なぜ、政治に興味がないのだろう?|バンクーバー在住の人気ブロガー岡本裕明

 若い世代になるほど政治に興味がない方が多いかもしれない。特に海外に住んでいると日本の政治が遠い国の話のように感じられるし、カナダでは市民権をとらない限り、参政権がないので余計に興味はそそられない。しかし、政治に興味がないのは日本に限らず、アメリカでも同じ。一体何が政治離れを引き起こしているのだろうか?

 かつて日本でノンポリという言葉がはやったことがある。これは日本で学生運動が盛んだった頃、それに巻き込まれることから避けるようにしていた学生を指す。仮に本心で政治に興味を持っていても当時の学生運動は極論化し、過激化していたため、共鳴できる思想とは言い難いものがあった。70年安保の際には政治家や企業の労働組合も学生運動と距離を置くようになる。学生運動は反社会的行動とも捉えられ、自分はその仲間と思われたくない学生たちが「政治には興味ありません」という姿勢を示したところに言葉の原点がある。

 ところがそれから10数年すると日本はバブル景気で一億総中流の総仕上げとなる。実はこの総中流は日本の独自性を生み出した。世界では現代でも資本家と労働者の区別は比較的明白である。韓国は財閥企業とそれ以外、中国にも共産党員とそれ以外、といった超えられぬ一線があるのだが、日本では社長と一般社員が同じ社員食堂でうどんをすすっている居心地の良い社会が生み出されたのだ。

 つまり皆平等で賃金格差も相対的に少ないことで「政治に訴える」内容が少なくなってしまったとも言える。日本で仕事をしている多くの方は組合や業界団体を通して〇〇党を支持して欲しいとか、次の選挙では〇〇候補を全面支援するという要請を受けたことがあるかもしれない。そこには選挙民個々が自分で考えるというより、言われた政党や候補者に投票するシステムと化しており、個人の政治に参加する芽生えが薄いといってもよい。

 学者の研究では「上の人が決めるから」という意識の存在が政治離れの原因のひとつと指摘しているが、「俺の一票でどうなるわけでもない」という割り切り感、決起集会などに参加するより自分の好きなことをしたいという時代の変化も参加する政治から遠のいているように感じる。

 歴史の中で政治が大きく燃えたのは1789年のフランス革命だと言い切ってよい。それまでの王政や封建制から憲法に基づく政治に変わる変革期において様々な考え方が国民の間で議論され、フランス議会は何度かにわたり、激変期を迎える。そして世の中に右翼と左翼という発想ができたのもこの時である。

 この当時は絶対王政と封建制からの解放とともに国民が将来のフランスに何を期待するか、皆で考え、参加し、声を上げたといってよい。つまり、「イシュー」がそこに存在したわけだ。その後、戦乱期を経て、民主主義の世の中が生まれる。日本でもそうだ。戦前には政党政治が芽生えたもののそのあと軍部主導の国家運営となり、敗戦後に本格的な民主化を模索してきた。

 日本でもアメリカでもフランスでもそうなのだが、世に論争が巻き起こり、政治課題に上がる最大の理由は経済格差であろう。そのため、戦後、先進国では経済的改革と国民生活の底上げが徹底して行われた。かつての不満も今は妥協できるほど改善してきているともいえる。

 日本では最近、野党がふがいないとされる。その存在感すら問われるのは野党としての独自のボイスがかき消されているからであろう。最近の国会質問やメディアを通じた野党の声を聴いていると与党自民党の粗探しに徹している。つまり文句は言うが新しい方針を打ち出すような大それたことはできない。理由は有権者そのものが中道化しているからであろう。

 かつては極右、極左といった過激な思想もあったが今や先進国ではどんどん中道化しているのは国民生活の向上化に負うところが大きい点は否定できない。

 ではなぜ、韓国はストライキが多く、労働をめぐる社会問題がしばしば起きるのか、といえば一部の財閥が7割の経済を握っているからである。そのため、財閥とは無縁の大半の国民は左翼的思想となりやすく、現在の文大統領は北朝鮮との和平に力を注ぐなどの政策を強化するのである。これは資本家と労働者の関係がいまだに明確に存在するといってもよい。

 今、一番注目される戦争はイエメンの内戦だろう。なぜこんなことが起きたかといえばアラブの春で民主化が突然訪れたが、国民を統制できるほどの政治的影響力を誰も持ち合わせていないからだ。そのうえ、フランス革命の時と違い、今は諸外国が社会的及び思想的影響力を施そうとする。この内戦がサウジとイランの代理戦争だとも揶揄されるのは国民と国家がその政策や思想、体制についてまだ、よちよち歩きだから、とも言える。

 今後、世の中はどんな政治になるだろうか?私はよりリベラル色が強い社会が生まれるとみている。日本でもLGBTの人たちがカミングアウトし、それをサポートしようという動きもみられる。これは少数マイノリティを含め、全ての人がより心地よい生活ができる施策、つまり、今以上に全方位的政策で中道化した政治を目指すのであろう。つまり、ものを決めるのがとても難しい時代に突入したのかもしれない。「構造問題をぶち破れ」とはアベノミクスの一つであるが、個人的にはその構造がより頑強な社会が生まれてきているように感じる。

 これも世の移り変わりというものだろうか?

岡本裕明(おかもとひろあき)

1961年東京生まれ。青山学院大学卒業後、青木建設に入社。開発本部、秘書室などを経て1992年同社のバンクーバー大規模住宅開発事業に従事。その後、現地法人社長を経て同社のバンクーバーの不動産事業を買収、開発事業を完成させた。現在同地にてマリーナ事業、商業不動産事業、駐車場運営事業などの他、日本法人を通じて東京で住宅事業を展開するなど多角的な経営を行っている。「外から見る日本、見られる日本人」の人気ブロガーとしても広く知れ渡っている。