ボイスで変える主張がはらむほのかな危険|バンクーバー在住の人気ブロガー岡本裕明

 トランプ大統領は異質の大統領と言われ、就任当時からそのふるまいに注目が集まり続けている。その風雲児がもたらした俺様流は世界のあちらこちらでも同様の動きが見え始めてきた。そこに共通するのはSNSを使い自分たちの声を拡散し、世界を変えようとするスタイルで新たな可能性への追求とも言えそうだ。

 香港の民主化運動には目を見張るものがある。ニュースを目にした人も多いだろうが、「逃亡犯条例」改正案に対して香港市民の必死の抵抗は少なくとも条例改正の審議中断まで勝ち取った。しかし、民衆は中断ではなく廃案を求め、その後もデモが続き、世の中に強くアピールしている。

 香港市民はこの反対のボイスを誰に訴えているのか、といえば直接的には香港政府、間接的には中国政府なのだが、私には世界の人々への声に聞こえる。インターネットなどを通じてニュースは瞬時に世界を駆け巡る。その特性を利用し、また、一国二制度のメリットを利用し、情報操作が行われない香港でこの法案のリスクを訴え、中国による締め付けがどれだけ理不尽なものなのか、世界にその判断を求めているように見える。

 同じような運動はフランスでも起きた。黄色いベスト運動だ。これはそもそもが燃料税引き上げを発表した政府への抵抗から始まり、マクロン大統領への不信任を強く訴える強力な国民の声へと変質化した。この時、反対運動に参加していた人が着ていたのがフランスで車両に備え付けが義務付けられている黄色い蛍光色のベストだったことから世界でやはり瞬く間に注目されるに至った。

 ちなみに香港では2014年の民主化運動では雨傘を使ったし、今回の法令改正反対運動では黒いTシャツを着た。時はやや古いが韓国で朴槿恵前大統領への疑惑に対して韓国国民がろうそくをもって声を上げた「ろうそくデモ」も記憶している人は多いだろう。

 国民や市民が大きな声を上げるのに傘やベスト、Tシャツにろうそくなどのツールを使い、世論を刺激し、メディアに乗せることで衝撃的ともいえるスピードで拡散させる運動は最近の特徴とも言えそうだ。

 この市民や国民がボイスを上げる運動は2010年頃から起きた「アラブの春」がその発端だった。当時、北アフリカの多くの独裁政権国家に不満をもった国民が爆発的なボイスを上げることができたのはSNSの役割が大きかったと分析されている。ツイッターや携帯テキスト、フェイスブックがその原動力となったが、その新しい民衆の声のあげ方は世界のあちらこちらでさらに活気づかせているとしても過言ではないだろう。

 そのツールは民衆だけではなく、国のトップや政府もうまく使いこなして世論をコントロールし始めている。その筆頭はトランプ大統領であろう。大統領はそれまでの通例であった報道官らが代弁する報道の仕方がまどろっこしいとしてわかりやすい言葉で全世界に向けツイッターで直接発信し、大統領のボイスを瞬時に届けるようになった。

 当初、アメリカメディアを中心にこのやり方に強い反発や懸念があったものの次第にこれが当たり前になり、むしろ、世界のトップがツイッターなどで呟くことがニュースソースになる時代となっている。

 日本では韓国に対して輸出管理におけるホワイト国認定除外を行い、半導体材料の輸出プロセスに個別許可を求めるようになった。実はこの報道も今までとは違った様相があり、日本政府は安倍首相をはじめ、内閣閣僚や政府高官のボイスがひっきりなしに本件について発言し、韓国側が反論する余地を与えないまま、一気に実行へこぎつけたといえよう。

 このやり方もうまく情報が瞬時に拡散する方法を利用したものだが、今までは国家元首のようなトップ一人の発言がフォーカスされたのに対して、今回の日本は様々な関与者が様々な角度から発言している新しいやり方に見える。

 言い換えると今までは政府の発言は菅官房長官がほぼ担っていたのだが、そのスタイルが変わりつつあることすら予見できそうだ。考えすぎかもしれないが、理由の一つに菅官房長官に執拗に絡み続けた東京新聞の記者への新たなる対策も含まれるのかもしれない。

 自分たちの主張をより大きくし、世論の賛意をとるのは新しい手法ではあるが、一方で危険性もはらんでいる。それは行動がより過激になり、フランスや香港で起きた一部の暴動や乱入といった一線を越えて負傷者や逮捕者を出すなど暴徒化するリスクが一つ挙げられる。

 また、国民や民衆を扇動しやすいこともあろう。ごく短い言葉で強力なボイスを出すことで「自分も参加しないといけない」という強迫観念にかられることが往々にして起きるかもしれない。運動に参加しないことは反対者であるという勝手な烙印すら押されかねず、無実の罪を着せられることすら想定できるだろう。

 世の中には議論をする、というプロセスがある。これは古代ギリシャからローマに伝わったディベートと称されるものであり、ある公的な主題について異なる立場に分かれて議論することを言う。この発想は脈々と引き継がれ、今でも北米ではプレゼンテーションが学校の授業の主要な地位を占め、大学の授業では討論が当たり前のように取り入れられている。

 力づくのボイスを上げなくてはいけない時代になったとすれば討論で物事が決められなくなってきたシグナルであって、それはあまりにも恐ろしい将来を暗示しているように思える。世界の声はより波高く、より目立つものが制す時代になったのだろうか?

岡本裕明(おかもとひろあき)

1961年東京生まれ。青山学院大学卒業後、青木建設に入社。開発本部、秘書室などを経て1992年同社のバンクーバー大規模住宅開発事業に従事。その後、現地法人社長を経て同社のバンクーバーの不動産事業を買収、開発事業を完成させた。現在同地にてマリーナ事業、商業不動産事業、駐車場運営事業などの他、日本法人を通じて東京で住宅事業を展開するなど多角的な経営を行っている。「外から見る日本、見られる日本人」の人気ブロガーとしても広く知れ渡っている。