ハリウッド―100年間のサバイバル|世界でエンタメ三昧【第61回】

中国1兆円、日本2千億円の映画産業

 日米の映画産業の違いは、面白いほどに顕著です。日:米で1億人:3億人の国民がそれぞれ年1回:年4回映画をみるため、観客数でいうと10倍近い違いがあります。ですが、1回あたりの単価が1500円:700円と半額も違うため、市場規模だけでいうと米国は日本の5倍くらい、といったところ。日本はそれでも世界2位の市場で、英・仏・韓・印がそのあとに続く…という市況が1980年代ごろから30年ほど続いてきました。図1をみると実は1960年代から日本はずっと米国の1/5という規模で成長してきた有望市場ともいえます。

 が、ゲーム業界やほかコンテンツ業界と同様に、この10年で中国の躍進ぶりは特にこの映画業界で際立っています。2005年に300億円と1/10規模だった中国は、2010年にはほぼ同水準に並び、2015年には日本の3倍差となる6千億円超え。2019年では米国の1兆円規模に並びます。2020年以降は市場規模としても世界最大は中国になるでしょう。かつてフランスから第一次世界大戦の戦火のおりに映画の都の称号を米国が奪ったように、いまは中国がその役割を担っています。なぜハリウッドが中国に向けた映画を作ろうとやっきになるかは当然のことでしょう。

生き残りをかけたハリウッドの戦い

 現在のハリウッドには産業が生存するための100年分の歴史が詰まっています。そもそも映画自体が1895年のフランス・リュミエール兄弟によって発明され、1910年ごろまで世界の映画の中心はフランス・パリでした。西海岸の果て、ハリウッドでの映画製作は当時としてはあまりに荒唐無稽なアイデアでしたが、欧州とニューヨークなど東海岸で映画特許権での裁判喧噪、スタジオ同士の戦いはお互いの会社の機材を壊し合ったりとひどいものでした。新天地で難を逃れるために、あえて「何もない」ハリウッドが選ばれたのです。現在もMajor6と呼ばれている映画最大手スタジオは皆この時期にうまれています。Walt Disney(1925)、Warner Brothers(1923)、Colombia/Sony Pictures(1924)、21st Century FOX(1916)、Paramount(1914)、Universal(1912)です。当時はここにMGM/United Artist(1915)、RKO(現在のワーナー)なども含み、トップ8社が大手と称されていました。ハリウッドが映画の都と称されるのは1910年代後半ごろのちょうど100年前。第一次世界大戦の戦火でフランスがダメージを受けたなかで、相対的に地位が向上したことによります。ちなみにアメリカが世界GDPの半分を占めた覇権のピークも第二次世界大戦後。アメリカの優位性はなによりも戦いの渦中にあった欧州からの地理的距離にあるのかもしれません。

 1930年代ごろになるとこうしたMajor6を中心に垂直統合・寡占化が進み、フォード式のような分業・大量生産体制なスタジオシステムが出来上がります。制作・配給・興行まですべて1社でおさえ、力をかけて作った大作と駄作をごちゃまぜにしてセット売りするような状態で、作品の質も当然ながら劣化します。作る前から上映館が決定されて売上も見込める、クリエイティブ産業の歴史でビジネスを先行しすぎて産業が壊れていく事例ではかならずここにぶちあたります。それゆえ1949年になって制作・配給・興行は資本の連ならない別会社で行うことが司法判断されています。

 1950年代に入るとテレビとの闘いです。全米の週次観客数をみると9千万人(1946)-6千万(1950)-4千万(1960)-1.7千万(1970)と急落が止まりません。日本の映画産業も概ね同じ軌跡を描いています。30年間で1/5になる、そんな「衰退産業」としての映画が現在のような姿に回復できるとはだれも思っていなかったでしょう。生き残りのための買収合戦で、各スタジオが生存するのに四苦八苦。第55回でウォルト・ディズニーが苦しんでいた時代と重なります。

 日米映画産業の違いはこの1970年代に生まれたように思います。日本映画はヤクザと日活ロマンポルノのようにTVにはできない高い年齢層向けのジャンルで当てに行きますが、ハリウッドは「俺たちに明日はない」「イージー・ライダー」「スター・ウォーズ」などTVに走り切っていない若者をターゲットにし、新しい市場を開拓していきます。そして何より東宝・東映など制作スタジオはTVと距離を置きながら勝新太郎や石原裕次郎のようなタレント・プロデューサーをTV業界向けにコンテンツ提供者として取り込んでいったのに対して、ハリウッドはタレントを抱え込んだ制作スタジオ自身がTV向けプログラムを作るようになっていったのです。映画とTVが制作観点で統合していくアメリカと、映画とTVがすみ分けをして分離していった日本。図2でハリウッドのMajor6と、日本の東宝・東映・松竹の成長推移を見比べると、(日米それぞれのGDP成長も大きな要因ですが)、両者の差は90年代以降に大きく開いていく過程が見えます。

寡占とクリエイティビティ

 ちなみにハリウッドがよくて、日本映画が悪いという話ではありません。日本映画産業も不況知らずで、音楽・出版・新聞などコンテンツ産業が苦しむ2000年代に入っても市場規模は微増傾向にはあります。TV・アニメと手を組んで、映画館というロケーションにとらわれない業容拡大を常に行っている点では多くの学びがある産業です。国家景況と法律に振り回されながら各企業と企業コンソーシアムで判断することが、次の産業のポテンシャルをどう切り開いたかという結果論ですが、そこに現在我々が判断すべき材料がたくさんそろっているのです。

 ただ注目すべきは、ハリウッドの歴史はコンテンツ産業のなかでも最も大手企業の寡占、訴訟・契約問題、M&Aによる統廃合という生臭い話にあふれ、常にビジネスとクリエイティビティのバランスのなかで軌道を修正するタイミングがあり、勝ち残ってきたという点かと思います。いまや世界の富の中心を謳歌するシリコンバレーですら、2000年代前半は暗黒の時代でもありました。ネットバブルの余波が残り、これからはインドだ中国だと人材が流出するまさにその時期に、Google、Apple、Facebookが生まれているのです。「もうシリコンバレーは終わりだ」と10数年前には言われていたその場所で起こったことは、ハリウッドの100年のなかでも何度も起こっているのだろうと推測されます。

 起業とはすべからくクリエイティビティを要する作業です。市場に存在しないものを創り上げ、練りこむものだから。それは大企業化し収益が安定すればするほどなじまないものであり、産業の中にいかに異分子を組み込む余地を残すかという産業構造設計がとても大事になります。ハリウッドのMajor6だけで2019年の興行収入シェアは83%ですが、実は映画の制作・配給を行っている企業は1000社近くあります。毎年Major6がつくる150本程度で8割のシェアを持っていくのに対して、ほかの独立プロダクションが1000本近くつくり、2割のシェアを食い合う。だがこの独立プロダクションのたたき上げがMajorに引き上げられたり、会社・タイトルごと買収され、業界の新陳代謝が担保されるのです。

 図2でもDisneyが1980年、大手のなかでは極めて小さいポジションにありました。そのDisneyが現在最大手の位置を占めることができた背景には、Disney Studioそのものからはビックタイトルが生まれなかった時期にクリエイティビティを外部から調達したからです。ファミリー向け映画しかやってこなかった方針を1984年の社内ベンチャーのようなTouchstone Studioが覆し、Disney史上はじめてヌードがでてくる映画なども制作していきます。2006年にスティーブ・ジョブズから買収したPixerもそれで、祖業であるDisney Animation Studioの制作方針も、がらりとPixer型に変えることに躊躇がありません。

 アニメもゲームも同じです。インディーなくしては産業なく、インディーこそが産業のR&Dラボとなり、牽引していくのです。

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中山 淳雄

 ブシロード執行役員&早稲田MBAエンタメ学講師。リクルートスタッフィング、DeNA、デロイトを経て、バンダイナムコスタジオで北米、東南アジアでビジネスを展開し、現職。メディアミックスIPプロジェクトとともにアニメ・ゲーム・スポーツの海外展開を推進している。東大社会学修士、McGill大経営学修士。著書に”The Third Wave of Japanese Games”(PHP,2015)、『ヒットの法則が変わった』(PHP、2013)、『ソーシャルゲームだけがなぜ儲かるのか』(PHP、2012)ほか。仕事・執筆の依頼はこちらまでatsuo.no5@gmail.com