カナダ勲章受章作家 JOY KOGAWAさん [新年号スペシャルインタビュー]

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11月14日に日系文化会館で日系カナダ人の芸術監督Michael Moriさん率いるTapestry Operaによるオペラ“Naomi’s Road”がトロントで初公演され、当日は原作者であるJoy Kogawaさんも会場に駆けつけた。同オペラはバンクーバーオペラが初めてオペラ化し、これまで10年以上に渡り、西部カナダを中心に多くの学校やコミュニティで公演されてきた。 上映前のMichaelさんによる舞台挨拶では現在の日本とカナダの良好な関係性や戦争経験者の高齢化に伴い、忘れかけられている事実をもう一度見直し、他の人種に対して行われている差別などについて考えるきっかけになれば良いと熱い思いが語られ、同公演をスポンサーしてくれたFrank H Hori Charitable Foundationや日系文化会館に感謝を述べた。

約45分間の心奪われる上映は瞬く間に過ぎていった。主人公、9歳の少女ナオミを中心に繰り広げられるドラマチックなストーリーに込められた、いじめ、人種差別、国家への忠誠、そして家族の変化を受け入れることなどの非常に重要なテーマを含む力強いメッセージに観客は思いを巡らせ、感動し涙を流す人などさまざまであった。

上映後にはJoy Kogawaさん、Michael Moriさんに出演者4名が加わり、質疑応答が行われ、貴重なこの機会に最後まで熱心に話を聞く人たちで会場は埋め尽くされていた。Joyさんは質疑応答の後にも会場に残り、観客からの握手やサインのリクエストに応え、一人ひとり丁寧に対応していた。今回オペラを見逃してしまった人はぜひ彼女の小説“Naomi’s Road”を一読して、カナダと日本の歴史について知ってもらいたいと思う。

日系カナダ人作家としてカナダ政府から「カナダ勲章」を受章、日本政府より叙勲「旭日章」を叙勲されるなど多方面でその功績が認められているJoy Kogawaさん。彼女の自伝的小説である“Obasan”はLiterary Review of Canada誌によりカナダの傑作歴史文学のひとつに選ばれている。今回そんな“Obasan”を子ども向けにリメイクした”Naomi’s Road”がオペラとなり、トロントで初公開された。第二次世界大戦中に収容所での生活を経験されたJoyさんに、当時の想いや、日本とカナダが今日の関係に至るまでのストーリー、そして“Naomi’s Road”が作成されるまでの話などを語ってもらった。

作家活動をはじめたきっかけなどを教えてください。

特に作家になろうと意識して活動したわけではなく、私は日々の生活の中で色々書いていたと思います。私の一番幼いころの記憶は、父が机に向かって、ペンを持ち書物にマークしていたのを見たことです。多分これが、私にとって作家となるきっかけだったと思います。私は本当に物語が好きですし、また、母が毎晩聞かせてくれた日本の物語も好きでした。私が最初に出版した作品は小説ではなく、詩集でした。当時、私の子供がまだ赤ちゃんで、家にいなければならない時に書いたものです。

“Naomi’s Road”がオペラとしてトロントで初公演されましたが、どのように感じましたか?

感動しました。私は、前にもたくさんの公演に出席したことがありますが、いつも感動させられています。

“Naomi’s Road”オペラ化のアイディアはどのように出てきたのでしょうか?

2003年にたまたま私が育った家が売りに出されていることを知り、そのオープンハウスに参加したのです。家が売られてしまえば解体され、きっと別の場所になってしまうのだと考えた時、戦時中に収容所へ送られてしまう知り合いや友人に歌っていた歌、収容所で気持ちを上げるために歌っていた歌を思い出したのです。長いこと忘れていましたが、私だけでなく周りの日系2世の人でも覚えている人がいて、とても懐かしく感じました。

その頃私の小説“Obasan”はバンクーバー図書館の推薦図書に選ばれており、それを読んだJames Wrightさんが若い観客のためにこの話をオペラにしたいと動いてくれました。作曲家や脚本などを考えるうちに“Naomi’s Road”を使用することになり、作曲家にRamona Luengenさんが選ばれ、一年弱で形になりました。

“Obasan”を“Naomi’s Road”としてリメイクしたきっかけは何ですか?

あるOxford University Pressの編集者が私に、“Obasan”の子供向けバージョンに書いてくれないか、と依頼してきたことがきっかけです。私はその時初めてノートパソコンで作品を書き上げたのですが、この“Naomi’s Road”は私が書いてきた作品の中で、最も早く書けた作品です。それはいま出版されているNaomi’s Roadよりも初めに書き上げたものの方が短かったということもあるかもしれません。いろいろな意味で私は初めの短いバージョンの方が好きでした。

Joy Kogawaさんの著書 左から: Essays on Her Works、A Garden of Anchors、Emily Kato、Naomi's Tree

Joy Kogawaさんの著書 左から: Essays on Her Works、A Garden of Anchors、Emily Kato、Naomi’s Tree

“Naomi’s Road”に込めた思いは何ですか?また、子供たちの反応はどうでしたか?

“Naomi’s Road”は友情の道のりを描いたものです。私は世界は友情で作られていると思っています。たとえその道のりに多少の障害があったとしてもそれを乗り越えることができれば、世界はよりフレンドリーな場所になるのではないでしょうか?初版の“Naomi’s Road”が1986年に出版された当時は多くの学校でも取り上げられていたようで、学校に通う子供たちからたくさんの手紙が届きましたが、今はほとんど手紙を受け取らなくなってしまったので、どう思われているかはわからないです。

第二次世界大戦中の辛い経験を思い出させて申し訳ないですが、カナダに生まれたにも関わらず、戦争中に収容所へ連れていかれた時、日本のことをどのように感じ、また考えていましたか?

その時、私はまだ6歳だったので何が起きているか、そしてなぜ収容所に行くのか全く理解出来ませんでした。しかし、スローカンのOdd Fellows Hallで映画を観に行ったとき、そのニュース映画で日本人兵士がひどいことをしているところを観ました。そのため、私は彼らがこの世界でもっともひどくて残虐な人々だと思っていましたし、私がそんな日本人と人種的に関わっているなんて恥ずかしいとまで思いました。

戦時中、カナダ社会において日本人・日系人はどのように立場だったのでしょうか?

私たちはカナダの敵だと思われていました。自分の家から追い出され、バンクーバーの収容所へ入れられ、私たちの家は私たちの承認なしで売られました。戦後、私たちは家に帰る代わりに、カナダ各地に散り散りになり、日本人コミュニティは壊されてしまいました。このことについては、私の小説“Obasan”と最新の自伝“Gently to Nagasaki”に書かれています。

上映会後の質疑応答の様子

上映会後の質疑応答の様子

戦時中、日本人であることはつらいことだったと思いますが、日本人であることが良かったという点はなんでしたか?

カナダへ来た1世の人たちは、驚くほど最も我慢強い人々で、彼らは一切不満を言いませんでした。彼らは辛いことに耐え、子供である私たちを守ってくれました。いつも「子供のために」と言いながら、子供たちにとって少しでも良いようにと全力を尽くしました。それに彼らは私たちに熱心に勉強をするように励ましてくれました。常に周りの人に敬意を表わし、彼らはできる限りお互いを助け合っていました。

第二次世界大戦と比べて現在では日本人や日系カナダ人のイメージはどのように変化したのでしょうか?

勤勉で、誠実、謙虚、またカナダに忠実な私たちは「モデルコミュニティ」となりました。長い年月の間、熱心に働くことで私たちは「いい人」だということを証明しました。

ここ数年でカナダ社会における日本人コミュニティはどのように変化したのでしょうか?

私たちの多くは、北米社会の価値観をもつようになり、率直さや正義、自由を好むこと、個性を大切にすること、正々堂々と意見を述べることを取り入れて来ました。それと同時に私たちは今でも日系1世の人たちのような「大人しい」、「優しい」といった性格も持ち合わせている人が多いです。もしかしたらカナダの価値観や文化に完全に溶け込んでいるように見えて、実際はそうではないのでしょうね。心のどこかで混乱してしまっている人が多いと思います。

本来は精神病はないかどうか、私たちのメンタルヘルスをもっと気にするべきだったのでしょう。日本人、日系人の人はカナダ各地へ分散され、コミュニティを持つことをせず、お互いのことをよく知らないままでで生きてきました。実際に他のコミュニティに比べ、日本人、日系人同士の結婚は非常に少なく、90%以上の人が日本人以外の人と結婚していました。

質疑応答の後、Joyさんと話そうと多くの人が列を作った

質疑応答の後、Joyさんと話そうと多くの人が列を作った

何か現在のような日本とカナダ間の良好な関係になるきっかけがあったと思いますか?

特別なことがあったというよりは、これまでカナダで生活してきた日系人の方達がカナダ人を脅かすような存在ではないと長い時間をかけて証明してくれたことが現在のような良好な関係を築くきっかけになったと思います。もちろん、日本側も知的で、法をしっかり守り、順応性があり、才能に溢れた立派な国民がいることを示してきました。

日本とカナダの関係で何を期待していますか?

人々がより深くお互いを知れば知るほど、良好な関係性が長く続く可能性が高まります。もっと様々なレベルで文化交換や人的交流を活発化すればよりよくなると思います。

日系カナダ人に対して何かメッセージはありますか?また、何か日系カナダ人に覚えておいて欲しいことはありますか?

日系カナダ人は過去に、日本人であることを認めない、公にしない人もいました。しかし、私たちの先祖は日本から来ていると知ることは大切だと思います。日本は素晴らしい国ですが、過去にひどいことをしてきたことも事実であり、私たちにもその事実を認める責任があると感じています。私はカナダと日本の両方の国がより良い国になって欲しいと思っていますし、両国間の関係性が健全なものであり続けて欲しいと思っています。

一人ひとり丁寧に応答していくJoyさん

一人ひとり丁寧に応答していくJoyさん

次に挑戦したいことや現在の関心はなんですか?

私は現在、2つのことに関心をもっています。まず1つ目は、核エネルギーに対する風潮の変化です。これまで日本は2つの核関連事件がありました。一つは第二次世界大戦中の原子爆弾で、もう一つは東日本大震災時に起きた福島の原子力発電所の事故です。これによって、核エネルギーについて事実と間違った情報をふるいに分けるいい機会になるでしょう。2つ目は、今でも悲劇をもたらし続けている原因となった日本人の残虐な行いに関することです。過去に日本がしたことに対して、憎悪を抱いていたアジアの人々と日本人がどのように和解していくかに興味があります。

読者へ一言。

より良い未来のために熱心に働きましょう。


Joy Kogawa

joykogawa.ca

バンクーバー生まれの日系2世。第二次世界大戦中、BC州内陸部のスローカン日系人強制収容所に収容され、戦後、アルバータ州コールデールに強制移動させられた。その経験を元にした自伝的小説“Obasan”が1981年に出版され、翌年、カナダ文学賞に輝いた。また、“Obasan”を児童向け読み物に改作した“Naomi’s Road”はオペラとしても作品化され、カナダ西部の学校などで上演され、好評を得ている。1986年にはカナダの民間人に授与される最高の勲章“カナダ勲章”を受章。また、日本政府から叙勲“旭日章”も受けている。