米国市場に挑んだ日本の「食」文化プロダクト| 世界でエンタメ三昧【第58回】

和食が世界を席巻する

 世界の和食ブームが加速している。2006年2.4万店から2013年5.5万店、2015年8.9万店、2017年には11.8万店と、2010年代にむしろ加速しており、フランス・イタリア料理をおさえて出店ジャンルでは世界一である(図1)。それほど日本食そのものにブランドがついているのだろう。2007年からのミシュランガイドの国別の星獲得数でいえば、日本とフランスがともに730程度で世界1・2位を独占。次のイタリア360やドイツ311や、英国190、米国162と比べれば、いかに日本食が高く評価されているかがわかる。

 日本コンテンツの海外消費市場を刺激するための支援を行うクールジャパン機構はアニメ・ゲームなどの「コンテンツ」以外にも、こうした「食」も一つの支援ジャンルとしており、シンガポールのジャパンフードタウンやラーメン事業を展開する博多一風堂にもそれぞれ10億円規模の投資を行っている。コンテンツも食も年率0〜1%と伸びない国内市場で競争するのではなく、成長率の高い海外に日本企業の目を向けさせ、新しい地盤をつくるための動きである。海外コンテンツ市場は14年55兆円から20年70兆円と年4%成長、海外の食市場は09年340兆円から20年680兆円と年7%成長と言われている。

 だがその受益に預かっているのは本当に日本食、日本企業なのだろうか?和食ラッシュで出店店舗のうち日本人が運営するものは1割にも満たない。和食ブームを牽引したのは日本人でも、推進しているのはいったい誰なのだろうか?

ゼロイチで新しい食を浸透させる

 『豆腐バカ』という本がある。森永乳業の米国支社Morinaga Nutritional Foodを1985年に設立し、20年あまり米国での豆腐文化をつくり「ミスター・トーフ」と呼ばれた男の自伝である。日本で3.2万軒の豆腐屋があり、4000億円の市場を形成しているのに対して、米国は80年代半ばに豆腐を扱う店は155軒と日本の5%に過ぎない市場であった。カテゴリーをゼロから作り出すというのは本当に困難を極める。無味乾燥の絹ごしが、サワー味が主流の米国では受け入れられず、料理本を出したり、スムージーにしたりといった悪戦苦闘を繰り返し、円高のなかで輸出すればするほど赤字という状況で10年以上も市場・ユーザー・そして日本本社との期待値のズレの中で戦い続けた。ようやく潮目が変わったのは1993年、クリントン大統領が「豆腐ダイエット」を始め、90年代後半の健康ブームのなかで急激に需要が伸びてきたことだろう。売上も90年代後半に大きく好転していく(図2)。

 豆腐以前には、醤油もそしてスシも、日本の象徴的な食としてゼロイチで市場が開拓されてきた。カリフォルニアロールが初めてうまれた1960年代も、クロマグロがとれないカリフォルニアで代替品としてアボカドが使われたところからはじまる。スシの転換点は70年代に急速冷凍技術が発達したところにある。漁業でとれたマグロが遠方まで航空便で運ばれ、数日後には鮮度の高いままでカウンターに並ぶことが可能になった。それまではただ捨てられていたクロマグロの価格がうなぎのぼりにあがってくるのがこの時期である。そして80年代は「アート」としてのスシが高いステータスを得るようになる。松久信幸、レストラン「ノブ」のシェフである。彼がそれ以前に店を出していたペルーのスパイス、ニンニク、唐辛子、コリアンダーなどローカルな食材を使いながら創造的なスシを握ることで、スシは「食文化の一つのスタイル」としてブランドを獲得していく。

 食はもはや機能ではなく文化として需要されている。何を食べるかという選択肢は、生きるためよりは楽しむためという嗜好性が強まっており、各国文化の食がどれほどブランディングできているかというマーケティングの結果であると考えると、食の浸透もアニメやゲームとさして変わらない。そのブランドがどうやって出来上がっているかの過程は共通するところが大きい。それは「現地の媒介者」である。

 ロサンゼルスのリトルトーキョー「東京会館」のような、日本人コミュニティは寿司も醤油も豆腐も、新しい食材文化を取り入れるときの最初の発信源となった。カリフォルニアロールはまさにこの場所で生まれたし、先述の豆腐のPR発信源となったのもこの土地である。ノブの場合にはロバート・デニーロをはじめとするハリウッドスターによる口コミ・支援効果が非常に大きかった。もともとはヒッピーなどアウトサイダーにしか受けなかったスシが、公的なお墨付きを与えていったのは現地でブランドを確立しているセレブ達であった。

 そのうえで、日本食の大きな転機は、実は「日本人の帰国」だったのではないかと思う。プラザ合意の80年代半ば、それまで最大の顧客であった日系企業の駐在員が円高ドル安でみな帰任していった。そのなかで、萌芽を感じ始めていた90年代前半の中国人・韓国人移民がよってたかって寿司ショップや日本レストランを開く。彼らの現地に根付く人間のローカライズした味付けがあって、はじめて日本食が「米国人の日本食」になったのではないだろうか。

15年という挑戦時間

 異文化において「15年」というのは一つの区切りなのではないかと思うほど、この時間軸で成功をつかむ企業が多い。トヨタがアメリカで営業開始した1958年から石油ショックを契機に急激に売上を伸ばすのが1973年、ソニー盛田昭夫が米国市場の開拓を始めた1955年から300万ドルのビジネス規模になって米国支社をシャノンに引き継ぐのが1971年、バンダイアメリカが1978年に設立してからパワーレンジャーの大ヒットは1993年、森永アメリカが1985年に設立してから米国FDAでヘルシーフードとして認可が下りたのが1999年。渡米の時に目標とされた2000万丁販売に到達したのが2000年だった。事例をたどっていくと、ほとんどの製造・食品・玩具メーカーの米国展開において「15年」はフェーズが切り換わるタイムスコープになっている。

 この15年の投資価値はどのくらいだろうか。ほとんどの食品系メーカーが海外売上比率はいまだ10%の壁を越えられていないが、例外がある。味の素、キッコーマン、ヤクルトである。海外売上比率は半分を超え、営利でいえば大半を海外が占めるようになっている。各社の成功要因はまた追って分析していくが、それぞれの15年の価値が2010年代に入って他社と大きく違っていることを示すため、売上5千億円級の会社を比較した。2010年代に入ってから海外という別ロジックの市場を展開していたキッコーマンとヤクルトは売上年4〜5%ずつ成長し、時価総額は年12%を超える成長を見せている。対するグリコと森永は売上は年0〜1%の成長。時価総額こそ年8〜10%で成長したが、その絶対額は前者2社とは2〜4倍の違いがある。海外市場の開拓は「長期的な成長ポテンシャル」と「株主からの期待値」という点で格段の違いを生む。これは今後停滞が必然になる日本市場で、各企業がすべからく直面する課題だろう。

 エンタメ産業と今回の食産業に共通することは「習慣ビジネス」ということ。人々の社会的生活に入り込み、その商品・サービスに触れることを日常習慣としてもらう。それは機能性を代替することものというよりは、その情緒に触れる価値を一番のブランドとしているものである。それであれば情緒を刺激し、満足してもらうために、なるべく身近なものとして「われわれのモノ」として習慣に滑り込ませなければならない。それが15年だと私は感じている。異国の地にも15年、「習慣の刷新」に向けて日本コンテンツの北米展開はいまも絶えずマーケティングを続けている。

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中山 淳雄

ブシロード執行役員&早稲田MBAエンタメ学講師。リクルートスタッフィング、DeNA、デロイトを経て、バンダイナムコスタジオで北米、東南アジアでビジネスを展開し、現職。メディアミックスIPプロジェクトとともにアニメ・ゲーム・スポーツの海外展開を推進している。東大社会学修士、McGill大経営学修士。著書に”The Third Wave of Japanese Games”(PHP,2015)、『ヒットの法則が変わった』(PHP、2013)、『ソーシャルゲームだけがなぜ儲かるのか』(PHP、2012)ほか。