「日本人の美徳とするところ」 | トロントの日系幼稚園の園長先生コラム【第86回】

 2018年、日本の夏は今までにない記録的な暑さにより、熱中症が原因で何人もの死者が出たほど…そんな蒸し暑い日本に私とマークは短いながらも滞在していました。80歳を過ぎた私の母の調子が今一つで、この暑さと胃潰瘍のせいで食事が全く食べられない…そんな母を少しでも力付けようと思い、また、兄家族と今後の事も話し合わないといけないので、思い切って25年ぶりに夏の日本に帰ってみたのです。

 覚悟はしていたものの空港を出た途端、むわっとスチームに包み込まれたかのような気持ちの良くない空気に加え、ジリジリと皮膚に穴が空くような強い日差しを受け、なぜ今年のこんな季節に日本に帰って来たんだろう、と後悔の念。

 でも、来たからにはせめて楽しまないと!母にも食欲を取り戻してもらわねば…と、意気込んで色々と計画を立てました。母はここ数年、億劫なのを言い訳に外に出かけることがほとんどありませんでしたので、今回はあえてレストランに行ったり、一泊旅行で自宅からわずか30分ほどの場所の温泉旅館に宿を取ったりして気分転換を図るようにしてみました。そうしたところ、目でも舌でも味わえる日本の季節料理のおかげで母の食欲も信じられない程増し、逆にお腹を壊すのでは…と思うほどたくさん食べてくれました。

 そして、日本のレストランや旅館のサービスの良さは格別と、改めて感じました。笑顔と明るい声かけ、そして思い遣りのあるきめ細やかな対応。年老いた母も本当に安心して食事や温泉が楽しめました。客に対する感謝と思い遣り、これは私の大好きな言葉でもあるのですが、その心は日本独特な文化に根付いており、それがサービス業への対応にも表れているのだと思います(にも拘わらず、日本のサービス業の生産性の低さが際立っているのが何とも残念ではありますが、今日は話がズレなようにその件には触れません)。

 その、日本人が古来より大切にして来た感謝と思い遣りに基づいた人間同士の関係。これは震災の中でも規律正しくお互いに配慮し助け合っている姿や、W杯観戦の後のゴミ拾いなど、日本人の美徳として世界中に伝えられ、有名な話となりました。

 さて、話は変わりますが、今回の帰国中に小・中・高校時代の友人達が同窓会を開いてくれました。小学校時代の思い出話に花が咲き、その中で私の往復ビンタ事件が出て来ました。

 それは、ドッジボール大会で私が女子のキャプテンをしていたときの事。審判(学校の先生)の下した判断に納得が行かず、キャプテンとしてその審判に抗議をしたのです。ところが、抗議した事を理由にその先生は私の頰を何度も何度も叩き、謝るように言いましたが頑固な私は決して屈しませんでした。結局、途中で他の人たちに止められ、そこまでとなりましたが…家に帰ってパンパンに腫れた顔を見て母は私に何があったのか問いただし、事の次第を話した私に母は「先生に向かって反抗するなんてとんでもない」と怒り出す始末。なんと、次の日には私が先生に謝りに行かされたのです。いまのご時世にすると考えられない事ですが、私が子供の頃は理不尽なことが普通に多々起こっていたのです。頑固な私の姿が学校中でも有名になり、今となっては笑い話として仲間内で語り継がれるようになってしまいましたが…(笑)。

 先生や目上の人に対しての態度は絶対的なもの…。しかし、これは昔だけではなく、今の体育会系の世界にも大きな疑問を投げかけています。アメ フトや柔道、ボクシングなど、監督や会長が権力を振りかざして選手をねじ伏せる現象は未だなお普通に横行していたのです。日本の美徳となっているはずであった目上と下の関係は歪んだものとなっていました。

 また、今年は異常な猛暑のため熱中症で命に関わる一大事になるケースも後を絶ちません。熱中症の死者数を子供で見てみると、学校行事やクラブなど、本来子供が守られるべき環境の中で亡くなっているケースが非常に多いのには、大きなショックを受けました。

 実は、私たちが日本に滞在中も体感温度40度と言う猛暑の中、夏休みにも拘わらずクラブ中なのか、体操服姿で学校の周りを顔を真っ赤にして走っている生徒達を見かけ、真剣に心配になりました。「このくらいの暑さ、根性で乗り切れ」などと、訳の分からない事を掲げる指導者も中にはいるとか。暑さだけではなく、生活していく上でも「辛くても耐える、頑張る」事を美徳としているのであれば、それは根本的に見直すべきでしょう。昔の人間が日本の美徳として来た、ある意味無理矢理な事柄をそのまま継承して行くことによって翻弄されるのは何の罪もない子供達ですから。頑固に声を発するのも時には必要な事なのです。


池端友佳理

京都出身。大阪の大学看護科を経て同大学病院の産婦人科で看護師として経験後、1990年に渡加。伴侶は日系カナダ人三世。一人息子(大学生)の母。1993年に自宅で池端ナーサリー託児所を開設。1999年日系文化会館内に池端ナーサリースクールを設立。園長を勤める傍ら、カナダ唯一の産後乳房マッサージ師として活躍中。