銀杏・木村オーナーシェフのカナダストーリー Vol.3 ~ 木村さんの挑戦、その始まり

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2号に分けてご紹介してきた、銀杏レストランの魅力、それの維持に努力を惜しまない木村オーナーシェフ。その原動力の元はどこから来るのだろうか。

今月号からは、木村さん個人が持つ歴史を振り返りながら、その当時のカナダの様子を辿っていきたいと思う。

Vol. 3 木村さんの挑戦、その始まり

1973年、バンクーバーに長い海路を経て、木村さんはカナダに降り立った。カナダ横断鉄道を超え、ようやくトロントに訪れたのは、忘れがたい1月28日のことだったそうだ。気温は−15度、カナダの冬の厳しさを、その身を持って体感したのだという。

「トロントに着いたばかりの時は、まだ冬がそんなに寒いことを知らなくて、背広とトレンチコートという出で立ちだったものですから、寒くて空腹も重なって、“あー大変なところに来てしまった。”と、泣きたくなったことを覚えています。大学の時からお世話になっていた先生のところに泊まって、日本食を食べた時は、本当に涙が出るくらい嬉しかったです。」と当時を懐かしむように木村さんは語り始めた。

木村さんがカナダに来て初めて撮った写真。カナダの紅葉に感動したとのこと。

木村さんがカナダに来て初めて撮った写真。カナダの紅葉に感動したとのこと。


木村さんがカナダ上陸を果たした1970年代より少し前、1966年日本からカナダへの移住が再開された。そのほとんどが、車のメカニック、コンピューターのプログラマー、医者など技術者だったのだという。

「1960〜70年代は日本に向けて移民を開始した年で、年間700〜800人の日本人がカナダに移民していました。当時のカナダでは、給料が良くて安定していて、若い世代にはとても良い待遇、国だと思われていたようですね。」

1970年はジャスティン・トルドー現首相の父であるピエール・トルドー首相が就任したばかりで、カナダも激動の時代を辿り始めた。戦後間もない時、技術者たちが溢れるトロントの街で、木村さんは彼らとは別の大志を抱いて歩み始めた。

「私は小さい頃からずっと剣道ばっかりやってきました。大学卒業間近には教職や警察関係の仕事に携わることも可能でした。実際に、日本県警や警視庁からもお声をかけていただいていました。でも、その時に、剣道で自分の人生を終わるような気がしたのです。剣道以外のもので、自分で何かしたいと思い、カナダに来ました。」、その言葉通り、木村さんの挑戦はまさにトロントから始まったのだ。

次回は、木村さんが初めてオープンした日本食レストラン“ささや”、木村さんの軌跡とトロントの移ろいをご紹介しよう。