トロントで和菓子教室を開催 菓道家 三堀純一氏 記者会見レポート&インタビュー

4月12日、和菓子職人で菓道一菓流の開祖である三堀純一氏による記者会見がGusta Cooking Studioにて行われた。
 三堀氏はテレビ番組の菓子職人選手権で優勝した実績を持ち、日本の様々なバラエティ番組等でも活躍している。菓道家という名称を作り出し、近年はパリにも招致されるなど、世界的に活動する前衛的な和菓子家だ。今回三堀氏は北米を回り、氏が極める練り切りという和菓子の技術を伝えるワークショップツアーを決行。その第一地点としてトロントが選ばれた。

三堀純一氏のポスター

 会場には伊藤恭子総領事や日本文化会館のジェームス・ヘロン館長ら来賓も足を運んだ。伊藤総領事は挨拶の中で、三堀氏をアーティストとして紹介。トロントにおいて、高い技術を持つ三堀氏から講義を受けられるこの貴重な機会に感謝の意を述べた。また、食べるには美しすぎる三堀氏の作品について触れ、トロントで伝統的な日本文化を広めることに対する想いを改めて語った。

 続いてジェームス館長からは、この度のワークショップ開催を誇りに思うと感謝の意が述べられ、この様な活動がトロントで催されることは、近年の日本文化会館の活動の理想的な延長線だと述べた。また館長は、三堀氏の活動がカナダ人にとっても和菓子の世界を知る切欠になると、カナダでの和菓子の展望を語った。最後に三堀氏からは挨拶と共に、自身の築いた菓道とそのパフォーマンスの説明が行われた。三堀氏は現在、海外での活動に力を注いでいるが、その際に自身を形容する言葉として使うのが、〝コックではない〟という言葉だそうだ。食べ物を作ることが菓道家なのではなく、茶道における作法と同様に、菓道にもお点前がある。来場者には一連のパフォーマンスそのものを楽しんで欲しいと呼びかけがされた。

(左)挨拶を行う伊藤恭子総領事(右)スピーチを行うJCCCのジェームス・ヘロン館長

 いよいよ三堀氏による実演パフォーマンスが始まると、照明が落とされたスタジオには黒の面貌を付けた氏の顔が闇から浮かび上がり、緊張した空気が広まった。机上にはお点前の要素である様々な道具が並ぶ。隣に置かれた小箱の中から色とりどりの餡を数個取り出し、一つ一つ丁寧に作り上げていく。来場者は皆一様に、魔法の様な手の動きにより形を変えていく和菓子を見つめていた。最後には5つの練り切りが完成し、そのどれもが色鮮やかで美しく、その味を確かめたいという衝動の沸き起こるものだった。パフォーマンス後には、練り切りを実食する来場者の姿が見受けられ、食べるのを惜しみつつも興味深く口に運び、その美味しさに舌鼓を打っていた。

和菓子を作り出す様子はまるでマジック


 三堀氏は今回、トロントで約一週間に渡りワークショップを開催。その後ロサンゼルスを始めとしたアメリカへと進みツアーを続けていく。和菓子そのものだけでなく、工程全てを芸術として魅せる菓道一菓流。アートとして和菓子の新たな側面を切り開くのと同時に、その伝統的な奥深さを世界に伝える活動に今後も注目していきたい。

記者会見後の1枚

右から春夏秋冬、中央は日本神話に登場するヤタガラスがモチーフ

伝統的な和菓子に新たな風を吹き込むグローバルに活躍する菓道家
三堀純一 インタビュー -前編-

記者会見の後、今回TORJAでは三堀氏に直接インタビューを行うことが出来た。和菓子の道に進むと決意した経緯や、アートとして和菓子を作る活動の真意、現代日本の若者に対する胸に秘めた想いなど、貴重なお話を前編後編に渡ってお送りする。

繊細な和菓子は味も抜群

「和菓子をかっこいいと思えなかった過去」

–初めに、和菓子の道に入るまでの経緯について教えてください。

 実家が生まれついての和菓子店で、私が3代目なんです。でも和菓子職人になる気は実は全くなかったんです。一時期はミュージシャンに憧れていたこともありました。でも幼少期から父には家の跡継ぎになって当たり前の様に躾けられていましたね。ただ、お店の売り物をずっと作っていたので、仕事として量産する和菓子に対してアートの様な見方が出来ていなかったんです。反抗期も重なって、和菓子に対してかっこいい印象は正直ありませんでした。

–和菓子が地味に思えたとのことですが、その魅力にはどのように気づいたのでしょうか。

 和菓子が地味に思えたというよりは、当たり前にありすぎてその魅力に気付けなかったというのが正しいかと思います。27の頃に初めてアメリカに和菓子の講師としてお招きいただいたんですが、その時の海外の反応が「これはエンターテイメントだ」というものでした。そこで初めて、自分の手に染みついている技術が、アーティストの様な評価を受けまして。自分にネイティブでこういうスキルが身に付いている事にアメリカで気が付いたんです。その当時はまだ現在のようなパフォーマンスを交えて和菓子は作っておらず、いわゆる普通の和菓子職人の実演をしていましたが、これがきっかけで一菓流の開派に繋がりました。

「もっと和菓子に向き合おうと思ったタイミングで自分に求められたのはビジネスマンとしての三堀純一だった」

お点前と面貌はどれも三堀氏を応援している方から贈られた

–和菓子のエンターテイメント性に気が付かされた海外公演の後、すぐに一菓流を開派したのですか?

 すぐに、というわけではありませんでした。アメリカで和菓子の素晴らしさを再発見し、私の姿勢が変わったことを私の父が察したため、翌年に父の会社を譲られました。和菓子が自己表現になるアートなんだと気付いて、もっと向き合おうと思った途端に会社を任された。つまりお金を請求されるようになったんです。売れるものを作らないと、というプレッシャーがのしかかりました。せっかくアーティストとして和菓子と向き合ったのに、そこで自分に要求されたのがビジネスマンとしての手腕だったんです。

 でもうまくいかなくて、34歳でどん底に落ちた時に、「かりんとう饅頭」というヒット商品に恵まれたんです。そして同じ年にTVチャンピオンという番組で和洋菓子職人選手権というのがあって、そこで優勝出来てしまったんです。優勝をきっかけに会社も自分も順調になり、〝ビジネスマン気取り〟にもなってしまいました。

黒を基調としているからこそ和菓子が映える

 企業として会社が急成長したため人材の確保を考えた時、ふと製菓業の人材育成事情を見ると圧倒的にパティシエブームで、和菓子家を志す若い子はほとんど居ないことに気が付きました。実家が和菓子屋だから和菓子の道に進むパターンが多い一方、パティシエは家柄に関係なく、パティシエになりたいという夢をもって、独立する、野心を持っている若者が多い。そこで、なぜ洋菓子家にはこんなに夢があって和菓子家には少ないんだろうと思いまして、和菓子と洋菓子の違いについて考えだしました。そこで〝暖簾の世界と個の世界〟というのに気が付いたんです。

–〝暖簾の世界と個の世界〟と言いますと?

 和菓子は茶道という世界の中でお茶の先生にお菓子を使っていただくので、作り手の顔を売るよりは、家の看板を継承することでブランディングしてきたジャンルなんです。でもこれって、大人になると伝統文化が分かるので、暖簾の奥ゆかしさや美観も分かるのですが、子供はその美徳に気が付かないんです。

 片や個の世界のパティシエブームというのは、長い帽子を被った人が活躍していて、スタープレイヤーが分かる世界です。幼稚園児の七夕のお願いにもケーキ屋さんになりたいとかって多いです。でもそれを書いている幼稚園児って、おじさんたちが何をしているか分かってないんです。でも園児に伝わるような夢を持っている。

 そしてある時にお茶室で気が付きました。お茶室では茶道家の先生たちがお点前に色々なお話をしてくださいますよね。その説明の中で全部〝家〟が付いたんです。今日の掛け軸は書道家で、絵を描いたのは画家なんです。実際お茶を立てて下さる方も茶道家です。でも今日のお菓子はって自分のカテゴリーに来た瞬間に、いきなり屋号で呼ばれました。家が付いてなかったんです。
 その説明を受けている時に、何々家と呼ばれる方々は個が見えたんですよね。その人の表現したいことや想いが乗っていて。もちろん屋号でも人を感じることは出来るのですが、それは暖簾越しなんです。和菓子職人って暖簾から出てきてないんです。

個の哲学と、それに共鳴する人々

–現在のパフォーマンスを思いついたのは個を出していくためなのでしょうか?

 そうですね。着物を着だしたのがそのスイッチの様な感じでした。これを着だして3年目です。この着物もそうなんですが、応援してくださる方がくれるんです。やっぱり私が提唱したいことって伝わっている人には伝わっているんだなというのが自信にもなっています。なので、海外でコスプレイヤーと言われても、これはマイスタイルですからと言います。自信を持って活動していけるのは心強いですね。

 注目を浴びやすいこのお面も実は最近始めたものなんです。茶道を見ていて、茶人がお点前を披露している時の緊張はどこでお客さんと共鳴するのかと考えた時、それは目でした。手と目以外を黒づくめで閉ざすと、対峙した人間の緊張が伝わりますよね。以前は黒い風呂敷でマスクをしていたところ、木型を作っている人が、面貌の方が良いんじゃないかとアドバイスをくれました。でも本物を見つけたら、それは骨董美術品で高額なものでしたし、何より防具なので鉄製で重いんです。軽いものが良かったので、私はお菓子で能面を作ったこともあるので、自分で作ったんです。でも最近自分が心がけているのが〝餅は餅屋〟なので、出来たら本当にお面を作っている人に作ってもらいたいですね。