進化する人間、退化する人間

ダーウィンの進化論。名前ぐらいは聞いたことがあるだろう。生物は不変ではなく、常に変化していくという有名な学説だが、この真偽については自然科学界だけではなく、宗教界も巻き込み大騒動になった。進化する現代社会はまさに進化論の行く末のようにも見えるが我々が気をつけなくてはいけないのは何だろうか?

okamoto1611

20年ぐらい前にブリティッシュコロンビア州のビクトリアに種の変態や変種ばかりを集めたミニ博物館があった。現在はもうないと思うが、ここで展示されていた種の変化振りは驚愕であったことを思い出す。ただ、今考えれば木に同化したカマキリなどは何処にでもいそうだし、カメレオンはまさにその代表例である。深海魚が独特の目をしているのは光が水面下1000メートルまでしか届かないためにそこから上の魚は目が大きく、それより下にいる魚は目としての機能が特殊化している。まさに環境適応である。

さて、人間の世界はどうだろうか?私は環境に大きく左右されてきたと思っている。春の風物詩、花粉症はかつてなかった。確か1970年代頃からの産物である。あるいは最近、子供ができにくいと聞く。あれは女性の問題よりも男性の問題のほうが深刻な気がする。しかし、どうしても女性のほうが不妊に敏感なのか、世間では男の問題はあまり話題にならない。

戦争をしていた頃はまさに種の保存の原則のようなもので一家に5人も6人も子供がいて、そのうち、1人でも残ってくれればという価値観が背景にあった。経済の発展とともに子供の数が減ったのは経済的理由や社会の価値観の変化という外的要因ばかりだと思われがちだが、生殖能力という医学的事実に目を向けていない点は如何なものだろうか?

さて、この10数年で私が繰り返し、警告してきたことがある。それは携帯やスマホのショートメッセージばかりやるとバカになる、という点だ。人間は思ったことを文章で表現する能力を持っているが、テキストメッセージは表現力よりもどれだけ早く的確なタイミングで相手に返事をするかがより重要である。さもなければKYの烙印を押される。そのスピードを競うテキストの内容は人間の動物的直観が主体となりやすく思想の深堀がしにくい。

人間の頭脳は動物的反応レベルと高度な思考レベルの二段階があるが思考を避け、動物的反応だけをしていると思考能力は劣り、いつかは動物と同じになる。つまり、腹が減った、寝る、便所に行く…という表層反応である。

仕事をみてみよう。多くの方はマニュアルに支えられ、その手順が細かく規定されている。工場勤務者は足の動かし方まで指導される。あるいはコーヒーショップチェーンの店員はカナダでもフロリダでも東京でも同じ味で同じサービスを提供するため個性を出させない取り組みをしている。これらは人間否定だが、これに歯向かえば「明日から来なくてよい」と言われる。

むしろ、今はマニュアルが当たり前になっている。私がかつて人を雇った際、「マニュアルはないのですか?」と聞かれたので「うちの会社はマニュアル運転だから」と雲に巻いたことがある。つまり、基本ルールだけ用意するからあとはどのギアに入れるか自分で考えて対応せよ、という仕組みである。その結果、サービスのレベルにばらつきは生じたがスタッフが気を利かせ、想定以上の対応をしてくれた点で個人的には満足している。

最近のメディアではAI(人工知能)がごく普通に語られている。いや、我々の周りの製品にAIはどんどん取り入れられ皆さんの持つガジェットは音声でやり取りする時代になってくる。いわゆるスマート○○という製品である。

将棋電脳戦が話題になった。人間はほぼ勝てない水準まで成長したその背景にAIの加速度的進化無しには語れない。自動運転の車はレベル2がポツポツ普及し始めレベル3がじきに売り出される。レベル4は人が運転しない水準であるからもうあと5年もすれば各社ラインナップが勢ぞろいする段階まで来ている。

これは人間が車を運転する能力を必要としないという意味である。考えてみればオートマチック車が当たり前の現代、マニュアル車を運転できる人は少なくなってきた。坂道発進のエンストの話をしても若い人には通じないだろう。これは、私はマニュアル車でエンストもさせない能力を持ち、若い人はそれが退化したともいえる。

最近のトレンドはスマホですべて片づけるそうだ。ノートパソコンは持っていない。大学卒論もスマホで終わらせるという強者がいる時代だ。そういえば最近飛行機に乗る際、セキュリティチェックで重そうなノートパソコンを取り出す人はめっきり減った。時代の変化はあまりにも早い。

このような時代に生まれた我々は幸せだが、そうではないこともある。それはコンピューターの基本が0と1の組み合わせであるように社会が数字として割り切られるような時代になってきたことだろうか。

好きな人に告白したとする。その相手は生年月日から相性を分析し、フェイスブックでのやり取りをチェックし、勤務先と収入を分析したうえで判断されるとしたら恋愛小説はもはや不必要となるだろう。

我々は残念ながら時代というベルトコンベアに載せられている。ツイッターでつぶやき、フェイスブックをするのは社会を形成するうえで当然だと考えられている。だが、私はやっていない。それでも人間生活は普通にできるし情報も普通に入る。

これからもっと増えてくる新技術はあなたを手のひらの上でコロコロさせる「ご主人様」となるかもしれない。それに釣られるか、良し悪しを見極められるかはあなた次第、ということだろう。幸運を祈る。


岡本裕明(おかもとひろあき)

okamoto021961年東京生まれ。青山学院大学卒業後、青木建設に入社。開発本部、秘書室などを経て1992年同社のバンクーバー大規模住宅開発事業に従事。その後、現地法人社長を経て同社のバンクーバーの不動産事業を買収、開発事業を完成させた。現在同地にてマリーナ事業、商業不動産事業、駐車場運営事業などの他、日本法人を通じて東京で住宅事業を展開するなど多角的な経営を行っている。「外から見る日本、見られる日本人」の人気ブロガーとしても広く知れ渡っている。