【After 3.11 Interview】建築家 宮本佳明さん

2度の震災を経て、「建築に刻まれた思い出」を大切にした建築設計を行う

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建築家 宮本佳明さん

日本の建築家であり、復興支援のための建築家ネットワーク「アーキエイド」の一員として東日本大震災の復興公営住宅設計にも携わっている宮本佳明さんが2月1日、ジャパンファウンデーションにて講演を行った。宮本さんは33歳の時に阪神淡路大震災で被災、その経験は彼の建築デザインにも大きな影響を与えており、本講演では「建築に刻まれた思い出」をキーワードに、自身の代表作ともいわれる「ゼンカイ」ハウスの紹介や、「基礎のまち」と名付けた、震災の記憶を残しながらまちの復興のあり方を探る提案などを行った。
阪神大震災を経験、そしてその経験を糧とし東日本大震災への復興活動に尽力している宮本さんに、自身の建築の特徴、二つの震災が与えた影響などを伺った。


東日本大震災発生から現在までの復興活動

東日本大震災発生後、まず僕は三陸海岸の2万5000分の1の地図を購入して、それらを繋げ合わせてみました。阪神大震災のエリアはほぼ地図3枚程度で収まるのですが、それに対して三陸の地図は部屋からはみ出す程に広がり、今回の震災による津波の大規模な被害エリアがどれだけ広いのかと驚きました。それから新聞のニュースをその地図にポストイットで貼り付けていき被害の実態を空間的に身体でおぼえるように努めました。
そうして4月、友人に誘われて初めて釜石市を訪れました。到着すると、まず市役所の災害対策本部に行き、早くも工事が始まっていた仮設住宅のレイアウト変更の提案をしました。日本の住宅は方位にこだわり、仮設住宅であっても居間が南向きになるように設計するので、玄関は北向きとなり、それらを東西に細長く平行配置していくので、コミュニティが生まれにくくなってしまうのです。そこで、南北配置でも良いので玄関を向かい合わせにしましょうと提案したのです。市の復興本部長は「よし!この案は頂きだ」と大いに乗り気だったのですが、仮設住宅建設の権限を持っているのは県で、その後県には提案を体よく断られてしまいました。
こうして初めて東北を訪れた際には成果を出すことが出来ませんでしたが、その時に出会った人たちとの繋がりがじわじわと広がっていき、自然とネットワークが出来ていきました。そしてその中から具体的にこういうものを作ってほしいという要望が出てくるようになりました。またそれとは別に、普段の建築家の付き合いの中から「アーキエイド」というグループが立ち上がりました。現在では、このチームで釜石市の復興公営住宅の設計を手掛けています。
現在、最初の公営住宅が徐々に出来始めてきていますが、それはほんの一部で、多くの人が公営住宅に移るのにまだ3、4年ほどはかかると思われます。沿岸部では建設できる土地がなく、新たに土を盛ったり切ったりして高台を作るところからスタートしているので、時間がかかっているのです。メディアでは行政の対応の遅さが指摘されますが、現実的にスピードアップは難しいのです。また、材料のコンクリートの不足などといった問題も起こっています。

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「ゼンカイ」ハウス

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ジャパンファウンデーションでの講演会の様子

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「基礎のまち」イメージ


原点でもある「ゼンカイ」ハウス誕生の経緯

地元の宝塚市は少し神戸から離れているため、阪神大震災でも比較的被害の少なかったエリアだったのですが、僕の家が建っている場所は宝塚市の中では一番被害の大きかった所です。当時、生家である長屋に住んでいましたが、屋根が落ちて「全壊」の判定を受けました。ですが、壊れた自宅をよく見てみると実際に大きく壊れたのは隣家部分で、自宅は厳密には「全壊」ではないと僕は感じ、そうして鉄骨フレームを用いて全壊判定を受けた住宅を再生させたのが「ゼンカイ」ハウスです。過去と現在、二つの時間がこの空間には重層していて、これまで家族が刻んできた歴史、思い出をこの「ゼンカイ」ハウスは震災を越えて今に伝えています。

阪神大震災を通して変わった、自身の建築に対する考え方

初めて物が具体的にどのように壊れるのかに直面し、それまでの人生の中でも一番大きな出来事だったと思います。建築家の仕事は通常、「土地があり、その上に何かをつくる」ことだと考えられます。ですが、震災はその基盤である地面が丸ごと揺れるわけですから、普段の仕事でも敷地を越えて環境全体のことを考えるようになったというのが大きな変化ですね。
阪神大震災直後、僕は自転車で動き回っていたのですが、阪神間に多い天井川(土砂が堆積し、川底が周りの地面よりも高くなった川)を自転車でひとつひとつ乗り越えていくのはなかなかに大変なことです。ですが、その大変さの中に、癒しを感じている自分がいることにも気づきました。震災によって建築は壊れてしまっても、地形は残ります。地形は決して裏切らないのですよね。多くの人に親しまれている六甲山も実は地震によってできた山で、震災は人間が偶然そこに住んでいたから災害にとなったのであり、自然に災害をもたらそうという意思はありません。震災は人間にとっては大変なことですが、それを否定してしまうとこの地形もなくなってしまう。そういう見方をするようになりましたね。

生活とのバランスを考えた防災対策の必要性

東日本大震災後、民間の防災意識はこれまで以上に高まってきており、行政も防災水準をさらに上げようとしています。ですが僕個人の考えとしては防災水準をこれ以上上げない方が良いと思っています。すでにある程度の水準はあり、今は少々行き過ぎになっているのではないかと感じます。
たとえば東日本大震災に絡めて話をしますと、防潮堤の高さをどうするのかという問題があります。千年に一度の津波を完全に防ごうとすれば、本当はもっと高くしなければならず、それでは漁師さんたちに海と切り離された生活を強いることになります。漁民にはこれまでそこで海とともに暮らしてきた「生活」があり、その海と切り離されてまでの防災を望む人はほとんどいないのです。そうして「津波が来たら逃げればいい」と、防潮堤を高くする代わりに、裏山にすぐに逃げられるような避難道の整備をしようという話になっていく。今ある生活の幸せとのバランスを取りながら、防災を考え、実践していくことが大切だと思います。


宮本 佳明(みやもと かつひろ)
1961年兵庫県宝塚市生まれの日本の建築家。1987年東京大学大学院修士課程修了後、アトリエ第5建築界(現・宮本佳明建設設計事務所)を設立。大阪市立大学院工学研究科・都市研究プラザ教授。
宮本佳明建築設計事務所HP:http://www.kmaa.jp