【第40回】日米テレビメディアの違い | 世界でエンタメ三昧

モビリティ化によって50年間君臨しつづけたTVメディアが衰退する

社会評論家の大宅壮一が「(テレビのような低俗なメディアをみていると)1億人総白痴化する」と喝破した1957年は今は昔。テレビは、いまや20世紀最大のマスメディア&メディアの王様のポジションをほしいままにしています。メディアごとの平均視聴時間を図1のようにみてみると、1960-65年の5年間に急激に視聴が増え、そこからは平日でも3時間視聴することが常態化し、変わることなく50年間が過ぎてきた歴史が見えます。ほかのメディアの消費時間をすべて総合しても、テレビの視聴時間の半分にも満たず、「毎日3時間強テレビの前に座る」という行動習慣自体が、この半世紀世界中の人間を巻き込んできた社会的現象のようなものだととらえることができます。ですが…ほんのこの10年間、その習慣に変化の兆しが見え始めているのです。

モバイルが新たなメディアの王様として消費行動の中心に入り始めています。そしてこれは繰り返される歴史です。当のテレビも50年前は映画の活況時代に分け入った新興勢力でした。日本において1960年には延べ年間10億人が映画館に足を運ぶ時代でした。それが65年に4億人弱、70年に2.5億人、なんとたった10年間で1/4まで縮んでしまいます。ゲーム業界が1983年に1/30に縮んでしまったり、音楽業界が2000年から10年強で1/3になってしまったり、といった変化はこのスパンで振り返ってみると「よく起こること」でもあります。その構造的変化が、このメディアの王様「テレビ」においてもついに起こり始めた、というのが今回のメインテーマです。まだ5年単位の図1の表ではみえにくいですが、すでに10代・20代のTV視聴時間は100分を割るところまできており、この10年単位で半減に近い統計もあります。テレビをもっていない層も増えてきました。急激に「TV→Mobile」の波が起きているのです。

大事なのはこれを「ネット化」で片づけないことです。PC・タブレットによるネットアクセスとなると、実はもうそれほど伸びていないのです。「家でパッケージコンテンツをTVで視聴する」のも「家でネットコンテンツをPCで視聴する」のも等しく「衰退してきている行動習慣」であって、とらえるべきはネットというコンテンツの媒体の話というよりも「モバイル化(移動しながら細切れに行動する)」という消費行動そのものの変化だということです。自動運転車も同じ流れに入ります。テレビの平日1日3時間に劣らず、米国では毎日平均2時間以上は自動車運転に時間が費やされています。この時間そのものは現在ラジオくらいしか消費行動に還元されませんが、2020年以降の自動運転車の普及によって「モバイル化」はさらに強化されるでしょう。21世紀は、消費行動のモビリティ化による「決められた場所に決められた時間に集まって、同じコンテンツをみる」という行動習慣自体の終わりの時代です。「いつでもどこでも片手間にパーソナルメディアでインタラクティブに、ハードメディアに寄らずにコンテンツにアクセスする」という行動習慣の始まりなのです。

テレビ衰退に対抗して「変わる米国」「変えない日本」

メディア産業といえば米国です。日米を比較してみましょう。ほかのコンテンツ産業とたがわず、日米はテレビにおいても他国をリードする2大市場です。映像産業を全体でみると(図2)、米国18兆円、日本3.3兆円、続く西欧・中国・南米の2兆円前後の市場。国家管理の時代が長かった他国にくらべると日米は驚くほど民間放送が自由に制作・放映されており(参入自体はガチガチに管理されているものの)、それがゆえにこの2国のテレビ市場が拡大した経緯はあります。ただ、なぜこんなに日米の差があるのでしょうか。「放送」部分だけでいえば、米国で7兆円、日本で1.7兆円と人口に比した規模ではあるのですが…。この15兆円差の大きなものは「サブスクリプション」で、第37回(引用)で書いたようにケーブルテレビ市場、Netflix、HuluなどデジタルOTT市場で大きく水をあけられている、というのが正直なところです(その他、「放送(公共料金)」はNHKのような徴収型公共メディアですが、これは英BBC、日NHKなど欧州と日本にしかないものです)。


個人的にはこの「50年の時をこえて衰退していくテレビメディア」への対処自体に両国の文化差・制度差を大きくあらわれている点が面白いなと思います。米国はいわゆるこの激変をM&Aの統廃合によって「大きくなることで生き残る」手段をとりました。米国のテレビ御三家といえばABC、CBS、NBCで、これがいわばTBS、日テレ、フジテレビのような位置づけです。こうした米国の地上波メディア企業は、80年代後半からの10年間で大激変に直面します。自由化・規制緩和によってケーブル・衛星といった地上波の対抗コンテンツが浮上し、突如として生き残りを賭けた激しい競争環境になりました。コンテンツの奪い合いで良質なコンテンツの放映権はうなぎのぼり。その結果、ABCは1995年にDisneyに$19B、NBCは電機メーカーのGEからケーブルテレビのコムキャストに$30Bの時価総額で売られたのが2009年。日本でいう「TV局」は米国ではほとんどが通信/映画/音楽/出版といったメディアと統合され、コングロマリット化しているのが現状です。その結果が図3のような規模につながっています。それぞれのオリジナルの事業でみればNBCを吸収したコムキャストはケーブルテレビ、ABCを飲み込んだディズニーはアニメスタジオ、第四の放送枠であるFoxを築き上げたニューズコーポレーションは出版。出自も国籍すらバラバラなメディア財閥群が札束で殴り合うような競争環境にあります。

こうした米国のメディア・コングロマリットに対して、日本はラジオ/新聞/テレビが株式持ち合いのなかで長期的信頼関係を築き上げ、非常に安定した寡占状態を維持してきました。自由化後の30年間、他領域とのサバイバル環境で死活問題を乗り越えてきた米国テレビメディアに対して、日本は「20世紀後半の50年間で放送会社が1社たりも潰れたことのない」超ホワイト市場なのです。もちろん無風だったわけではなく、米国のニューズコーポレーションがソフトバンクと一緒になって動いた1996年テレビ朝日買収、2005年のライブドアによるフジテレビ買収&楽天によるTBS買収、といった事件はありました。だがそうした事件も、旧来の持ち株資本関係をうまく整理しながらしのぎ切り、なんとか「変化することなく組み換えで生存する」選択肢をとってきたのが日本のテレビ業界なのです。その結果といえるのか否か、単企業サイズとして日米の企業は大きな差がついています。世界のメディアトップ企業20社のうち14社はUSAであり、日本はソニー1社が8位に食い込んでいるだけ。フジ・メディアHDを含めた日本の大手総合メディア企業は軒並み米国の10分の1の規模に収まっています。

競争過多でコンテンツ優位の米国と競争無風で放映優位の日本

日米の違いは買収統合の経営合理化に対する感情的・倫理的なとらえ方という文化的な違いもありますが、なにより、2国の置かれた緊急度の違い、ともいえます。なぜなら、(減り始めているとはいえ)テレビの視聴シェアが圧倒的に違うのです。日本は地上波6局で9割、日テレ/テレビ朝日/TBSの民放3局で5割という寡占度です。これは米国でいえば1980年、ケーブルテレビも普及する前・自由化以前のABC/CBS/NBCの状態と近似しています。米国ではこの大手3社50%のシェアが、80年代後半の自由化を経て、2000年には20%まで落ちます。地理的に離れすぎて地上波を含めたキー局とローカル局の連携が弱かったという特性もありますが、M&Aで寡占度をあげていったとしても直接地域・地域に回線をつなぎこみ、スポーツコンテンツをExclusiveで獲得していくケーブルテレビメディア業界に圧倒的に食い込まれてしまった、というのが米国市場と日本市場の決定的な違いです。


業界の寡占度はそのまま業界の交渉力につながります。米国のゴールデン枠はほとんどがハリウッド制作のもので占有されています。過騰競争で疲弊してコンテンツ制作を外注し続けた放映ネットワークに対して、良質なコンテンツをつくれる企業がどんどん交渉力を高め、最終的には法外な放映権を払わなければコンテンツが他の局にかっさらわれてしまう。日本のテレビ業界とは真逆の構造が、多チャンネルの米国では起こっていたのです。

そして…2010年代の黒船の登場です。Netflixを代表とするOTT市場。当のケーブルテレビ市場自体を飲み込もうとする「デジタルからの刺客」です。この黒船は平和を維持してきた日本のテレビ市場も例外なく襲ってきています。そうしたなかで攻め手は?展望は?というところは次回また詳しく追っていきますね。



atsuo-nakayama中山 淳雄
Bushiroadシンガポール法人COOとして日本コンテンツの海外展開に取り組む。リクルートスタッフィング、DeNA、コンサルを経て、直近バンダイナムコスタジオでバンクーバー、シンガポール、マレーシアで会社設立・新規事業展開に携わり、現在 に至る。東大社会学修士、McGill大学MBA修了。著書に”The Third Wave of Japanese Games”(PHP, 2015)、『ヒットの法則が変わった いいモノを作っても、なぜ売れない? 』(PHP、2013)、『ソーシャルゲームだけがなぜ儲かるのか』(PHP、2012)他。