『会ってみたいカナディアン』マニュライフ社長CEO Donald A. Guloien


マニュライフ・ファイナンシャル・コーポレーションは、1887年設立されたトロントに本社を置くカナダ最大の保険会社、北米で2位、世界で5位の最も成功した保険金融関連企業である。営業利益40億カナダドル、純利益29億カナダドル、管理運用資産額は9770億カナダドルを計上。グループ全体で3万5000人の従業員を雇用し、カナダ、米国及びアジアの多くの国々の個人とその機関の顧客に対して、幅広い保険やその他の金融サービスを提供している。

マニュライフ社は1887年6月23日に国会法で「マニュファクチャラーズ生命保険会社」として設立された。同社のCarlileマネージングディレクターは、オンタリオ州、ケベック州、ノバスコシア州、未開拓の西部地区に拠点を確立し全国展開を推進した。1888年1月17日の第1回年次総会迄に、915件の保険契約、250万ドルの保険額(現価値5000万ドル)の販売成績を達成し、『若いカナダの巨人』と評された。

1893年にバミューダで最初の国際的な保険販売を開始し、カリブ海諸国、南米、中国とインド等他の地域へと拡大展開を始めた。1901年に「テキサス・アンド・ゼネラル・ライフ・アシュアランス・カンパニー」と合併事業を統合し、1903年から米国市場で保険を販売開始した。1950年代後半、香港、英国、シンガポールでは1959年に売上30億ドルを超え、1961年には10億ドルに達した。技術進歩を目指して、Hollerith集計機やIBM 650を導入してメインフレーム・コンピュータ・システムに移行する最初の保険会社となった。

1971年、生抜きの従業員シドニー・ジャクソンがCEOに就任後彼のリーダーシップで、「リスク回避型でトップダウン型のビジネススタイル」を採用し、革新とビジネス機会を増加させ、最終的に資産が2ドルから1972年には10億ドル、1985年には164億ドルに達した。1990年には商品やサービスの幅を広げ社名を「マニュライフ・ファイナンシャル」に変更し、その後数年間にわたり、世界中の様々な保険会社や投資会社を買収売却した。


同社の事業は生命保険及び健康保険商品、年金制度、投資を運営している。市場別売上げ構成は、米国37%、カナダ34%、アジア12%、日本9%、再保険6%、とその他のサービスを提供する。マニュライフ社はジョン・ハンコック社とマニュライフ社のブランドにて世界展開している。事業運営は世界22カ国に約3万5000人の従業員と6万3000人の代理店からなる当社の国際ネットワークを通じ、2000万人の顧客のライフスタイルを支え、財務アドバイス、保険、資産管理ソリューションを提供している。

また同社はカナダの「マニュライフ銀行」により様々な種類の企業及び個人の生命保険、ミューチュアル・ファンド、バンキング・サービス等幅広いサービスを提供している。中堅から高所得者に加えて、カナダの部門は、各種専門職、卒業生や退職者の団体やグループの会員達をマーケット対象にしている。
 
コミュニティ活動に於いては、グローバル企業として、世界中の地域社会をサポートしている。 2003年には、世界中の約800の団体にスポンサーシップや寄付を行い総額640万ドルを提供した。

マニュライフは、慈善活動を次の3つのプログラムに集中させている。健康な未来 – 明日の指導者 – 団体に寄付するプログラムがある。日本に於けるマニュライフ生命保険株式会社の概要は、東京都新宿区オペラシティに本社を置き、資本金564億円、従業員3863名(2017年3月)を雇用し、CEOはギャビン・ロビンソン氏が務める。日本は世界で最も大きな保険市場の一つであり、企業指標はソルベンシー・マージン比率 :838・6%(2016年度末)、S&P保険財務力各付 : A+、総資産:2兆891億円、保有契約件数:121万4000件、保有契約高:12兆4359億円を計上している。

日本での事業内容は、「総合保障・終身・医療・ガン・収入保障・個人年金」など各種生命保険を提供している。子会社には資産運用関連の「マニュライフ・アセット・マネジメント株式会社」がある。

日本法人の事業は、1999年3月マニュライフ・センチュリー生命保険株式会社として日本で生命保険業務を開始した。2001年マニュライフ生命保険株式会社に社名変更し、2004年には三菱東京UFJ銀行と業務提携した。

「マニュライフわくわくルーム」を豊田厚生病院や関東地方への寄贈や被災地岩手県釜石市「鵜住居(うのすまい)児童館」、宮城県亘理町に「荒浜児童館」の建設を支援した。

日本国内での協賛活動として、これから社会に羽ばたく高校生に、世の中がどの様な金融経済の仕組みで動いているかを考えさせるきっかけとして、クイズ形式による次世代の若者達に「自分のライフデザイン」や「自分とお金の関わり方」のきっかけを与える「エコノミクス甲子園全国大会マニュライフ生命カップ」イベントを支援している。第11回エコノミクス甲子園全国大会には全国447校1170チームより勝ち抜いた48校の参加を得て石川県代表の金沢大学人間社会学域学校教育学類付属高等学校が優勝した。副賞としてニューヨーク・ボストン研修旅行が贈られた。


ドナルド・グロィオン氏は、マニュライフ・ファイナンシャル・コーポレーションの社長兼CEOで、1981年にリサーチ・アナリストとして入社後35年の勤務経験を持ち、取締役会役員及びエグゼクティブ・コミッティ会長を務める。

同氏は、「カナダ商工会議所インターナショナル・ビジネス・エグゼクティブ・オブ・ザ・イヤー」、「クイーン・エリザベス二世ダイヤモンド・ジュビリー勲章」の授与や、国際ジュネーブ協会、トロント小児病院、カナダ生命保険・健康保険協会の理事を兼任している。カナダ・ビジネス評議会、ティッカー・クラブ、ユナイテッド・ウェイのキャンペーン・キャビネット及びワールド・プレジデンツ・オーガニゼーションの会員である。2015年2016年北米で勤務する人々の投票により、「最も高い評価を得たCEO」の一人に選ばれた。

その他、トロント大学の運営にも積極的に携わり、現在、キャンペーン・キャビネットのメンバーを務めていて、同大学評議会とその運営委員会及び事業委員会、学長予算諮問委員会、大学院長顧問委員会、ハート・ハウス幹事会、ロットマン経営学大学院キャンペーン・キャビネットのメンバーとして活躍しトロント大学から「アーバー・アワード」を受賞した。インタビューよりグロィオン氏の幼少時代は、やや早熟でまじめで色んなスポーツに親しむ普通の子供だった。

グレード12の頃自分の将来への夢と目標は『カナダの多国籍金融会社の社長CEOになる』ことだった。当初父親は自分が弁護士になる様期待していた。学生の頃、アルバイトではあらゆる経験を経たが銀行関連の採用は得られなかった。その後、専門分野のセミナーや教育を受けて人生の目標に向かって集中し、マニュライフ社に入社が叶った。

カナダは世界でも有数の国土も広く資源の豊富な国であり、寛容と他の文化を理解できる心の広さを持ち、移民政策など多方面にて世界に貢献出来ている。日本人は持ち前の先端技術や国際貿易に秀でており、新興国などにこれら日本の得意分野で世界に広く貢献出来ると思う。日本人は他の文化にも興味を持ちそれらを理解し、融和の精神を持っている。日本人は日本語に偏っているが、例え英語が完璧でなくても企業や、社会や、世界の各地に貢献出来る道は幾らでもあると示唆。グロィオン氏は過去数十回の訪日経験を持ち日本びいきで、日本は大変気に入っている国の一つであり、期待も大きい。

グロィオン氏はこう語る「自分を振り返れば、育ててくれた両親はもとより、幾多の職場や部門に於いて多くの信頼がおけるメンター(良き指導者)達との出会いがあり、彼らから多くを学ぶ機会が得られたことに深く感謝している。メンター達の忍耐強く支援の力が得られたことは自分の人生に大きな幸福をもたらしてくれたと感じている。将来起業家や、リーダーを目指す若い人達へのメッセージは、『若い年代から、自分が好み目指すビジョンを設定すること。そしてそのビジョンに従って、他の人々により良い生活を提供出来る一旦を担うことに邁進する情熱を持つこと』である。」




著者:市田 嘉彦

京都五条坂出身のビジネスコンサルタント。民芸、ラテン音楽、合気道愛好家。座右の銘『今ここで頑張らずにいつ頑張る』。京都大徳寺大仙院尾関宗園住職直伝。JAPAN TRADE INVEST(Consultant)、Former Investment Advisor at JETRO Toronto