「カナダの中の日系人と差別」 | トロントの日系幼稚園の園長先生コラム【第82回】

 先月はマークのお父さんの85歳のお誕生日でした。義父は日系2世。

 マークが日本人の嫁(私)を迎え、日本語で話すことがとても嬉しそうな義父。私のことを本当の娘のように可愛がってくれます。そして、今回の誕生日パーティーでもそうでしたが、家族の集まりなどでも私とは日本語で色々なことを話します。今回、たまたま一緒にいた時に付いていた日本のTVのドキュメンタリー番組で戦時中・戦後を差別と闘ってきた日系カナダ人の話が流れていて興味深く一緒に見ていたのですが、同じような体験をしてきた義父はマークにも話したことがないという話を私にしてくれました。

 マークの祖父は和歌山からカナダに移民。マークの祖母に至ってはカナダで生まれ育ち祖母の両親が広島から移民して来たのです。今年85歳の義父は丁度第2次世界大戦の真っ最中に子供時代を過ごし、大変な時期を過ごして来ました。国に家族の財産は没収され、日系人強制収容所に送られ家族で生活し、その後バンクーバーを脱してトロントに移って来たそうです。

 移民に寛容な国であると言われるカナダ。しかし、当時は日系人への差別も酷く、カナダで生まれ育っていながらも〝敵性外国人〟と呼ばれ、カナダ人として扱ってはもらえなかったのです。当然、強制収容所では日本語を話すことは許可されていませんでしたから、義父を始め叔母達(義父の姉と妹)も日本語は達者ではありません。そのため、その子供達であるマークなどの日系3世はすっかり日本語を失ってしまいました。ちなみに義父は随分後になってから独学で日本語を勉強して、かなり上手に日本語を話します。


 財産を失ってしまった家族は戦後日本に戻るか、差別を受けながらカナダに残るかを余儀無くされます。戦後、船で祖父母と共に日本に一時帰国した義父は日本でも白い目で見られ、そこでもまた別の差別を感じます。結局、カナダに戻り、トロントで生活の拠点を置きここで育ち、同じ様な境遇であった義母と出会い、結婚します。私がマークに出会う前に他界してしまった義母とは話す機会もありませんでしたが、大変優しくて思いやりのある女性だったそうです。そんな多くの日系カナダ人達の努力のおかげで今の日系社会があるのだと今更ながら、つくづく思い知らされました。
 
 昨年度は、私達の様な新移住者と呼ばれる人たちが戦後にカナダに移り住み始め、移民法などの法律が改正された50周年であったことから、大きな祝賀記念パーティーを、私も幹事の一人としてお手伝いさせていただき、日系文化会館で開催しました。このTORJAでも「・新移住者の絆」と題して次の様な内容も交えて記事を書きました。

『過去、日系カナダ人が戦中戦後、全財産を奪われ様々な困難があったにも拘らず、また差別や偏見に見舞われても卑屈な様子は微塵もなく、見事な佇まいで生き、このカナダに日系人が幸せに暮らすことが出来るコミュニティを形成してきました。』と。

 しかし、実際に体験してきた方々からすると私の言葉などはあまりにも軽すぎた内容であったかも知れません。今回見た日本のTVドキュメンタリー番組の中で、差別について話す日系人女性メアリー・キタガワさんの言葉にも重みを感じました。

 強制収容所、それは家畜の飼育所として使われていた場所で、家畜の糞尿の匂いに混じった中で生活したのだそうです。床にはウジ虫。強制収容は終戦の翌年まで続き、ようやく故郷に戻っても差別は続き、決して歓迎はされなかった様です。日系人墓地は墓石がなぎ倒され、ゴミに埋まり、そこはゴミ捨て場にされていたと言うのです。彼女は日系人の夫と結婚し、近年は夫と共に日系人への差別をなくすための活動を今も積極的にされています。そんなメアリーさんが心配しているのは、移民に寛容だったはずのカナダ社会の変貌だそうです。元々、カナダ政府は世界で初めて多文化主義政策を打ち出し、様々な背景を持った人たちが共に暮らせる社会を作れる様、舵を切り出しました。しかし、最近はIS(イスラム過激派)のテロなどの影響で、イスラム系移民に対する対応や事件があちこちで起きているからです。

 幸い、私はカナダに移民して来てから今に至るまで〝差別〟的な意味で嫌な思いをした事はさほどありません。しかし、多大な差別を受けて来た日系人の歴史を考えれば、やはりそれを今、新たに他民族に対して繰り返してはいけない。私たちの子供達、孫達の世代のためにも、いつまでも、カナダ人や移民者がお互いを敵対しない、カナダらしいカナダが続きます様に。


池端友佳理

京都出身。大阪の大学看護科を経て同大学病院の産婦人科で看護師として経験後、1990年に渡加。伴侶は日系カナダ人三世。一人息子(大学生)の母。1993年に自宅で池端ナーサリー託児所を開設。1999年日系文化会館内に池端ナーサリースクールを設立。園長を勤める傍ら、カナダ唯一の産後乳房マッサージ師として活躍中。