「精いっぱい、生きていますか?− ②」 | トロントの日系幼稚園の園長先生コラム【第80回】

ある日突然、限られた時間しか生きられない病気に侵されていると宣告されたら…?

わずか27歳の若さで亡くなったオーストラリアのホーリー・ブッチャーさんがネット上のSNSに掲載した「私が死ぬ前に書く手紙」(投稿した次の日他界)、それが評判となり記事として紹介されたものを私は読み、心に残ることが沢山ありましたのでここで、かいつまんでシェアしたいと思います。

26歳でユーイング肉腫と言う、主に若者の骨に発生する珍しい悪性腫瘍に侵され死を宣告されたホーリーさんは手紙の中にこう記しています。
*「健康で正常な体をもって生まれた事に今一度感謝してください。そんな自分の体を大切にしてください。どれだけ素晴らしい体なのか今一度考えてみてください。運動をして、新鮮な食事を摂るように心がけてください。でも、もちろん何事もやり過ぎはよくありません。一つ忘れてはいけないのは、精神や心の安定もまた、健康な体と同じくらい大事なことだという事です。もし1日を痛みを感じることなく過ごせたら、その事に感謝してみるのはどうでしょうか。」

私は産まれてから今まで半世紀以上、ちょこちょこ浮き沈みしながら生きて来ましたが、今考えてみれば大病を患った事も、絶望的になる程の心身ダメージを受けた事もありません。ただ、カナダに移住することを夢見ながら亡くなった父の事で、その当時は「どうして父が。まだまだ若くてこれからって言う時に…」と、誰に向けることもできない文句や八つ当たりにも似た感情を持っていた様に思います。普通人は、痛みや辛さを感じると不満に思うものですが、逆に〝1日痛みを感じることなく過ごせたら、感謝しよう…〟などと考えもしないでしょう。私も実際、簡単な手術をしたり、腰を痛めて動けなくなってしまった時は愚痴が多くなり、でも回復の兆しが見えてくると健康の大切さや有り難さをしみじみ感じたものですが、喉元過ぎれば…で、元気になってしまえばその健康がまた当たり前に感じてしまう。その繰り返しの様に思えます。今日1日の自分や家族が笑顔で無事過ごせた事に感謝する。そんな簡単な事も気付かずに日々過ごしているのです。

仕事がキツイ、働きたくない。運動は疲れるから嫌い、したくない。そう考える人もいるかも知れません。しかし、ホーリーさんの様にしたい仕事も続けられない、思う様に体を動かすことすらできない。病床についている人達にしてみれば、仕事ができる環境、運動が出来る健康な身体、それらに費やせる時間。何とも贅沢な話かしれません。

*「文句ばかり言ってないで、もっとお互いに助け合ってください!人から貰うより、人にあげてください。誰かに何かをしてあげる方が、自分が何かをして貰うより幸せになれます。私ももっとしておけばよかった。病気になってから、多くの寛大で親切な人々に出会いました。返しても返しきれない程の優しさや支援を、家族や友人、赤の他人までもが私に与えてくれました。その事を私は決して忘れません。支えてくれたみんなへの感謝の気持ちで一杯です。」

自分が辛い時、苦しい時に優しく親切にしてもらった事は非常に有難く、絶対に忘れないでおこう!とその時は思っても、自分が健康に戻った今、自分に出来る事を他の誰かにしているだろうか?今は忙しいから、出来る様になったら…等と言い訳して後回しにしていないだろうか?何も大それた事をする必要なんてないのです。お互い助け合う。人が生きて行く限り、必ず誰かの力を借りているのです。

人に対する思いやり。誰かを思いやる気持ちを形に変えることの提案もホーリーさんはしています。お金で高価なものを買うよりも、愛情を表現する事。時間を作って一緒に過ごしたり、思いを込めてカードを書いたり。どれだけ相手を思っているのか、愛しているのか、伝えてあげて、と。

*「人生というのは脆く、予測不可能で、それでいてとても価値のあるものです。人生の1日1日は贈り物なのです。誰もが与えられた権利ではありません。」

私たちの周りにも1日1日、瞬間瞬間を大切に思い過ごしている人が必ずいるはずなのです。それを忘れてはいけません。

ちっぽけな事で不服に思う事をやめて、自分の今の何気ない状況や環境を見直してみれば、また視点を変えて見てみれば、きっと感謝の言葉が見つかるに違いありません。

いつか『私の番』が来た時に後悔しない様に、とホーリーさんがより良い生き方の指針を手紙として残してくれた様に思います。それは、かつて病床の父と交わした言葉が重なって私の心に深く刻み込まれたのでした。


池端友佳理

京都出身。大阪の大学看護科を経て同大学病院の産婦人科で看護師として経験後、1990年に渡加。伴侶は日系カナダ人三世。一人息子(大学生)の母。1993年に自宅で池端ナーサリー託児所を開設。1999年日系文化会館内に池端ナーサリースクールを設立。園長を勤める傍ら、カナダ唯一の産後乳房マッサージ師として活躍中。