フットボーラー 中島ファラン一生 Issey Morgan Nakajima-Farran

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1:11月26日のAリーグ第8節では、ホームのファンの前で二得点の大活躍で満足げな表情を見せた。(写真提供・Brisbane Roar)


Star of the TORJA2012 TORJA編集部が2012年大活躍を予想する3名に独占インタビュー。

サッカー・カナダ代表として26試合出場の実績がある日系カナダ人フットボーラー、中島ファラン一生。彼は現在、カナダから遠く離れた南半球の豪州でプレーをしながら、およそ1年ぶりとなるカナダ代表復帰をしっかりと見据える。カナダ代表への思いや来る2012年の決意を聞いた。

本文=植松久隆(スポーツ・ライター)


「カナダ代表の“日本人”」というと、ほとんどの日本人は首を傾げる。しかし、プロのキャリアを日本でスタートさせ、日本語を不自由なく話す日系カナダ人の中島ファラン一生が、カナダ代表であることは紛れの無い事実。それでも、本人が冗談めかして「カナダで日本人に応援されたことがない」と言うように、カナダ日系社会での知名度はまだまだ。それもあって、本人も試合2日前の練習直後にも関わらず、カナダの日本人にアピールできる良い機会だと喜んで取材に応じてくれた。
彼が現在レギュラーとして活躍するブリスベン・ロアは、豪州Aリーグで昨季から前人未到の36戦無敗記録を続けた国内きっての強豪。そのチームに彼が移籍を決断したのには、カナダ代表への復帰が深く関係している。「移籍を決めたのは、ACL(アジアのクラブNO.1を決めるアジア・チャンピオンズ・リーグ)に出られるということが大きい。(昨年3月の最後の代表招集以降も)カナダ代表のスタッフと密に連絡を取っているし、このチームで結果を出し、ACLで活躍すれば、代表復帰への大きなアピールになる」とカナダ代表復帰への強い意欲を隠さない。
そのカナダ代表の12年の大目標は、6月に迫る14年W杯ブラジル大会北中米第3次予選。彼も「ここAリーグのシーズン後半戦の3月にACLが始まるという流れなので、調子を落とさずACLの高いレベルの試合を消化していけば、いい状態でカナダ代表に合流できる」と、そこに照準を絞っての復帰プランを描いている。

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2:インタビューはブリスベン郊外のロアのトレーニンググランドで練習直後に行われた(筆者撮影)3:チームでの活躍でブリスベンでの注目度も高まりつつある。本拠地のサンコープスタジアムで中島ファランの横断幕を掲げるファン。(筆者撮影)4:練習直後、ピッチ上での写真撮影にも気軽に応じてくれた (筆者撮影)


そんな彼が、22歳のときに自らの生国カナダの国の誇りを掛けて戦うことを選ぶことになるまでの道のりも決して平坦ではなかった。ユースの3年間に所属した東京ヴェルディとのプロ契約が叶わず、当時J2のアルビレックス新潟にプロ契約で入団するも悲願のJ1を目指すチームの中で出場機会に恵まれず、翌年、新潟の下部組織でシンガポール・リーグの新潟アルビレックス・シンガポールに放出される憂き目に会う。
しかし、失意で向かったシンガポールが彼のサッカー人生を変えることになる。「正直、シンガポール?って感じだったけど、ここで結果出せば必ず呼び戻されると信じて必死にやった」と自ら語るその努力が、シンガポール・リーグでの大活躍という結果に現れ、その活躍が日本ではなく欧州のクラブの目に留まる。「新潟に戻るつもりではいたけど、正直、復帰の可能性が見通せなくなっていた」という状況下で、すぐにでも移籍して欲しいと熱心に誘ってくれたデンマークのヴェイレBKへの移籍を決断。移籍初年からチームMVPになる大活躍を見せたことで、彼の元にカナダ代表招集の吉報が舞い込む。
「他国から帰化して日本代表になった選手はたくさんいるけど、僕のように日本国籍を失ってまで他国代表になったっていう例は他に無いみたい」と語る彼が、カナダ代表からの打診を受けたときは、誘いを受けることを即答した。「日本U‐20代表が遠征してきてシンガポールU ‐23代表と試合をした時に、シンガポール代表のゲスト・プレーヤーとして呼ばれて、途中出場で点を決めてMVPになった。自分としてはかなりインパクトを与えたと思ったけど、
日本代表の夢は諦めたが、新潟所属時に叶わなかったJリーグのピッチを踏むという夢は諦めていない。それは、本人の言葉を借りるのなら「夢というよりは、フットボーラーとしてのモチベーション」。「ACLでその夢がひとまず叶うけど、やはりプロとしてJチームに所属してピッチに立ちたい」とキッパリとその強い思いを吐露する。ヴェルディでプロ契約を果たせなかった最初の転機、新潟でチャンスを貰えずにシンガポールに出された転機、新潟に戻れず欧州に旅立った転機、その全ての節目で持ち続けていたのは「見返す」という思いだと語る彼は、「日本サッカー界にプロ選手として活躍しているところを見せて、いろんな意味で『見返したい』という気持ちが強い。ACLでインパクトを与えられれば、Jからの誘いもあるかもしれないし、ACLでのJチーム(元旦に決まる天皇杯勝者)との対戦は僕にとって最高の舞台」と目を輝かせる。

サッカー選手として日本、シンガポール、デンマーク、豪州と渡り歩いてきた国際経験豊富な彼に、「カナダ代表とはどんな存在か」と質問したときの答えが印象的だった。「日本ではどこかで“外人”というか、“よそ者”という感じで特別視される部分があったし、5年を過ごしたデンマークでもやはり“よそ者”。でも、初めてカナダ代表でプレーしたときに『あぁ自分のチームだ』って心底から思えた」。
本人は、そんな“自分のチーム”カナダ代表で一番印象に残る試合に「08年5月のブラジル戦」を挙げた。その試合で、オフサイドぎりぎりで抜け出してキーパーと1対1になるビッグチャンスが巡ってきた。「キーパーが出てきたところを、うまくボールを浮かしたけど、ボール半分ずれて絶対的なチャンスを外してしまった。超満員の観衆の前であのゴール決めてたら、人生変わっていた(笑)」と笑う。さらに「どう変わってた?」と尋ねると「今頃、バルセロナでプレーしてたかも(笑)。それは冗談だけど、もっと良いオファーが来てたかもしれない」と答えてくれたが、そこには未だ拭えぬ後悔の念が含まれていた。
しかし、彼にとっての本当の意味での最高の経験は、まだ実現していない。「カナダ代表と日本代表の対戦が実現すれば、もうそれはサッカー選手冥利に尽きる。そのためにも、代表に戻らなければならない。とにかく、ピッチでカナダの国歌“オー・カナダ”を聞くあの感動をもう一度味わいたい」と語る強い意志を感じさせる鋭い視線の先には、再びカナダ代表のジャージをまとう自らの姿がはっきりと映し出されている。

最後に「カナダの日本人、日系人に何か与えられるものはありますか」と問うと、「僕自身、まだ大きなことを成し遂げたわけではないので、偉そうなことは言えない。でも、フェースブックとかで、まったく知らない日系人の若い子から『僕も一生さんみたいに』なんてメッセージが届いたりするので、そういう意味では少しは与えられているかもしれない。日系とかこだわらず、誰でも好きなことをやり続けることで必ず何か得られるものがあるはずなので、がんばって欲しい」とのメッセージを託してくれた。
彼がカナダ代表に復帰を果たした暁には、カナダ日系社会全体で熱い声援を送ってもらいたい。自らは強く意識せずとも、“カナダ代表の日本代表”である彼の活躍は、カナダ日系社会に明るい活力をもたらすはずだ。その意味でも中島ファラン一生の2012年から目が離せない。