世界でゲーム屋三昧 #26

和製グローバル化の難しさ

現場と意思決定の距離
ここ3年の間、日本企業のソフトウェア(ゲーム)開発のグローバル化に関わってきました。出来たものの輸出ではなく、現地生産というという点で、市場理解と同時に各文化にあわせた現場マネジメントも掛け合わされ、二重三重の苦労がありました。その間ずっと考えていたのは「和製グローバル化」という言葉です。米国系も欧州系も、中国・韓国系であっても、アウェーの市場で成功を導くグローバル化の形は、同じ形ではありえません。もともとの形がそもそも結構違うものですので。その中でも特に他文化との距離が遠い日本人として、日本企業として、その体質にあうグローバル化ってどういうことなのだろうか?というのは、常に問題の一番の焦点でした。
一言にグローバル化といっても、範囲が広く、どこから手をつけてよいのやらという状態です。日本/現地で何を裁量として任せるか、定期的にどのように何をコミュニケーションして意思決定するか、現地でどんな人材を採用・育成して誰がマネジメントするのか。一番肝のどんなゲームをどんな風につくるのかという開発部分だけでも苦労していますが、その周辺部分の組織・ガバナンス・HR・ファイナンスといった部分まで及ぶと手は足りなくなり、ボロボロこぼしながらなんとか四苦八苦日本からもってきたものをつくり変える、みたいな作業を繰り返してました。とりあえず作り、ヒアリングして、改善して、延々サイクルをまわしながら、日進月歩で最終的なあり方にちょっとずつ近づく感覚はありました。
それでも、こうして苦労して作りこんだ形も自分一人で完成するものではなく、結局は「人の部分」でいくらでもひっくり返ります。特に集団の合意で物事が進みがちな日本企業においては、自分が最前線で掴んだ情報も、日本に逆輸入すると濃度が薄すぎて、なかなか受け入れられません。何より現場で浴びた大量かつ整理されていない情報で「なんとなくこっちが正解だよな」という仮説だけ掴んでいても、説得力をもって関係者全員に同じ濃度で理解してもらうことは至難の技。結局、民主的に決まったやり方で、現場で軋轢を感じながら、なんとか導入しないといけない、なんてことも往々にして起こりがちです。

危機が起こればおのずと変わる
では現地に送りこまれるマネジャーとして、組織のあり方を変えるにはどうすればよいか。せっかく外の世界で相対化・客観化を磨かれた目線を、どうやって社内の知として還元できるのか。色々と歴史をひっくり返して読んでいても、最終的には「圧倒的な個」が変えているんだな、ということを感じます。
例えば幕末の薩英戦争。薩摩藩がイギリスに人を派遣する話なんて、現代に置き換えると恐ろしいものがあります。1963年に薩摩は一国で71万人、そのうち戦闘ができる武士階級は2万人弱。日本全体の2%といったところでしょうか。当時は日本全体でも3000万人の人口で、人口こそ同じ規模だが経済規模は3倍以上(植民地を入れれば10倍以上)のイギリスに、この日本×0.02の藩が戦争を吹っ掛けるのです。1963年にそれが起こり、当然のごとく惨敗。でも凄いのは、その後2年たたずの65年に、薩摩藩で15名の若者を派遣しているのです。
無謀、の一言です。当時は鎖国中で渡航は禁止、ばれたら幕府から死罪となる状況。それを藩命として13歳から32歳の若い人材に重責を負わせ、賠償金でボロボロの状態ながら現在の貨幣価値で1人2700万円ほどもかけて渡航させるわけです。本人たちも命がけ、70万人の藩を背負うような大命ですし、実際に当時派遣された若者が、その後の討幕と明治政府の重職を占めていくようになります。
危機があれば、意思決定プロセスなど容易に覆ります。革命的な状況ですから。でも「ぼんやりとした危機」である現代日本において、我々は変えることに必死にならなければならないでしょう。人口1.2億人のうち、日本以外で暮らしているのは1%の130万人。永住者を除くと80万人強が仕事・留学で海外にいる日本人になります。この総数では、とても組織的合意を覆すほどにはなりません。

「意味」を与えてくれる学問の価値
人を送って育てて、組織の情報資源とする。そこまではやれても、最終的には「意思決定プロセスそのものを変えなければ、うまくまわらない」という局面に至ります。ここが一番困難なことだなと感じます。意思決定プロセス、すなわち誰がどんな基準をもとに組織を決めるか。それは企業の文化そのものであり、自分たちのアイデンティティでもあります。意思決定プロセスを変えるというのは、「『理解できない・決められない』はずの状態で前に進めることを決める」ということだからです。それはよほど信頼できる人間がいたり、自分の判断に大きく自信を失っていたり、なによりスピーディに決めなければ組織が危うくなるといった危機的な状況に直面していないと、なかなか変わりません。
これはほぼすべての組織に共通するグローバル化における課題です。では、ここに対する解決策はあるのでしょうか?「ぼんやりとした危機」という弱いプレッシャーの中で、スピード以外の要件で組織の在り方を変えられる人というのはどういう人なのでしょうか。
最近なんとなくそれに近い人を見ていると、「学問」なのではないかと思うのです。僕自身、大学から離れて久しいですが、社会学やら歴史学やらの本を懐かしく読みふけることがあります。それはおよそ社会的に価値がないとみなされる「文学」の領域で、完全に個の中に埋没した考え方をこねくり回すものなのですが、実は最近グローバル化の推進方法について模索するなかで、そのヒントとなるアイデアは経営書よりも自伝だったり歴史書だったり、それこそ社会学的な発想の転換法のなかにあったりします。
ビジネスは「意味」を与えてくれません。どうもうまくいかない、でもとにかく利益だけは出してくれよ。そこでは経験のみに裏打ちされた応急処置ばかりが施され、うまくいったいかなかったという因果関係にも目を向ける時間がありません。結局カリスマのある人物がその存在感でもって結果を導き、あたかも成功例かのように語られる。でもそれでは「再現性」がなく、個人のノウハウのなかに閉じ込められてしまう。カリスマがいない組織において、絶対的な危機もなく、その状態でプロセスそのものを変えたりできるのは、結局のところ普遍的な教養、文学からくる「新しい意味」なのではないかと思うのです。
バンクーバーで北米、シンガポールでアジアの文化に触れながら、自分の「理解したい」という文化的衝動が大きくなるのを感じています。我々は企業や組織といった物事を変える最前線に立ち、物凄く面白い「社会的実験の結果」を日々浴びながら、それを一顧だにせず、必死で利益確保に向けて突き進んでいます。そこで取りこぼしているものを拾い集めて、解釈や意味を与え、回答に導いてくれるのは文学なのではないだろうか、と。ちょっとポエムな話になってしまいましたが、最近そんなことを日々考えます。



atsuo-nakayama中山 淳雄
Bandai Namco Studiosのシンガポール法人にて、新規事業立ちあげ中。昨年までバンクーバーにてモバイル開発スタジオを立ちあげ、モバイルゲームを複数リリース。”Pac-man 256″ でApple, Googleの2015 Best Gameを受賞。リクルートスタッフィング、DeNA、コンサルを経て現在 に至る。東大社会学修士、McGill大学MBA修了。著書に”The Third Wave of Japanese Games”(PHP, 2015)、『ヒットの法則が変わった いいモノを作っても、なぜ売れない? 』(PHP、2013)、『ソーシャルゲームだけがなぜ儲かるのか』(PHP、2012)他。