トロント・ラプターズから見るカナダの多様性〝静かなる〟選手達と彼らの知られざるストーリー |特集 トロント・ラプターズ

 トロントに本拠地を置く全米プロバスケットボール協会 (NBA)のチーム、トロント・ラプターズ(以下ラプターズ)が、創立24年の球団史上初となるNBAファイナル進出を果たした。「WE THE NORTH」が街中に溢れ、今はトロント史上でも歴史的な瞬間と言えるだろう。

 そんなラプターズは、勤勉で、トラッシュ・トーク(記者会見や試合中にダーティーな言葉で相手を挑発し、心理面を揺さぶること)をしない、〝物静か〟な選手達で知られている。また、ラプターズの球団社長であるマサイ・ウジリ氏が「ディフェンスの時もロッカールームでも様々な言語が飛び交う」、「ラプターズの多様性にはトロントとカナダの多様性が現れている」とNBAファイナルのメディア・デーで述べたように、ラプターズの強みは選手の多様性にあると語られることも多い。

アフリカ系、アジア系など、様々な背景を持つ選手達で構成されたラプターズ

 移民の受け入れに積極的で、2021年の移民受入数を人口のほぼ1%にあたる35万人へ引き上げることを目標にしているカナダ。様々な背景を持つラプターズの選手達の活躍に勇気付けられてきた多様なルーツを持つカナダの人々の数は計り知れない。

Photo: Eng C. Lau

 コンゴ共和国出身のサージ・イバーカ選手や、カメルーン出身のパスカル・シアカム選手、NBA初の台湾系アメリカ人選手ジェレミー・リン選手など、ラプターズを構成する選手の多くがPOCである。トロント全体を大興奮させているラプターズの魅力は、人種も国籍も関係なく多様な人々を活気づけ、人々を一体にするところにもあるのだろう。

ラプターズの選手達の謙虚な姿勢

〝自分は経験を生かして前進して楽しもうとしているだけ。これは単なるバスケットボールだ。勝敗に関係なく自分は生きていられる。家族もいる。これは全て楽しいことだ〟

 6月1日、ゴールデンステート・ウォリアーズ(以下ウォリアーズ)対ラプターズのNBAファイナル2019第2戦の記者会見にて、キャラクター的に〝地味〟と評されることも多いレナード選手は、「試合中に感情を表に出さないことで相手にどのような効果があると思う?」と聞かれ、「わからない。相手が考えていることは考えないから」と淡々と答えた。

 そして、「自分は経験を生かして前進して楽しもうとしているだけ。これは単なるバスケットボールだ。勝敗に関係なく自分は生きていられる。家族もいる。これは全て楽しいことだ」と続けた。「功績は自分にとって重要だと思っているか?」と聞かれた時には、「僕はただプレイしたいだけで、攻守両面でハードにプレイした選手、勝者として記憶に残れば嬉しい。功績云々の話はそれぞれの意見で変わってくる。自分にとって正しいと思えるプレイをしているだけで、自分が楽しいと感じられることをしているだけだ」といつも通りの冷静な姿勢を見せていた。

 同記者会見でカイル・ラウリー選手は、ウォリアーズの選手達のNBAファイナル2019・第1戦に負けた後の〝ポジティブ〟な態度について聞かれた時、「彼らは上手いから自信があるんだろう」と謙虚に答えていた。NBA界では相手を混乱させることを言い、調子を崩させようとする選手も多い。あの名選手だったマイケル・ジョーダンには、練習中のチームメートに「おまえは生まれた時から負け犬だ」と告げ、精神的に苦しめられたりという逸話があるぐらいだ。しかし、レナード選手をはじめとしたラプターズの選手達には落ち着いた、謙虚な姿勢が共有されている様子だ。

ファイナル第5戦目で見た感動的なスポーツマンシップ

 ラプターズの優勝が目前となった第5戦目には、怪我で出場を控えていたゴールデンステート・ウォリアーズのエース、ケビン・デュラント選手が登場。しかし、彼のプレーは本調子ではなく、試合途中に再び怪我で途中退場してしまう。その時に興奮したラプターズファンたちの歓喜がスタジアムを包んだが、それに待ったをかけたのが、ラプターズのカイル・ラウリー選手やサージ・イバーカ選手だった。彼らはファンに落ち着くようにジェスチャーや声をかけ、退場するデュラント選手を気遣った。その姿勢はまさにスポーツマンシップ溢れる本物のプロの姿だった。

「アンダードッグ(負け犬)」と呼ばれ続けてきたラプターズが大快挙するに至った経緯

 NBA30チーム中、現在アメリカ合衆国以外の国に拠点のあるただ一つのチームであるラプターズ。今こそカナダを熱狂させているが、過去には選手達の〝地味〟なキャラクターも相まって「under the radar(人知れず)」、「アンダードッグ(負け犬)」と評され、特にアメリカのマスメディアから注目を浴びる機会が少なかった。

 いうまでもなく、ラプターズは決して弱いチームではない。だが、世界中から集まったラプターズの「calm guys」達は、いかに地味で目立たない〝アンダードッグ〟から、世界を熱狂するチームになるまでに至ったのか。物静かで多くを語らない選手達には、彼らのプレイを裏付ける、それぞれが歩んだ人生と時に壮絶な物語がある。ラプターズを代表する選手達3人の知られざる生い立ちを追ってみよう。

若きレナード選手を襲った悲劇 − 父親の喪失を乗り越え、「フランチャイズ史上最高のプレーヤー」に

 
 稀有な得点力を持つだけではなく、2015~16年2年連続で最優秀守備選手に選ばれた「コンプリートプレーヤー」と呼ばれるカワイ・レナード選手。今季のプレーオフも、チーム内で断トツの平均30得点以上を挙げてきた彼の存在なしには、ラプターズの上位進出はあり得なかった。学生時代からディフェンス力に定評があった彼は、プロキャリアをスタートさせてからも努力を惜しまず、試合前に映像を通して相手チームのオフェンスのシステム、個々のプレイまで研究することを欠かさないそうだ。真面目で真剣、スパーズ時代から少しの笑顔を見せただけでチームメイトにいじられていたレナード選手は、ポポビッチ・ヘッドコーチからも嬉しい時は笑っていいんだと言われるほど。しかし、そんな努力家な彼には悲しい過去がある。

 カリフォルニア州のリバーサイドにて離婚した両親の元に生まれたレナードは、母親の元で育った。郊外のコンプトンで洗車場を経営する父親と過ごす時間は限られていたが、幼い頃から父に日々の努力のを積み重ねの大事さを学び、共にトレーニングに励んでいた。2008年、父親は洗車場で金目当ての男に射殺。現在でもこの事件は未解決で犯人はまだ捕まっていない。高校の練習から自宅に戻る途中に知らせを受けたレナードは、翌日の試合に出場し、17点をあげた後に母親の胸の中に泣き崩れた。

 過去のインタビューで、レナード選手は翌日の試合について「バスケットボールは僕の人生そのものだ。バスケットがあったから、乗り越えられたのかもしれない」と語っている。事件後も「日々努力することこそが地味だが大成する最大の近道だ」という父からの教えを守り、一層ハードに訓練に打ち込んだ。高校時代は夜11時まで体育館に残りシュートの特訓をし、大学時代には毎朝5時に家を出て授業前に練習、放課後は3つのジムに通って更に訓練に励み、ベテランのスポーツエージェントに「これほどひたむきな男を見たことがない」とまで言わしめたほどだ。父親の死から6年後の6月15日、スパーズが7年ぶりのリーグ制覇を達成し、ファイナル第5戦に勝利。レナード選手が世界最高峰の舞台でファイナルMVPを獲得したこの日は、ちょうど「父の日」だった。

 NBAへの入団を果たした2011年以降、グレッグ・ポポビッチHCの指導の下で着実にディフェンス力を磨いた。ビッグスリーとしてサンアントニオ・スパーズを率いたトニー・パーカー、マヌ・ジノビリ、ティム・ダンカンからエースの座を引き継ぎ、入団3年目の2014年にプレイオフファイナルでレブロン・ジェームズ選手率いるマイアミ・ヒートを破り、早くも優勝を経験し22歳という若さでのファイナルMVPを受賞。ラプターズのリーダーとしてチームを引っ張る彼の真摯なプレイには、彼の地道な努力を続けてきた過去と、父から学んだ教訓が滲み出ている。

NBA唯一のコンゴ共和国出身、サージ・イバーカ選手 − 内戦下のタフな幼少期と彼が「ロールモデル」になるまで

 昨夏のトレードでラプターズ入りしたイバーカ選手はラプターズのファイナル進出に大きく貢献している。12年以来、7年ぶりにファイナル進出を決めた彼は、今シーズンのラプターズのプレーオフで二桁得点を記録し、6月7日に行なわれたNBAファイナル第4戦でベンチから20得点、4リバウンド、2ブロックを記録、105―92での勝利に貢献した。そんな彼はラプターズがイーストを駆け上がった要因を「今シーズンの僕らはどんな劣勢であろうと決してあきらめないチームの1つだった。(シリーズ突破の要因は)僕らのメンタルタフネスだったと思う」とTSN Sportsに語っている。

 忍耐強いプレイで知られる彼は、18人兄弟の中で3番目に若い子供としてコンゴ共和国に生まれた。 彼の両親はコンゴ共和国のバスケットボール代表で、内戦下で少年時代を過ごした。8歳の頃に母を亡くし、父が投獄された後、叔父と共に暮らしていたが口論をきっかけに家を追い出され、路上で暮らした。

 また、バスケットボールを始めた頃、誰かわからないままNBA選手の「ケビン・ガーネット」のポスターを買ったそうだ。拳を胸に力強く当て、咆哮する表情から伝わる情熱に惹かれた彼は、その後ガーネットの存在を知り大ファンになった。それ以降朝5時に起床し、ランニングに行く前や学校に行く前、布団に入る前など必ずガーネットのポスターを眺めモチベーションを維持し続けたそうだ。その後、スペインでのプロデビューを経て、2008年のドラフト全体24位でスーパーソニックス(現サンダー)から指名を受け、NBA選手になった。

 パワーフォワードでブロックにかけてNBA随一の実力を持つ選手となり、2011年から2012年シーズンには過去10年以内で最高の1試合平均3・65本とブロック王に輝き、2012年から2013年シーズンもブロック王を獲得。オールNBAディフェンシブチームのファーストチームにも2年連続で選出されている。2012年はロンドン五輪にスペイン代表として出場し、銀メダルを獲得した。

 忍耐強いプレイが特徴的なイバーカ選手は、アフリカや世界中で若きアスリートの夢を応援する為のチャリティー活動をしていることでも知られている。タフな幼少期を過ごした彼は、その苦労をバネに、今やコンゴ共和国出身のロールモデルとして世界中の選手達にインスピレーションを与え続けている。

カメルーンの神学校出身、型にはまらないプレイと抜群の身体能力を持つパスカル・シアカム選手

 NBAファイナルに出場した史上初のカメルーン出身の選手、シアカム選手は攻守に優れ、ウォリアーズの「ヤング・ドレイモンド」と称賛されることも多い。3年目の今シーズンに大躍進を遂げており、アフリカ代表としてアフリカの人々から絶大な支持をされている。

 「PSkill」、「SpicyP」のあだ名を持つ彼は、カメルーン共和国で4人兄弟の末っ子として生まれた。彼の父は、彼が11歳の時にカメルーンのバフィアの遠隔村にある神学学校に入学させ、学業成績が素晴らしかった彼に司祭になるよう期待していたというが、彼は15歳の頃に神学校を嫌いになったという。そして、2009年にNBAとFIBAが共同で毎年夏に世界中で開催する「国境なきバスケットボール」に姉と会うついでに参加を決めた彼は、その際にNBAのルック・バ・ア・ムーティ選手と対面。感激したシアカムは、NBA選手を目指すために翌年渡米し、テキサス州の高校に進学した。

 大学はニューメキシコ州立大学に進学したが、2年生時に父が母国で交通事故で他界するという悲劇に遭遇。過去のインタビューで「父のおかげで今の自分がいる」と語っている彼は、亡き父の為に奮起を誓い、大学で目覚ましい成長を遂げた。NBAへとアーリーエントリーを行う前の1年間では平均20・2得点、11・6リバウンド、2・2ブロックショットを記録した。WACのフレッシュマン賞を受賞し、翌年のシーズンではWACの年間最優秀選手に選出されるほどに成長した。2016年4月に2016年のNBAドラフトにアーリーエントリーを表明。ルーキーシーズンとなった2016年から2017年シーズン開幕戦のデトロイト・ピストンズ戦で、先発PFを予定していたジャレッド・サリンジャーが右足の負傷で欠場した関係で先発で起用され、4得点9リバウンドを記録しチームの勝利に貢献した。

 シアカム選手はインタビューで、「お父さんはあなたの成長をどう見ていると思うか」と聞かれ、「その質問は、僕が毎日のように自問していることでもある。その答えがあれば良いのにとも思う」と答え、「僕にはバスケットボールよりも大きな目標がある。バスケットボールより大きなもののためにプレイしているんだ。試合の勝敗や自分の得点に関係なく、僕は自分自身よりも大きなもののためにプレイしている。それが、日々プレイすることを特別なものにしてくれていると思う」と続けた。

 バスケットボールを始めるのが他選手と比べて遅い彼は、持ち前の頭脳と、型にはまらず、ダイナミックで自由なプレイスタイルで知られている。彼の様々な動きに挑戦するプレイと意欲旺盛な態度からは、彼の人生観が見て取れる。

多様性に満ちたトロントを代表するラプターズ

 多様な背景を持つラプターズの選手に共通するのは、彼らが皆試練を乗り越え、経験をバネにし、彼らのすべきことに全力で向き合っているところだ。彼らは時に〝地味〟で商業価値に欠けるが、チームの成功を何よりも望み、正直でまっすぐなプレイスタイルなところも共通している。その姿勢は、彼らに地道な努力をし続けてきた過去があり、また多様な経験を積んだからこそ生まれたとも言えるだろう。生い立ちも出身も様々な彼らは、今日もカナダの多くの人々を勇気づけている。

取材・本文: 菅原万有
企画・編集: TORJA

写真: ラプターズ公式フェイスブックより