第2回 「インスタントラーメン」|カナダのしがないラーメン屋のアタマの中

カップヌードル・安藤百福伝説

なさんこんにちは。ラーメン雷神のヒロシです。前回のコラムでは北米のラーメンブームについて書きましたが、そのホットスポットであるNYの中心地・タイムズスクエアに、かつて巨大なカップヌードルがあったのはご存知でしょうか。湯気を模した煙をモクモクとはき出しながら、タイムズスクエアのビルの壁面にそのカップヌードルはありました。戦後日本の高度経済成長を支えたインスタントラーメン、そしてその進化系であるカップヌードルはジャパン・アズ・ナンバーワンと謳われたバブル期の余韻が残る96年、広告費としては超一等地のNYの中心に出現し、2006年に長きにわたる広告としての役目を終えています。

 年間生産量が国内56億4千万食、世界で見ると977億食を誇るインスタントラーメンは、今からちょうど60年前の1958年、日清食品創業者の安藤百福(あんどう・ももふく)によって発明されました。安藤は台湾に生まれ、日本からの織物の輸入や、戦後は日本で栄養食品の開発や専門学校の設立など、実業家としてその手腕を発揮しました。しかし47歳の時、頼まれて理事長を勤めた信用組合が経営破綻し、自宅以外のすべての財産を失ったといいます。そんな時、無一文となった安藤の頭をよぎったのは、戦後の闇市でながい行列を作っていたラーメン屋。安藤はひらめきます。お湯があれば家で簡単に作れるラーメンがあればみんな喜ぶだろう。この発想のスケールがさすがは実業家にして発明家。ラーメン屋や製麺屋をやろうではなく、安藤はこの前代未聞のラーメンの開発に着手します。

 それから丸一年、平均睡眠時間は4時間、安藤は自宅に建てたバラック小屋でインスタントラーメンの開発に没頭し、誰も見た事のない魔法のラーメンを作り上げました。チキンラーメンの登場です。奥さんがてんぷらを揚げているの見て思いついたという、麺を油であげて乾燥させる即席麺の技術「瞬間湯熱乾燥法」を確立し、いまだにそれがインスタントラーメンの製造法の主流となっています。


 安藤の勢いはこれにとどまりません。チキンラーメンを売り込もうと訪れたアメリカでの視察中、商談でプレゼンするにも丼がなく、バイヤーがぞんざいにチキンラーメンをカップに割入れ、お湯を注いでフォークで食べる姿をみて安藤はまたひらめきます。そうです、これがカップヌードルの誕生のきっかけです。日清は70年にアメリカに子会社を設立し、袋入りラーメン「Top Ramen」の販売を開始、71年には銀座の歩行者天国にて最初のカップヌードルの大規模なキャンペーンが行われ、歩きながらラーメンを食べる歩行者でにぎわいました。2年後の73年にはアメリカで「Cup O’ Noodle」としてカップヌードルを販売開始、発泡スチロールのカップに瞬間湯熱乾燥法の揚げた麺、フリーズドライのトッピングのカップヌードルは世界に羽ばたきました。

 最後に小ネタをもう一つ。この瞬間湯熱乾燥法で調理された麺を即席麺と定義するのが一般的な解釈ですが、チキンラーメン誕生の3年前の1955年、松田産業という会社が「味付中華麺」の販売を開始しています。この商品は天日干しのような昔ながらの製法で作られているため、即席麺にカテゴライズされるかは意見が分かれるところで、特許も取れずに販売不振に陥り、数カ月で製造を中止しています。しかし後に、製造過程で出てしまう麺の切れ端をおやつとして従業員に配ったらなんとこれが大好評、「ベビーラーメン」として販売を開始します。その後、ベビーラーメンは「ベビースターラーメン」と商品名を変更、松田産業も「おやつカンパニー」と社名を変更し、いまだにスーパーや駄菓子屋に並んでいるのは、皆さんの知るところです。


「雷神」共同経営者 兼 店長 吉田洋史

ラーメントークはもちろん、自分の興味や、趣味の音楽、経営の事や子育てのことなど、思うままにいろんな話題に触れていきます。とは言え、やはりこちらもラーメン屋。熱がこもってしまったらすいません。