車いす陸上競技においてカナダ代表として6度パラリンピックに出場、通算3つの金メダルを獲得し、現在は起業家であり現在弁護士を目指す Jeffrey Adamsさんインタビュー | 特集 カナダ・Professionals
起業家であり現在弁護士を目指す Jeffrey Adamsさん
Jeffrey Adams氏は1970年に生まれ、幼少期に小児癌に侵された。放射線治療の結果、脊椎の損傷によって下半身が動かなくなり、9歳になる頃には車椅子での生活を余儀なくされた。しかしその逆境を乗り越え、1988年から2008年にかけて車いす陸上競技においてカナダ代表として6度パラリンピックに出場、通算3つの金メダルを持ち帰った。引退後はMarvel Wheelchairs, Icon Wheelchairsという会社を立ち上げ、現在は弁護士を目指してオズグッドホール・ロースクールに通う。
今回は様々な逆境に負けず、アスリート、ビジネスマンとして第一線に立ってきたにも関わらず新たな挑戦に立ち向かうJeff氏にお話を伺った。
アスリートの道を歩むことに決めた背景は何だったのでしょうか?
決めた、というよりも14歳の時バラエティービレッジに招待されてから、もう一度スポーツの道を歩むことができることに気が付いたと言った方が正しいかもしれません。そこから数年間は最初に目にした車いすバスケだけでなく、様々な競技を試してきました。その内の1つが車いすレースでした。レースをしていく中でその才能があることに気が付き、続けていくためのサポートを得ることができるようになっていったのです。レース会場も少しずつ大規模なものになっていきましたが、最初のころはパラリンピックや世界パラ陸上に出場することになるなんて全く思っていませんでした。私にとっては、好きなことを続けていったら自分自身が成長し、その結果その舞台に立つことになったというとても自然な流れのように感じます。
会社を2社設立されていますが、そのきっかけを教えてください。
この決断を下した時期、LSAT(ロースクールの入学試験)を受け終わっていて実は10年前にオズグッドホール・ロースクールに入学しようと思えばできていた時期なのです。そのため、起業をするか、弁護士を目指すかのどれかを選ぶ必要があり、ビジネスの方が当時は魅力的だったのでそちらを選びました。起業にはタイミングが大切だと思うので、当時に戻ることがあってもきっとまた同じ選択をすると思います
「より良い車いすを必要としている方々に届け、その方々の生活をより良いものにする」
なぜ、2社とも車いす関係のビジネスだったのでしょうか?
アスリートとして活動していると、スポンサーの方や様々な方からサングラス、洋服、車いす等色々なものを頂くことができ、そのおかげで最高クラスのスポーツ用品やテクノロジーを使うことができます。ですが、車いすに乗っている人全てが私と同じように、自分に一番合っている車いすを手に入れられるわけではないのです。
その理由の1つにデザインがあります。ほとんどの車いすはただ重くて使い勝手がよくないものが多いのですが、パートナーのChristian Bagg氏と私でスポーツ用の車いすの技術を日常的に使われる車いすに当てはめてみることにしました。Christianは車いすに乗る前はサイクリストとして活躍していましたので、車いすに自転車の技術を持ち込んでみるようなこともしました。
テクノロジーは人々の生活を便利にします。ですが身体障碍者にとってはそれ以上の意味を持っています。もし私が車いすという技術を持っていなければ、移動することができません。誰かからスマホを取り上げてしまうこととは全く違ってきます。スマホが無いと確かに不便ですが、何もかもがお終いだ、とまでいきませんよね。より良い車いすを必要としている方々に届け、その方々の生活をより良いものにする。これが車いす関係の会社を設立した大きな理由です。
何故オズグッドホール・ロースクールへ入学し、弁護士を目指しているのでしょうか?
実は、昔から弁護士には憧れていました。起業したときも私が法律面のことを担当していたのですが、弁護士を雇い、クライアントの視点というものも10年程経験しました。また、祖父もオズグッドを1945年に卒業しており、叔父や叔母に弁護士がいるので、家族の歴史に弁護士の存在があることも、自然とこの道を考えるようになった理由です。
弁護士になったら、身体障碍者の権利やスポーツ選手の権利を守ることに関わっていきたいですね。カナダのスポーツ選手は私からすると、政府の職員のようなものだと思います。ユニフォームを着て、トレーニングを受け、必要に応じて引っ越し、上司の命令に従う。これだけ聞くと、既に政府のために働いているように聞こえますが、その福利厚生を受けることができないのです。カナダのスポーツ選手たちはカナダを代表して、この国の素晴らしさや大切にしている価値観を話しているのに、憲法で保障されている権利を受けることができないという矛盾が発生しています。この欠けている部分には法律面から働きかけていくのが一番効果的だと思うので、弁護士になれたら選手のためにも精力的に活動していきたいです。
「私たち一人ひとりが持っている権利と自分に何ができるかを知ることで社会を支えることができる」
アスリートやビジネスマンとして活躍されてきましたが、その原動力を教えてください。
私がこれまでやってきたこと全てに共通する想いは、自分自身と誰かの人生を少しでもより良いものにする、ということです。
スポーツをすることで健康的な生活を送るよう呼び掛けたり、パラリンピアンとしての立場を利用してバリアフリー等の身体障碍者が必要としていることについたり話したりすることで、模範になれるよう努めています。設立した2つの会社を通しては人々の生活をより豊かにするために車いすを作ってきました。
そしていま勉強している法律については私たち一人ひとりが持っている権利と自分に何ができるかを知ることで社会を支えることができると信じています。
いつまでも第一線で活躍し続けるアスリートで居続けることは難しいですし、ビジネスマンにできることにも限界はある。そういった意味では、法の分野に進むことはとても自然な流れだと思います。法の分野に進むことで、私がこれまで培ってきたスポーツの知識を活かし、バリアフリーや人権、様々な問題に立ち向かうことができます。自分自身だけでなく、他の方の人生を少しでも良くすることに尽くしたいです。
これまでで一番辛かったことをどのように乗り越えましたか?
まず、一番辛かったことを挙げるのが難しいですね。幼い頃に車いす生活になったこと、学校に戻って周りの視線を感じたこと、何千人もの観客の前でレースを走ること、他にもたくさんありますが、どれも簡単なことではなかったです。ですが、このどれもがより自分を成長させてくれるということを信じていたからこそ乗り越えられました。自分が夢中になれるコトやモノというのは、自分自身や家族、コミュニティに対して何かしらの良い影響があるからこそ価値があるのだと思います。
スポーツをやっていたり、法律を勉強したりする中で大変なこともありますが、この経験がゆくゆくは周囲の人々の生活をより良くする糧になると思えば頑張れます。スポーツを健康のためにするのもよし、勉強をただ何となく続けるのもよし、ですがその先に何があるか、自分がどのような影響を与えられるかを考えていくのが大切なのではないでしょうか。
ご自身に影響を与えた一冊はありますか?
本はたくさん読むのですが、一冊に絞り込むのは難しいですね。私自身、本よりも周りにいる方々に影響されることの方が多いと思います。アスリートだったこともあるためか、周りの人の考え方やそれに基づく行動の方が文字を読むよりも現実味があるせいか響いてきますね。例えば、私には20年間支え続けてくれたコーチがいるのですが、彼から教わったことはかけがえのないことばかりです。
周りを見渡してみると、本当に色々な人がいて、誰もが何かしら光るものを持っています。その部分をじっくりと探すことが私の楽しみでもあるのです。特に、トロントは多様なバックグラウンドを持った人が集まっているのでわくわくします。積極的に色々な人と話して、その人たちの素敵な部分を見つけていくことの方が、本から影響を受けるよりも私に合っている方法のように感じます。
好きな言葉はありますか?
アスリートの時、“Hit ‘em like you hit ‘em(思い切り打ち付けてこい)”とお互いに言い聞かせていましたね。車いすレースならではだと思うのですが、私たちは走るとき車輪の部分に手を打ち付けて走っているのです。そのためか、お互いにグッドラックよりも“Hit ‘em like you hit ‘em”とチームメイトやライバルに声を掛け合っていましたね。ライバルにも言っていたのは、簡単なレースに勝っても意味が無いと思っていたからです。
最後に、Jeffさんにとって「プロフェッショナル」とは?
私にとって「プロフェッショナル」とは「自分のすることに責任を持つ」ことだと思います。責任を持つということは簡単に聞こえるかもしれませんが、実際は難しいのではないでしょうか。何かを始めるとき、抜け道を通ったり、ルールを破っていくことはやろうと思えばできます。ですが、プロフェッショナルにとって、自分のやっていることというのはとても大きな意味を持っているので本来であればそのようなことはできないはずです。法律やルールを守り、倫理的に正しく物事を進め、中途半端なことはしない。プロフェッショナルであれば自ずとそうなっていくのではないでしょうか。
Jeffさんの年表
9歳…車いすに乗り始める(車いすに乗る前は活発で、体操の選抜チームに所属。幼少期よりアスリートへの憧れを抱く)。車いすに乗ってからは最初は周りの視線が落ち着かなかった
14歳…トロントの“Variety Village(バラエティービレッジ)”に招待され、初めて車いすバスケを目にする。車いすに乗っていてもスポーツができる、誰かに必要とされていることに気づく
10代後半…フルタイムのアスリートになるか、学校に通うかを迷う。結果的にアスリートの道を選ぶ
17歳…ソウルパラリンピック出場
21歳…プロ選手として初めて契約をする。バルセロナパラリンピック出場
25歳…アトランタパラリンピック800m金メダル
26歳…カナダ身体障碍者の殿堂(Terry Fox Hall of Fame)に殿堂入り
29歳…シドニーパラリンピック800m金メダル、当時の世界新記録を打ち立てる。1500m金メダル
31歳…CNタワーの階段1776段を車いすで登る
33歳…アテネパラリンピック出場。「いつまでもアスリートではいられない」と思い、ロースクールに向けて勉強を始める
35歳…Marvel Wheelchairs設立
39歳…2010年冬季パラリンピックの聖火ランナーを務める
45歳…ICON Wheelchairs設立
46歳…オズグッドホール・ロースクール入学