世界でエンタメ三昧 #39 ~米国玩具市場とパワーレンジャー~

~米国玩具市場とパワーレンジャー~

ドラゴンボールが今熱い

ドラゴンボールが世界を席巻しています。17年7月に開催されたAnime Expoはまさにドラゴンボール一色。コンベンションセンターはドラゴンボールSuperの広告がデカデカと飾り、今年一番のコンテンツとして燦然と輝いていました。もちろんこの引き立て役は月間でおよそ40-50億円といった売上を記録しているアプリ『ドラゴンボールZドッカンバトル』、Apple/Googleのアプリ市場の上位10位に入る、最も世界で売れている日本アプリの1つです。『パズル&ドラゴンズ』『モンスターストライク』など日本でもっと売上が大きいタイトルはありますが、ほとんどが日本市場のみ。これほど北米含め世界でも広く売れているタイトルは、あまり類例がありません。

図1のバンダイナムコHDのIP別売上のグラフをみてみれば、ガンダムや仮面ライダーなどの陰で毎年100億円程度だったはずの「ドラゴンボール」が2015年350億、16年は600億と急激な上昇をしているのが目について分かります。もちろん15年4月にリリースされたこのアプリが大部分を占めます。

北米で空前の大ヒット、『パワーレンジャー』

日本コンテンツが北米を席巻するのは一度や二度の話ではありません。マリオやポケモンなど日本が先陣をきっていたゲーム市場では数々の成功例はあります。アニメもまたそうした位置づけです。ただ、映画・出版・玩具といった歴史ある産業における成功例は非常にまれ。手塚治虫の時代から、世界最大の北米市場に向けて精力的に輸出を続けてきましたが、ほとんどがニッチなファンダムを形成して終わる中小ヒット。ではそうした歴史を覆したのは何か、と言われたときに私の頭に浮かぶのは「パワーレンジャー」なのです。これは映像・玩具のコンテンツとして北米でトップをとった最初の事例と言えるのではないでしょうか。

もともと日本は玩具に強い国でした。神社仏閣・飾り工芸品の職人文化をベースとして第一次世界大戦あたりから玩具は代表的な輸出品で、米国にも輸出されていました。敗戦後も廃材などを使ったブリキ玩具などでいくつかヒットを出し、当時で80億円もの輸出市場がありました。ただ、そうはいっても「製品としての販売」であり、今日のドラゴンボールような「日本製のものが売れている」といった感じではありません。

玩具業界の立役者は言わずと知れたバンダイですが、その存在感が増したのは1970年代です。それまではTV広告を出すのは菓子・電機メーカーに限られ、中小企業ばかりだった玩具業界は「その他製造業」の一つでしかありませんでした。鉄腕アトムも20社以上の玩具メーカーに卸され、似たような製品が大量に粗製乱造。こうした玩具業界の大きな転換点となったのが、1975年バンダイが東映『ゴレンジャー』のメインスポンサーを引き受けたところからはじまります。朝の子供の視聴枠を独占し、サンドイッチ商法として番組の合間に同じ俳優・世界観を使ってのCMを流し、パーツやアイテムを組み合わせて購入を促します。シリーズは毎年入れ替わり、子供の購入需要をエンドレスに作り出します。42年間、41作常に刷新され続けてきたヒーロー戦隊シリーズの歴史はここから始まるのです。

北米展開はそこから10年後。日本での流行を聞きつけたハイム・サバン、米仏の芸能事務所などに精通していたユダヤ人は早くも1985年に東映に働きかけて$0.5Mでアジア以外の放映権を獲得していました。こんな子供っぽく、5人もいるヒーローものなんて米国のヒーロー成功法則と全く外れたもので、ほとんどの放送局からNoを突き付けられていました。足しげく通い詰めた挙句の最後の救世主がFox Children Network、サバンも当時は30分$300-400Kだった放映権を$100Kまでたたき売りをして(その代わり小売10-12%という玩具ライセンス料でRecoupしましたが)、放映権獲得からおよそ10年近くたった1993年、ようやく放送までこぎつけます。

日本のように毎年更新なんてとてもできないので基本的には『ジュウレンジャー』のみ、5人のキャラはダイバーシティのため女性は2人に、ラテン・アジア・黒人のマイノリティも入れ、日本的SFで彩られた戦隊を身近に感じてもらうためにヒーローの普段の生活に重点を持たせた内容に、と様々なローカライズされています。変身後の戦闘シーンだけは日本のままですが…宇宙から侵略してくる敵からカリフォルニアを守るために立ち上がったティーンのヒーロー戦隊。「嘘っぽく」「安っぽく」「ローテク」、事前の業界関係者の前評判は最悪、の一言。

おそるおそる放映が始まった1993年。結果は…「怒涛」の一言。当時の数字を見るだにその凄さに戦慄します。冷ややかな大人の視線をしり目に子供が熱狂しました。1993年の2-11歳視聴率70%、フィギュアの販売額は$1Bと1000億円を超える盛況。前年に年間$30M程度だったバンダイアメリカの売上は94年に10倍の$330Mを記録しています。そのまま50か国以上で放映され、3年間パワーレンジャーはずっと全米1位、収入は毎年$400M程度といわれます。1995年の劇場用映画は北米$38M、世界$66M、千と千尋が$10Mですからそのサイズ感はけた違いです。「90年代最も人気があった子供番組」(Nielsen調査)でも堂々1位を獲得しています。Foxもこの成功をもって、1997年には子供向け番組生産量ではDisneyの18%を押さえて、ワーナー26%に次ぐ、22%の2位までのし上がります。

地盤を形成していた70-90年代の日本ブーム

なぜ突如としてこうしたことが起こるのか。私もしばらくこの業界にいますが、大ヒットは常に予想外の角度から現れます。関係者のほぼ全員が過去の法則から否定していた「奇妙な」コンテンツが突如として業界のゲームチェンジャーとして現れます。ただパワーレンジャーの大成功は、その後さまざまな考察が重ねられています。

まず、すでに日本アニメによる日本コンテンツの消費土壌形成。当時は、「ガッチャマン」78年、「宇宙戦艦ヤマト」79年、「マクロス」85年、と次々と日本アニメがローカライズされた時代でした。その背景にあるのは、映画スターウォーズの成功です。戦後衰退が続いたハリウッドの救世主となったこの映画は、「映画で視聴を集めて、稼ぐのは玩具」という新しいモデルを提供し、米国はSFと名がつけばなんでも映画化せよといった雰囲気でした。そこで日本のアニメがピックアップされ「日本的SF」として様々なコンテンツがローカライズされたのです。ただSFの流行はきっかけでこそあったものの、本質的なところでは日本アニメが大人向けのストーリーテリングが非常に独特であり、それが徐々に受け入れたものだと解釈できます。この80年代当時は「ジャパンアズナンバーワン」として日本のエコノミックパワーに全米が戦慄していた時代。文化資本も同じ文脈で消費される時代だったのです。

また90年代初頭は米国の子供たちに恐竜・変身・武術といったテーマが大流行していたこと。『ジュラシック・パーク』『トランスフォーマー』、ブルース・リーなどのカンフー映画など、「アジア的なもの」としてのこうした要素を手放しに迎え入れられるほど、複数のコンテンツによって北米でも一般化していました。その証拠にパワーレンジャー後は空手・テコンドーといった武道教室への入門がバブル的に爆発しています。

そしてサバンという強力なパートナー。彼は2016年も米国フォーブス誌の資産家ランキング453位、総資産と$3.5Bの超大金持ちです。さらには彼の華麗なる交友関係。クリントン夫妻からはじまり、オバマ大統領、メルケル首相など主だった政治家たちとつながりをもっています。それもそのはず、本来子供番組というのは性的・暴力的表現への規制が強いもの。当然玩具等の商品の売り込み方も行政規制の対象となります。そうした放送規制に対して、こうした彼の政治的な結びつきが有効に作用していたことは言うまでもありません。

単発売りの歴史に楔を打ちたい

ただパワーレンジャーもその後、悲しい末路をたどります。サバン・エンターテイメントは1996年にFoxと統合、そのFoxが2001年にDisneyに$53M買収されたのを機に、ライセンスごと吸収されました。そこから10年間Disney時代に「特撮モノ」というこの特殊なジャンルの質を担保することができず、大きく衰退しています。ディズニーランドにパワーレンジャーがミッキーとパレードするなんていう夢のような光景も見れましたが、2009年にはシリーズ終了を決定。そこでこのライセンスをサバンは2010年に再度買い戻し、再度リバイバルに賭けています。2017年7月の『パワーレンジャー』もその一環です。

個人的にはこうしたヒットが、結局はライセンスアウトによる「ほぼ丸投げ状態での成功」というのが他産業の海外展開との決定的な違いを生んでしまっている結果だと感じます。というのも、ローカライズされてしまうと、映像を構成するそれ以外のコンテンツ要素が輸出する機会をふさいでしまうからです。俳優も音楽も異なるため、北米でライブをすることもできません。グッズを作って売ることもできません。映像を直に売るチャネルも形成されないため、毎回同じところに定額で売り切って終わってしまいます。こうした「売れたコンテンツの周りに形成される商圏」を自社のみならず、系列・関連で作れないというところにコンテンツ産業の限界を感じます。

ライセンス⇒輸出⇒現地生産でとれる粗利は大きく変わります。自動車産業が貿易摩擦のなかで仕方なく輸出から現地生産に切り替えたとき、自動車メーカーは部品メーカーも引き連れて95社くらいでミシシッピの沿岸に産業クラスターを形成しています。そこでトヨタは1988年の海外生産比率10%から、95年の30%まで急激に現地生産化を進めています。売上はその期間は均衡しているものの10年ほどした98年から2007年までで2倍に膨れ上がります。短期的利益を求めてライセンス型に頼り、社内に新たな機能を取り込もうという野心を持たない限り、コンテンツ産業は予想外のヒットに惑わされるままにランダムウォークする需要と売上をただ漂っている資産管理会社以外なにものでもなくなります。リスクを取り、大きな市場を取り込む機能・人材を育て、関連を含めた広い商圏を取りに行くこと。それが私のコンテンツ産業におけるマイテーマでもあります。



atsuo-nakayama中山 淳雄
Bushiroadシンガポール法人COOとして日本コンテンツの海外展開に取り組む。リクルートスタッフィング、DeNA、コンサルを経て、直近バンダイナムコスタジオでバンクーバー、シンガポール、マレーシアで会社設立・新規事業展開に携わり、現在 に至る。東大社会学修士、McGill大学MBA修了。著書に”The Third Wave of Japanese Games”(PHP, 2015)、『ヒットの法則が変わった いいモノを作っても、なぜ売れない? 』(PHP、2013)、『ソーシャルゲームだけがなぜ儲かるのか』(PHP、2012)他。