再びラブラドールへ(4)トーンガット (Torngat Mountains National Park)を歩く | 紀行家 石原牧子の思い切って『旅』第22回

美味しそうなスイーツが並ぶ船内ラウンジ


 長時間の航海ももう慣れたもので、時間になるとフィリピン人のパテイシエの焼いたお菓子が出される海上カフェラウンジに足が向く。カナダ人の作家や歴史家、地質学者らの興味深いレクチャーのあとはコーヒーとお茶で雑談する。ご夫婦で元カナダ大使を別々の国で務めたという珍しいカップルもご両親と乗船していた。ご両親は若い頃ラブラドールで学術研究をされていた老夫婦で妻の認知が進む前にと4人家族での参加だった。当時の写真も見せていただき一期一会の出会いを楽しませてもらったのも旅のいい思い出になる。

サグレクのリサーチ基地に到着


 ヒーブロン(Hebron:8月号)を後に船はいよいよ待ちに待ったトーンガット・マウンテンズ国立公園 (Torngat Mountains National Park)水域に入る。この国立公園は縦に細長く、面積9700㎢の広さを持ちラブラドールの最北端に位置する。その南の入り口がサグレク湾(Saglek Bay)。そこから船はスピードを落としフィヨルドの奥へと水面をなめるように進む。住民はいないが何千年も前にイヌイット族の祖先、ツーレ文明(Thule)を持つ民族が定住していたと言われる。ゾデイアック(ボムボート)でトーンガット・マウンテンズ・ベースキャンプ・リサーチ・ステーションに上陸する。この基地は学者や探検家、個人のキャンパー達がラブラドール主要都市のナイン(Nain)やハッピーバレー/グースベイ(Happy Valley-Goose Bay)からチャーター機でやってくる。オープンしているのは7月末から8月末までの1ヶ月間だけ。食事の設備もあり、テントはキャンバス製の大型。予約もそれらの都市で受付けている。個人で来る場合はイヌイットのガイドと歩くことが勧められている。なぜなら目印がないので遭難しやすいのと、熊の出現に備える為だ。

 トーンガットはイヌクテイタット(イヌイット語)で“Place of Spirits”を意味する。まさにトーンガット・マウンテンズはイヌイットのスピリチュアル・ホームランドなのだ。何世紀にも渡って山や谷、海やフィヨルドで狩猟をして生計を立てて来たラブラドールのイヌイットにとってトーンガットは文明の源でもある。2005年までイヌイットの保護地区に指定されていたが、2008年に地域のイヌイットの合意のもとトーンガット・マウンテンズ国立公園が発足した。〝イヌイットからカナダの全ての人達へのプレゼント〟として。だからいまは誰でも入れる。現在カナダ政府とイヌイットが共同で管理運営している。ベースキャンプ・リサーチ・ステーションはイヌイットが経営を担当する。

サグレク湾のトレッキング


 上陸した我々はここから3つのグループに分かれてトレッキングを開始する。比較的平坦な沼を一周するコース、勾配はそれほど大きくないがゴロゴロした岩場を歩いて滝を望む中級コース、湾が一望できる所までよじ上って行く勾配の大きいチャレンジコースの3種類。私は中級を選んだ。30分ほど歩いたあたりで2、3人が断念。スタッフに付き添われてベースに戻った。要所要所で威嚇銃を持ったスタッフが見守る中、私は足場を選びながら慎重にマイペースで進む。トレッキング中はトイレがないので水は少量しか飲まない。畏れ多くも「観光地」などと軽々しく呼べないこの神聖なトーンガット。地球変動の造形 物の中で塵のような自分がうごめいているこの不思議な感覚は何なのか。自然に対する畏敬の念というより、むしろ謙虚になる他に成すすべがないといったほうが正しいかもしれない。綺麗なオレンジ色の岩は人がいてもいなくても綺麗なオレンジ色なのだ。

ラマ・ベイのラマ・チャート岩石


 サグレク・ベイの北に位置する国定史跡のラマ・ベイ(Rhama Bay)はラマ・チャート(Rhama Chert)で有名だ。天然記念物で今は採掘出来ない。原住民はこの透明感のある不思議な岩を砕き、刃物として狩猟や生活の必需品として使っていた。足下をみれば短い夏を精一杯咲く可憐な花が強く這う枝と共にタペストリーのようで目を見張る。トレッキングはサグレク・ベイほどゴツゴツした岩場がない穏やかな丘陵だ。高台から眺める景色は平和そのもの。神々しくもある。まさしくイヌイットの神聖な場所であることがうなづける。そして船は更に北上する。

岩に這う枝と花のタペストリー


ラマ・ベイでゴムボートの帰りを待つクルーズ船


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石原牧子

オンタリオ州政府機関でITマネジャーを経て独立。テレビカメラマン、映像作家、コラムライターとして活動。代表作にColonel’s Daugher (CBC Radio)、Generations(OMNITV)、The Last Chapter(TVF グランプリ・最優秀賞受賞)、写真個展『偶然と必然の間』東京、雑誌ビッツ『サンドウイッチのなかみ』。3.11震災ドキュメント“『長面』きえた故郷”は全国巡回上映中。PPOC正会員、日本FP協会会員。
www.nagatsurahomewithoutland.com