「精いっぱい、生きていますか?− ①」 | トロントの日系幼稚園の園長先生コラム【第79回】

2018年に入り早くも2月になりましたが、皆さんの今年の抱負は順調に進んでいるでしょうか。私はこの2017年から2018年の年末年始にかけて、喜怒哀楽(怒はないかな)、起伏の激しいまた色々な事に想いを伏せて時間を過ごした毎日でした。
 
昨年末に家族同様大切に約14年もの年月・時間を過ごして来た愛犬クーザーが安らかに永眠致しました。2年前に我が家にやって来たパピーミル(悪徳ブリーダー)からの保護犬であるビオラはクーザーという生活の指針を失い、途方に暮れ、うつ状態になり始めていたのと同時に、私達家族もかなり悲しみに陥り辛い状態というのもあったため、心の傷を埋めるかの如く、新年早々に別の保護犬を迎え入れることにしたのです。

ルーシーと言う名の新人ワンコは、推定7歳のやはり小型犬。ブリーダーとは名ばかりで、自宅で犬の多頭出産をどんどんさせて、産めなくなるとシェルターに送り込むというバックヤード(悪徳)ブリーダーと呼ばれる場所から来た犬です。幸い、ビオラの様にシビアな保護状態ではなかったことから、恐怖に怯えきった様子は無く、感情を体で表現できて、喜びをも精一杯伝えることができる子ですので我が家への順応も早く、それだけに私達の喜びも一入で、私達家族は悲しみの克服も非常に早くできる結果となりました。


こんなに早く笑顔になることが出来、他界したクーザーに対して、もやは申し訳ない気持ちさえあるくらいでしたが、クーザーがこの新しく来たルーシーとの出会いをさせてくれたのかとも思える程、今では気持ちに余裕が出て来ました。 

前置きが長くなりましたが、私達家族は新年の抱負として、感謝の気持ちを込めて、小さなことでも良いから継続して何か世の中に役に立つことをしよう!と目標を立てることにしたのです。それが『献血』でした。以前からマークが時々していたことから、自宅に献血依頼の電話が掛かって来たことがきっかけでした。

何のためらいもなく、時間の合う時に献血の予約をマークと健人と共に入れ、週末に献血に行ったのです。待っている間、時間があった私は何気無く携帯電話で色々な記事を読んでいました。そこで目にしたのが、26歳の若さで死を宣告されたという女性からの〝アドバイス〟でした。そのアドバイスとは、ユーイング肉腫と言う、主に若者の骨に発生する珍しい悪性腫瘍で亡くなったオーストラリア在住であったホーリー・ブッチャーさんがネット上のSNSに今年、新年早々自身が投稿した内容で(投稿した次の日他界)、それが評判となり記事として紹介されたものを私は読むことが出来たのです。

26歳というと、私の息子健人と同じ年。私の中ではまず、健人が死を宣告されたかのように考えると全く人事ではなく、健人や健人を取り巻く彼女や友人たち、親戚など…それはそれは、若いが故にショックも大きく、どう対応して良いかすらも難しいと思います。
本人は仕事にも就き、これから結婚や出産、家庭を築き生活を充実させ…と、この年齢から考えると夢や希望に満ち溢れている構想しかまず描かないでしょう。ホーリーさんもそう考えていた若者の一人だったのです。家族側の私としても同じで、これから孫の顔を見るのを楽しみに…といった所でしょう。

そんなホーリーさんの全文をご紹介したいところなのですが、本文はかなり長文のため、かい摘んでまた私の気持ちも含めてこれから数回のコラムに渡ってご紹介したいと思います。

*死は免れることができない。26歳でそのことを理解し受け入れることになるなど、誰が想像できるでしょうか。1日はあっという間に過ぎていくのに、多くの人は明日もまた同じ様に1日が過ごせるだろうと信じています。私も愛する人や家族に囲まれて(子供も沢山いて)、いつか白髪が生えるまで、そのまま老いていくんだろうと思っていました。そうやって老いて生きたかった。 

私は、年齢的にホーリーさんのちょうど倍ほど生きているにも拘らず、今日できなかった事は明日に回せば良い、いえ、明日できない事などないと思えるくらい切迫感を感じていません。  

私には明日という時間がたっぷり用意されているからです。明日という時間だけでなく、来年も再来年も普通にやってくるかの如く今は思っています。ある日突然、それが普通ではない、この現代医療の進歩の真っ只中においても先が見えない病気に侵されていると宣告されたなら…?


池端友佳理

京都出身。大阪の大学看護科を経て同大学病院の産婦人科で看護師として経験後、1990年に渡加。伴侶は日系カナダ人三世。一人息子(大学生)の母。1993年に自宅で池端ナーサリー託児所を開設。1999年日系文化会館内に池端ナーサリースクールを設立。園長を勤める傍ら、カナダ唯一の産後乳房マッサージ師として活躍中。