トロント日本映画祭 最優秀賞作品『洗骨』照屋年之 監督 スペシャルインタビュー|トロントを訪れた著名人

〝そこにあるのは亡くなった人に対する愛情の美しさ。「洗骨」という風習を通した沖縄・粟国島の家族愛は、カナダの人の心にもきっと届くと信じています〟

 風葬された死者が骨だけになったころに掘り起こされ、縁者によって骨をきれいに洗ってもらうことでこの世に別れを告げる、沖縄の粟国島で受け継がれている風習「洗骨」。本作は、脚本・監督を務めたガレッジセールのゴリさんこと照屋年之監督が、独特の風習を軸に家族の物語を笑いあり、涙ありで綴る感動作だ。

 舞台挨拶では、「洗骨という風習に皆さん衝撃を受けると思います。骨を洗うということだけを聞くととても怖いことだと思うと思います。でも、僕は実際に骨を洗う映像を見たのですが、まったく怖くなかったです。そこにあるのは亡くなった人に対する愛情の美しさだけでした。これは「洗骨」という風習を通しての家族愛です。粟国島という小さな島の物語ですけど、トロントの人の心にも届くと絶対に信じています。僕は日本ではコメディアンでもありますので映画の半分は笑って、半分は泣ける映画になっています」と作品への想いを述べた。

 冒頭、最優秀作品賞に輝いたことも発表され、「子供のころ、多くの映画に救われました。映画で幸せな気持ちになれたし、映画は僕に勇気を与えてくれました。今度は僕が子供の頃に感じた気持ちをより多くの人に感じて欲しい」と受賞の喜びを満面の笑みで語った。

〝人生の半分以上がお笑いの世界。笑いに対するこだわりが強く、脚本の中でもふんだんに笑いを追求〟

ー脚本も兼ね監督も務めた今作ですが、こだわりやこれまでの俳優・監督・芸人としてのキャリアがどう活かされていますか?

 僕は人生の半分以上、約24年間もお笑いの世界にいますので、やはり笑いに対するこだわりが強く、脚本の中にはふんだんに笑えるところを盛り込みました。

 だからといってただ笑えるコメディ映画だけにするつもりはなかったです。「洗骨」というシビアなテーマを、あまり重すぎるような伝え方はしたくなくて、かといってせっかく大事な死者を慈しむ儀式に対して、それを笑い飛ばすというのも失礼だと思うので、笑えるとことは思いっきり笑い、しっかり考えてもらいたいところは考えて、泣けるところは泣けて、共感できるところは共感できるようにバランスよく構成しました。

 僕自身、笑って泣ける映画が大好きなので、ただ面白かったとか、ただ悲しかったではなく、「もう泣けたけど笑った!」という映画が僕の理想なので、そういう意味では満足できた作品が作れたと思っています。

ー『洗骨』を作るきっかけが、沖縄国際映画祭で地域活性化のため短編映画を撮っていたことと聞きました。実際粟国島への反響、また島の人々の声はいかがでしたか?

 こんな小さな何もない島を有名にしてくれてありがとう、と言ってもらえました。粟国島に行って思ったことは、何もないのが逆にいいというか、実は必要なものはすべてあるんですよね。水もあるし、魚も獲れる、土地もあるから野菜も育てられるし。ただ、それ以上のものを人間は欲しがるから、何もないと思うだけであって、生きていく上で必要なものはそんなに多くないんだなって思います。

ーモスクワ国際映画祭には実際に舞台登壇をされたと伺いました。

 観客の方に「実はモスクワの田舎の方でも昔は亡くなった人の骨を洗っていた」ということを聞き驚きました。沖縄の小さな町で残っているこの風習が遠く離れた、言葉も目の色も食べ物も文化も違うロシアで、同じような死者に対するお別れの風習があったと聞くと、ロシアを近く感じました。

 日本人カナダ人ロシア人と分けるというよりも、みんなが一つの地球人、また地球が小さくひとつにまとまった感じがして嬉しいですね。やはりどの国でも亡くなった人に対しては、悲しいし愛にあふれていて人間ってみんな同じなんだなと感じました。

〝俺だけじゃないんだ悩んでいるのは、私も明日から頑張ろうと思える作品作り〟

ー今後撮ってみたい、挑戦してみたい映画はありますか?

 僕自身がすごく小さいときから自信がなかったり、不安だったり、寂しかったり、自分の中で常に勝ち組で生きてきたわけではないです。そんな中でエンターテイメント・お笑い・映画・ドラマ・ミュージックに救われて生きてきたので、やっぱり僕自身がつくる映画でも何かでつらいとか、何かに困っているとかという人たちに焦点をあて、彼らがどうやって乗り越えるか、どういう風にして人生を力強く前に進んでいこうとするかを表現する作品をどんどん作っていきたいですね。

 僕の映画を見ることによって「俺だけじゃないんだ、悩んでいるのは」、「私も明日から頑張ろう、頑張って学校とか仕事にいこう」と背中をちょっとでも押してあげられるような作品になれば良いですね。

ー沖縄を拠点とした活動やサポートをたくさんされていますが、きっかけを教えてください。

 これは正直に言いますと「歳」ですね。若いときは、東京にいきたい、東京最高などと思っていましたが、30代40代なり結婚して家族ができて自分の人生をもう一回顧みるというか、自分のアイデンティティを考え出したのがきっかけです。

 そして行き着いたところは、やっぱり自分をつくってきたのは沖縄だと。沖縄で育ち、初恋をし、ケンカをして傷ついて、つらいときに助けられて友情を感じたり、色々な人生経験は沖縄で学んできたので、沖縄に恩返しがしたい、なにか沖縄に貢献できないかと思うようになりました。

 東京に出たからこそ気づいた沖縄の魅力や良さを通じて、映画になるような題材や風景がたくさんあるので、沖縄で撮影する醍醐味も感じますね。

ー今回『洗骨』を観て監督の作品に感動した方々に、これまでの作品でぜひ観てもらいたい作品を挙げるとすれば?

 全部本当は見て欲しいですね。でもあえて選ぶなら、長編映画の『南の島のフリムン』です。これはドコメディで感動とかほぼないです。でも国籍関係なく誰もが笑えると思います。

ー日本を飛び出して自分探しや夢を追う若者がカナダにもたくさんいます。監督の若い頃の経験や努力に対する考え方を教えてください。

 当初、僕は芸能人になれるとは思っていなかったですし、なりたいとも思っていなかったです。ただ東京で大学をでて少しでも良いところに就職できたらなという気持ちで東京に来ました。

 やりたくないもない勉強を4年間もするなら映画学科で映画を勉強して卒業したほうが楽しいかもと当時は思っていました。映画学科なので実際に学生たちで映画を撮ったり演じたりして、実際にプロの現場でエキストラをやってみたりとかすると、芸能界も近く感じました。

 きっと多くの人が挑戦を始めたとしても、プレッシャーや諦めた時のことを想像して、あいつ逃げたダッセーって思われるのが嫌で、チャレンジそのものをしなくなってしまうんですよね。挑戦するからには逃げないでちゃんとやろう!と自分自身にプレッシャーをかけてしまっているというか、日本人は周りの目を気にしますからね。

〝挑戦も逃げるつもりで足を一歩だけ踏み入れてみる〟

 でも僕は逆の発想で、いざとなったら逃げるつもりで足を一歩だけ踏み入れてみようと考えていたんです。無理だと思うけどとか、自分がなれるわけないよなと思いながらも、人生を後悔はしたくないから、一歩だけ足を踏み入れてみようと。

 ちょっとだけでも足を踏み入れると、今までのいたところよりも一歩だけ前に進んだだけなのに、見える景色が違うわけですよ。そのことに気づくともう一歩進みたくなって、どんどん景色も変わっていって、まだまだ行けるかもと思えるようになって、そうするとやる気も出てくるんですよね。

〝夢を追いかけている人にとって、その道は苦しくない〟

 学校の勉強は楽しくないけれど、自分のなりたい夢に対する勉強は苦ではなかったです。先輩の笑いをたくさん見て、いっぱい盗んでおもしろいことを書いて、相方と練習して人前に出てウケないことに気づいてまた考えなおして。僕らがやってきた経験とか苦労というのは、人によっては耐えられないと言うかもしれないですが、夢を追いかけている人にとって、その道はそこまで苦しく感じないかもしれません。

ーワーホリの皆さんへ

〝とりあえずなんとかなるかなと思っていても、実際はなにもならない〟

 今ここにいるワーホリの方も何かを成し遂げるために来た人もいれば、とりあえずなんか自分を変えたくて来た人もいるかと思います。「とりあえずなんとかなるかな」と思っている人も多いと思いますが、でも実際はなんともならないですよ。

 せっかく一回しかない人生をカナダで生活するなんて、誰もができるわけではないのでせっかく海外に飛び出て来たのなら、自分の目標を下げる必要もなく突き進むと良いですよ。僕だって一番面白かったとか、モデルみたいに顔が良かったわけでもないけど、こうやって芸能界で食べていけているわけですから。

 人にはきっと本当にやったら苦じゃないという夢があるはずなんですよ。チャレンジするときは最初から逃げ場をつくって、ダメだったら逃げてもいいと思えるくらいの余裕で臨んでください。その方がきっと挑戦しやすいと思います。

照屋年之 Toshiyuki Teruya

 芸名:ガレッジセール・ゴリ。1972年沖縄県那覇市生まれ。日本大学芸術学部映画学科演劇コースを中退後、お笑いコンビ、ガレッジセールを結成。テレビ番組を中心に活躍し、ゴリエとして「第56回紅白歌合戦」にも出演。NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」では主人公の兄役を好演。06年、短編映画『刑事ボギー』で監督デビューを果たす。『born、bone、墓音。』(16)は、ショートショートフィルムフェスティバル&アジア(SSFF&ASIA)2017のジャパン部門賞グランプリ、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2017でも観客賞を受賞した。

『洗骨』 観客Q&A密着ルポ

〝母親のおかげ。母親がいなかったらこの映画が作れなかったですね〟

Q この映画はどのようなことからインスピレーションを得ましたか?

A まず粟国島に「洗骨」という風習があることを知り、また同じ時期に僕の母親も亡くなったというのがきっかけとなりました。母親が横たわっているのを眺めていると、彼女と過ごした色々な思い出をすべて思い出しました。そして思ったことが、この人がいなかったら僕がいなかったということです。そして母がいたのは、おばあちゃんがいたからだ。またそのおばあちゃんを生んだお母さんがいたからおばあちゃんがいると…。そうやって人間が誕生するぐらいまでさかのぼっていった時、祖先が生きることをあきらめなかったからその命が自分のところまで続いているんだなと感じました。

 その時、祖先から今日生きている自分までがひとつの細長い体になって、一つの体になったイメージが浮かびました。映画にもありましたけど、「祖先を洗うということは自分自身を洗うということだ」というセリフが浮かんだ瞬間でもあります。それもこれも母親のおかげだと思っています。母親がいなかったらこの映画が作れなかったですね。

Q 日本では有名なコメディアンですが、映画を作ろうと思ったきっかけはなんですか?

A 事務所が映画を作らないかとチャンスをくれたのが始まりでした。実際に作品を生み出すというのは自分の子供を産んだような感覚です。苦しみから生まれたからこそ、可愛くて仕方がない、その作品の可愛さを知ってしまったことですかね。

 基本的に映画を撮ることに集中したいので監督として参加をしています。自分が出たいというより、作ることの方が楽しみになってきています。自分が出る方の仕事も増やさなきゃなって思っているんですけど、後ろからお客さんが笑って欲しいところで笑っているのを眺めていると、もう何ごとにも代えがたい快感を感じますね。

Q 風習に関する監督の考え方を教えてください。 

A 父親がこの映画を見た後に、「お父さんも亡くなったら洗骨してほしい」と言ったんですね。でもうちの兄貴が「面倒だから燃やす」といい、火葬に決まりました。僕自身も映画で「洗骨」を描きながらとても美しい風習だなと思ってはいるんですけど、でもやはり洗骨はとても大変な作業で、衛生的なこともあります。蓋を開けるタイミングがずれるとまだ皮や肉が残っていたりするので、一度戻さなければなりません。

 映画では美しいところだけを描いていますが、もちろん大変な部分もありますからそういう部分で僕自身も映像を見ただけの人間でやったことがないので、これを残すべきだとは粟国島の人たちにとてもじゃないけど、言えません。僕の子供もこの映画みて泣いていましたけど、僕が死んだらたぶん火葬を選ぶと思います。

Q 映画のキャラクター設定がとても素晴らしいと思いました。どのようにして思いつきましたか?

A 基本的に僕の家族に近いです。親父と長男が少し仲が悪かったり。妹と弟はいないのですが、『Born Bone Born』というタイトル通り、人は亡くなるけれどまた新しい命が生まれるというのを表現するためにも、どうしても妊婦という設定が必要でした。

 ただ妊婦というわけではなく、結婚できない相手との子供だったということで家族にもめごとを起こしたかったです。自分の実際の家族をヒントにしたのと想像でこういう風にしたら面白いかなっていう風に掛け合わせました。