再びラブラドールへ(3)ヒーブロン(Hebron)の悲劇 | 紀行家 石原牧子の思い切って『旅』第21回

カットスロート・アイランドの周りにはまだ氷がいっぱい


ラブラドールは地質学者の楽天地であるばかりではない。フォトグラファーにとっても天国のようなところだ。ヒーブロンに向かったクルーズ船は途中、カットスロート・アイランド(Cutthroat Island)に立ち寄ったがゾデイアック(ゴムボート)で上陸するや否やそこは丸ごと被写体の景観だった。ここはイヌイット(イヌックの複数形)のサマーリゾートとして使われていたと説明される。

ツンドラ地帯の自然は見通しがいい

葉も実も枝もしっかり岩を這って育つ


 自分が立っているのはツンドラ地帯。樹木は生息しないが蘚苔類(せんたいるい)や地衣類で岩肌が覆われている。歩くと身体がフワッとして少し持ち上げられる感覚になる。気候に順応し、這いつくばるようにして生殖する植物のしぶとさ。その汚れ無き美と生命力にシャッターが止まらない。海をみれば7月なのにまだ氷が溶けきれていない。だがどれもこれも私には美の世界だ。ここがサマーリゾートだというのも分かる気がする。しかし、この先ヒーブロンで悲しい歴史が我々を待っているとは想像もしなかった。

 船内に戻ると次の停泊地ヒーブロンの説明がはじまる。ホープデール(7月号記)と違い、出迎えの住民はいない。無人だからだ。ヨーロッパの物資を待ち望んでいたイヌイットは1918年、船員が持ち込んだ疫病に1200人居た人口が次々に感染して命を落としていった。医療も不十分なまま年々壊滅状態に陥っていく状況に州政府はついに最北の村への支援を打ち切り1959年に閉鎖を宣告。食料も尽き、犬が死体を食べあさったり生きた人間を襲ったという。生存者は南部に強制移動させられたものの、移動先の先住民から狩猟権は与えられず、惨めな貧困生活を強いられたという。強制移動と閉鎖を住民と話し合うことなく強行したことでニューファンドランド・ラブラドール州は2009年に謝罪の記念碑を建立。俗に言う、アポロジー・モニュメントだ。住民の遺族らはこれを見る機会などあるのだろうか、とその意味をいま考えてみる。

修復されたモラビアン教会。18世紀の小さな窓とキューポラが特徴


 1771年にナイン(Nain)から始まったモラビアン宗派(プロテスタント)の宣教活動はヒーブロン閉鎖という非常措置のため約190年の幕を閉じた。しかし南のナイン、オカック(Okak)、ホープデール(Hopedale)のミッションはいまも住民達の心のよりどころとして存続し続けている。このイヌイット文化とモラビアン宗派の結合の事実は歴史的に高く評価されていることは重要なこととして覚えておきたい。代表的な18〜19世紀モラビアン建築を後世に残そうと、ヒーブロン・ミッションはいまもイヌイットのボランテア大工によって修復され続けている。材木も工具もないツンドラ地帯にミッションを建設するため、宣教団はドイツで一度同じものを建築、解体してその資材を現地に運んで建てたと言われる。出来上がるまでに8年の歳月がかかっている。1976年にはカナダの国定史跡に認定された。

行商人の店と集会場。無人化と湿気で老朽が激しい


ドイツに出稼ぎにいったまま帰れなかったアブラハム一家


 修復中の建物の狭い穴から私はキューポラに登って寒い海を眺めた。半年に一度訪れる輸送船を待ち望む人の気持ちを考えてみた。ヒーブロンが栄えた頃はヨーロッパの物資を扱う店、学校、クリスマスやイースターの行事などで宣教師、イヌイット住民、行商人等はどう折り合いながら生活していたのだろうか。こんな実話がある。ヒーブロンの住民アブラハムは多額の借金返済のために宣教師の反対を押し切って1880年、2家族8名を連れ立ってヨーロッパへ出稼ぎに行った。だが騙されて〝人間の見せ物〟商品にされてしまう。当時ドイツにはヒューマン・ズーといわれ、アフリカやアジアから珍しい人種を集めて人権無視の見せ物業で私腹を肥やす人間がいた。騙されたことに気づくのが遅かった。ろくな予防接種もされずに皆バラバラに病死。再び故郷に戻る夢はかなわなかったという。この史実はフランス・リベ(France Rivet)女史の本“In the Footsteps of Abraham Ulrikab”(2014)でも紹介され、2016年にはCBCのドキュメンタリーでも取り上げられた。

 ヒーブロンの歴史の重みを感じつつ船は更に北上する。


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石原牧子

オンタリオ州政府機関でITマネジャーを経て独立。テレビカメラマン、映像作家、コラムライターとして活動。代表作にColonel’s Daugher (CBC Radio)、Generations(OMNITV)、The Last Chapter(TVF グランプリ・最優秀賞受賞)、写真個展『偶然と必然の間』東京、雑誌ビッツ『サンドウイッチのなかみ』。3.11震災ドキュメント“『長面』きえた故郷”は全国巡回上映中。PPOC正会員、日本FP協会会員。
www.nagatsurahomewithoutland.com