TORJA東北復興通信

「復興の森」と「森の学校」の歩み
―「アファンの森財団」大澤 渉氏より

HP: www.afan.or.jp FB: www.facebook.com/cwnicol.afan.revival

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「復興の森」の模型 地域の地形と森のイメージがわかる

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2012年3月第2回目の「森の学校プロジェジェクト」委員会で、被災状況の詳しい説明を受ける

●第4歩 「ニコルの森の学校プロジェクト」委員会事務局の取組み(前半)

「復興の森」と「森の学校づくり」を縁の下で支える存在として、2012年2月、東松島市復興政策部内に「ニコルの森の学校プロジェクト」委員会事務局を創設した。プロジェクトの正式なスタートである。同年7月、東松島市とC.W.ニコルアファンの森財団は「復興に向けた連携および協力協定書」を締結した。震災から1年後、なかなか復興の兆しが見えない中で、ニコル氏の呼びかけに真っ先に手をあげた東松島市の阿部 秀保市長を始め、市民からの熱い要望を受けての立ち上げだ。実現に向けての取組みは主に5つになる。1.被災地の環境調査 2.C.W.ニコルの出前授業 3.復興のための森づくり 地域の皆さんと地域の森をつくる 4.子ども達を甦ったアファンの森へ 5.森の学校をつくろう(財団HPより転載 ※編者注:同年9月の自然環境調査、ニコル氏の出前授業や森づくり、子ども達をアファンの森へ招待する取組みの様子の1部を本連載第3歩まででご紹介しています。)

東松島市の14校の小中学校のうち、8校が津波による浸水を受け、特に成瀬地区の3校(浜市小学校、成瀬第2中学校、野蒜小学校)の被害は甚大で、校舎は使用不可能となり、解体を余儀なくされた。プロジェクト委員会は、7回(2013年2月まで)の討議を重ねて、市にグランドデザインを提出した。

しかし、提案したグランドデザインは、委員会の手を離れ、基本設計、実施設計を設計会社に委ねなければならない。それらの業務を受注する設計会社らは、これまでの経緯を知らないため、何度も目指すべき森の学校の方向性がずれてしまいそうになった。その度に、大澤氏らスタッフは、森の学校の意義を関係者達に何度も説明してまわったそうだ。「その中でようやく、その名にふさわしい森の学校の実現が見えてきたと言えます」と語ってくれた。森との繋がりを意識した木造校舎が設計された。

「復興の森」と「森の学校」の本当の意味での完成は、建物が木造で、その近くに森があるというものではない。ハード面だけでなくソフト面についても、そう呼ぶにふさわしいものでなければならないと、委員会は考えている。今までの取組みの甲斐があって、森と教室が1体と感じられる設計に辿り着いたが、森を感じられるだけでなく、実際に森を利用して授業が進められることが重要で、最終的には、それはカリキュラムに反映されることで実現するのではないか、と取組みを始めた。(続く)

次回●第4歩 「ニコルの森の学校プロジェクト」委員会事務局の取組み(後半)をお伝えします。


思い出サルベージ 山元町被災写真救済プロジェクト
副代表 新藤 祐一氏より

HP: omoide-salvage.jp
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体育館に運び込まれた膨大な量の写真

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PCで検索できるよう、デジタルカメラで複写し、データ化する作業

3.11から前に進むために—思い出の写真が繋ぐ過去と未来

津波によって流された写真の内、宮城県亘理郡山元町では、約75万枚が洗浄され、デジタル化、整理・保存され、現在まで約42万枚が持ち主の手元に返った。手にした人々は、震災より以前、それぞれの地で営んでいた生活の中の、幸せな記憶を胸に取り戻し、震災後、変わらざるを得なかった現実と向き合い、前に進もうとしている。被災した人々の思い出の写真を蘇らせ、これからを生きる希望とし、未来に繋ぐ、そんな復興支援を続けている団体が「思い出サルベージ」だ。

震災直後から2015年3月まで山元町「ふるさと伝承館」を拠点に、蘇らせた写真を常設展示し、写真の持ち主に届けている。機会を設け、出張返却会も行い、仮設住宅に住む人々に写真を見てもらい、多くの人々が、津波が押し流していってしまった大切な思い出を再び手元に取り戻すことができた。館内に整然と並ぶ膨大なファイルの中は、閲覧しやすいよう、きれいに写真がファイリングされており、また、PCにデジタル保管されたデータは、「顔」「アルバムの表紙」「結婚式」など、工夫してカテゴライズされ検索できる。さほど期待していなかったお年寄りも、この検索システムで写真が見つかり、俄然、積極的に操作方法をスタッフに学び始める。

ハードとソフトが整ったこの環境は、震災直後の混乱の最中、代表の溝口 佑爾氏らが無我夢中で創り上げてきたものだ。被災地で「瓦礫の撤去よりも何よりも、写真を取り戻してほしい」という声を聞いた。既に、膨大な数のアルバム類が体育館に積まれていた。それらをどうやったら持ち主の手元に届けることができるのか。自分ひとりの力ではどうすることもできないと、ツイッターで呼びかけた。すると、カメラマン、デザイナー、Webディレクター、映像作家らと繋がった。協力し合い、ボランティアを募った結果、カメラマンボランティア約100名、一般ボランティア約500名が集まった。自衛隊、行政と連携をとり、写真の洗浄は全国の専門の洗浄団体が協力し、複製・印刷は富士フイルムイメージングシステムが協力してくれている。

活動開始から、約4年以上が経つ3月29日、ふるさと伝承館での常設返却が1区切りとなったが、今後も活動が望まれており、GWなど折に触れて臨時返却会を継続している。活動報告書『津波、写真、それから—LOST&FOUND PROJECT』(高橋宗正著/赤々舎/2014)が刊行され、印税は全て山元町への寄付となる。また、2014年、グッドデザイン賞社会貢献活動分野で金賞(経済産業大臣賞)を受賞した。写真を手にした時の笑顔と語り出す思い出話は、震災によって止まってしまった時間を未来へ進める力となっている。


9月の定点カメラ

@リアスNPOサポートセンター事務局長 川原 康信
HP : kickoff-rias.com/fukkocamera
FB : www.facebook.com/fukkocamera

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2011年3月13日の写真です。瓦礫で道が塞がれています。 左手の建物は解体され右手の建物の3階の高さまで嵩上げします。

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同じ交差点を反対側から撮影した写真です。奥の海から津波が押し寄せてきました。

被災地では、毎日おびただしい数のトラックが街のいたるところまで走り、急ピッチで復興工事が進んでいます。特に、浸水地区の嵩上げ工事の勢いは目を見張るものがあります。しかし、広大な原野となった土地を目の当たりにしては、図面やCGを見ても、なかなか復興後の街並を想像することができません。