10年後の世界を想像してみよう | バンクーバー在住の人気ブロガー岡本裕明

私が幼少のころ、未来とは虹のように手が届かない時代の話だった。だが、テクノロジーが変えた現代社会は加速度的に我々の常識観を崩し、新世界のハーモニーを奏でようとしている。10年後にどういう社会が生まれるか、想像しにくいが物的な便利さと共に人々の生活、考え方、発想、価値観も大きく変わるのかもしれない。夢のようでもあり、怖いものもある。そんな世界をちょっと覗いてみよう。


SNSで4人の仲間が集まってハイキングに行くその日の足は自動運転のレンタカー。スマホで車を呼び出し、順番に皆の家を回ってピックアップしてくれるその車は向かい合わせのシートで道中、楽しく会話が弾む。指定の駐車場に車が停止すればあとは山に向かってゴー。

そろそろ夕飯の準備。子供たちはすぐそばの公園で遊んでいる。お父さんは今、会社から家に向かっている最中。家族は今から1時間後に揃う。今日の献立はAIスピーカーからお父さんと子供たちの今までのリクエストの声を分析してハンバーグがいい、と推奨される。これで毎日の献立も悩まなくていい。

君のうち、まだ、テレビ画面なのだね。うちはマイクロLEDで壁に画面が映るよ。あと、ディズニーランドでみたような空中ディスプレーもできるよ。大型のテレビが居間に鎮座するとテレビを見ていないときは黒くて巨大な物体でしかないでしょ。あれ、インテリア的にサイテーだよ。場所も取るしさ。

「お父さん、最近会社の帰りが早いね。」「そうなんだ、AIが仕事をどんどんやってくれるからお父さんは間違いがないか、確認するだけなんだよ。昔は電卓叩いて計算のダブルチェックなんてやっていたけど楽になったものだよ。」「お父さん、そんなにラクして給与、貰えるの?」「今までに比べて5倍のお客さんの面倒を一人で見ることができるからね。会社も儲かっているみたいだよ。」

仲の良かったあの人から何気で借りたそのお金がトラブルで相手の人から訴えられた!でも安心。よくわからない法律用語も弁護士ももう不要。新型簡易裁判所の「裁判官クンAI」はかつての判例をすべて記憶し、ケースバイケースで最適な判断を下してくれるので実にスムーズだ。使い方は簡単。相手と私が「裁判官クンAI」の前で、日本語で言いたいことや事実を述べるだけ。証拠はスキャンして裁判官クンが読み取る。そうすると10分ぐらいで判決が出るんだ。

こんな激変する世界はもう手が届くところに来ている。私がもっと想像する世界は家で世界最高水準のシェフが作る食事が作れる時代が来るとみている。それは単にスクリーンにレシピを移すだけではなく、皆さんの台所に向かってカメラがあり、調理する皆さんの作業工程を細かく分析し、「もっときめ細かく」とか「もう少し火を緩めて」といったインストラクションがAIスピーカーから発せられるとしたらどうだろう。

未来の世界はウキウキすることが多い。が、今までの価値観を大きく変えることも覚悟しなくてはいけない。「昔はね、運転は自分たちでしていたんだよ」というのは思い出話。ネガティブ側に立てば「山道をギアシフトしながらぐいぐい攻めた」などという楽しみは捨て去らなくてはいけない。クルマは乗り物でもあり、リビングでもあり、絶好の音響効果のあるパーソナル劇場にもなるのだろう。

仕事はどうだろうか?AIを管理する人とAIに使われる人とAIからはじき出される人が出てくるはずだ。アマゾンが無人スーパーをシアトルにオープンした。が、レジは無人でもそこでサンドウィッチを作っているのは人間だ。テクノロジーは個別少量の単純作業をロボット化するよりも弁護士、会計士、医師といった費用の高い職を自動化する方がはるかに費用対効果は高いはずだ。言い換えれば今、勝ち組が一気に負け組に変わることすらあり得るだろう。

テスラはモデル3が思ったように製造できず、苦戦している。業界ではそれをみて笑っている人もいるだろう。が、私は今のうちに自動車メーカーは早期に手を打たないとやられてしまうと思っている。それはテスラが挑むのは極めて高いレベルの自動化された自動車工場だからだ。仮にイーロンマスク氏が思い描く形で車が製造ラインから出てくるようになれば既存自動車メーカーは太刀打ちできなくなるかもしれない。

我々は「そこまで変わらないだろう」と保守的に思うことが多い。その保守的思想というのは過去に照らし合わせるからである。「かつてなかったのだから将来もない」と判断するのは確かに統計的分析の一手法ではある。だが、それはファンダメンタルズが同じだという前提だということを忘れていないだろうか?

我々は今までと全く違う世界に足を踏み入れつつある。そこで起きる世界はまだ誰も経験したことがない世界であって過去の事例など存在しない。

では、我々はどう生きればよいのだろうか?私は固定概念にとらわれず、自分の吸収できる範囲でテクノロジーを受け入れ、自分でゆっくりと時代の変化を愉しむしかないと思っている。だが、決して拒否反応を示さないことだ。また、AIにとって代わるもの、AIが不得手なものを考えるべきだろう。

私はバーでロボットがサーブする酒は飲みたくない。飲み屋には飲み屋の癖があるからいい。介護士がロボットだとどうだろうか?確かに完璧な仕事をするかもしれないが、人間的温かみはないかもしれない。どれだけ進化する世の中でも人の方が得手なものもある。また、AIが取って代わる以上に新たなる人間の仕事が生み出されてくると信じている。


岡本裕明(おかもとひろあき)


1961年東京生まれ。青山学院大学卒業後、青木建設に入社。開発本部、秘書室などを経て1992年同社のバンクーバー大規模住宅開発事業に従事。その後、現地法人社長を経て同社のバンクーバーの不動産事業を買収、開発事業を完成させた。現在同地にてマリーナ事業、商業不動産事業、駐車場運営事業などの他、日本法人を通じて東京で住宅事業を展開するなど多角的な経営を行っている。「外から見る日本、見られる日本人」の人気ブロガーとしても広く知れ渡っている。