仰はいまだ強く残っています。単純な人間の起源だけの話ではないのでしょう。そういった物語とは無関係に、米国では、今も多くの人が教会に通い、信仰というプラクティスを日常に組み込んでいます。

なぜ現代においても、宗教は人を魅了し続けるのでしょうか。キリスト教はイエスの時代から、弟子の時代を経て、「宗教」としての立場を確立するまでに長い時間を要しました。イエスの死の前後、キリスト教徒の数は千人程度でした。ところが、紀元後100年目で8千人、200年で22万人、300年で630万人、350年に3400万人と増えていきます(下図参照)。

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つまり、キリスト教は、イエスの死後、数百年たって初めて栄えた宗教なのです。これは人の口頭伝承の限界も伝えており、旧約聖書が書かれた0〜100年、新約聖書が書かれた100〜200年という時代にいかに文字によって人に伝播し、かつ313年にローマ帝国の「国教」となったことがいかに影響が大きかったかを伝えています。いずれにせよ、このあと紆余曲折を経ながら、現代の22億人に至るまで、成長し続けています。日本は特別無宗教ですが、全世界的にみれば宗教の力は決して衰えてはいないのです。

この動画(Sasquatch music festival 2009 – Guy starts dance party)を見たことはありますでしょうか?コミュニティの科学でよく持ち出されるものです。1人が30秒くらいひたすら踊っていると2人目が現れ、20秒後に3人目、そのまた20秒後に4、5人、このあたりから急激に10人、20人単位になると、逆に、皆我先にと参加するようになり、踊り始めて2分たったころには100人近くの集団に発展します。もはや最初に踊っていたのは誰かなんて気にしません。その集団圧力そのものが効力をもって、人を惹きつけはじめるのです。本当に壮絶な動画です。

以前、私はテイルズのファンフェスティバルに参加したことがあります(仕事ですよ!)。不届き千万で言いますが、キリスト教の信仰に導かれる集団と、テイルズファンの「信仰」、実は僕には同じものに見えました。フェスタではキャラごとの声優が出てきて、キャラ同士の掛け合いをしたり、寸劇をします。映像は映し出されるものの、皆が見ているのは30代や40代のベテラン声優です。キャラの服を着ている声優もいれば、普段着の声優もいます。それなのに1万人のファンが会場に集い、その動向をまんじりともせず、見つめているのです。

その、1万人全員が、同じタイミングで同じ反応をするのです。キャラの名前を叫んだり、声優のちょっとしたジョークに笑い声をあげ、声援を送ります。僕自身はどのキャラかも分からず、ただひたすら1万人の合唱や胎動に圧倒され続けていましたが、とにかく、とても感動しました。なんて美しいのだろうと思いました。今まで生きてきて、一度に見た人の数は多くても2千人といったところ。「1万人の同じ動き」はテイルズのゲームをプレイしたこともなければキャラもわからない自分をしてもなお、乗ってしまう気持ちにさせるような麻薬のような作用をもっていました。涙が出そうになりました。

今、自分で「組織」を作る段階になって、よくあの寮の時代やテイルズフェスタのことを思い起こします。人は1人と力で信仰を保つことが難しいように、組織も1人の力によってなしえることなどミジンコみたいなものなのです。実は組織の力を決定づけるのは踊っている1人目ではなく、参加する2人目・3人目だったりします。この「数人の引力」がないと10人を引き寄せることはできず、「10人の引力」がないと100人を引き寄せることはできません。転がり膨らむ雪玉のように、「動いている」という事実そのものが人を引き寄せるのです。それが1万人になったとき、その組織の威力は想像もできないものになります。ただ大規模になればなるほど人の気持ちも離れ、一人一人が別の目的のもとに別の価値観をもって動き、そうした人をつなぎとめる別の工夫が無数に必要になります。フェスタのように全員が一つの場所に集えるわけでもないですから。ただその工夫の先に、国家だったり宗教だったりが存在するのだろうなと思います。地理的・言語的・文化的に異なる状態で人をつなぎとめる難しさに苦悩することが最近は増えてきました。だからこそ1000人を超える組織ができる過程であったり、1万人をこえる1つの会社が強い文化を保っていることに、ただひたすら尊敬の念を感じます。

1万人の集団訴求力

1万人の集団訴求力


nakamura-atsuo中山 淳雄
Bandai Namco Studiosのバンクーバー法人にて、欧米向けモバイルゲームの開発スタジオ責任者。2004年東京大学西洋史学士、2006年東京大学社会学修士、2014年Mcgill大学MBA修了。(株)リクルートスタッフィング、(株)ディー・エヌ・エー、デロイトトーマツコンサルティング(株)を経て現在 に至る。著書に“The Third Wave of Japanese Games”(PHP, 2015)、『ヒットの法則が変わった いいモノを作っても、なぜ売れない? 』(PHP、2013)、『ソーシャルゲームだけがなぜ儲かるのか』(PHP、2012)、他寄稿論文・講演なども行っている。

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