カナダ史上 未だに謎が残る不可解な事件3選

日夜様々な事件や事故が起こるのは今も昔も変わらない。その時々で事件解決に向け多くの人が尽力するも、想い届かず未解決となってしまう事件もある。今回編集部ではカナダ史上で摩訶不思議と言われている未解決事件3件をご紹介。

タイタニック級の沈没事故ながら100年の間忘れ去られていた エンプレス号の悲劇

©Library and Archives Canada, PA-116389


1500人もの死者、行方不明を出したタイタニック号の悲劇は映画にもなり、世間一般にも広く広まった惨事の一つである。実はカナダでも1000人以上の死者を出した沈没事故が起きているのだが、事故発生からたった二ヶ月後には第一次世界大戦が開戦してしまい、人々の記憶から忘れ去られてしまっていた。

事故で沈んでしまったのはカナダ・パシフィック所属の全長170メートルにも及ぶ豪華客船エンプレス号。ケベックとリバプールの間を往復している間にセントローレンス川の河口のポワント・オー・ベールという所で、ノルウェーの貨物船ストータッド号に衝突されてしまう。船体に大きな穴が開いてしまったエンプレス号はわずか15分足らずで沈んでしまい、乗船していた1477人の内、1012人が亡くなるというカナダ史上最大の沈没事故となった。

1914年5月29日の午前1時55分という時間も被害者の多さに影響を与えている。衝突が起こった際にはほぼ全ての乗客が眠っていたために避難が遅れ、船と共に沈んでしまうことになった。また、エンプレス号とストータッド号は両方とも氷山を破砕する為、船首を尖らせた設計になっており、ストータッド号に右舷を衝突されたエンプレス号は32平方メートルという非常に大きな穴が空いてしまい、たったの15分で沈没してしまった。

事故当時に開かれた海難審判ではお互いに航路を外れており、警笛を鳴らしコミュニケーションを図るも双方で相手が自分の航路を外してくれると思ったという勘違いから生まれた不運な事故であるという意見や、衝突の危険性があったにもかかわらず停船しなかったエンプレス号の自業自得という意見もある。しかし、実際に衝突されたのはエンプレス号であるため、停船しなかったのはストータッド号の方であるという意見ももちろんあり、衝突原因は未だ不明のままとなっている。

この事故は地元ダイバーによって沈没したエンプレス号が1964年に発見されたことで再度注目を浴び、1998年に関連文献が発表され、100年という区切りの年である2014年に博物館での遺品展示や追悼式などを通して数少ない子孫からの情報提供を受け付けるなど、今もその謎を解明すべく研究を続けている人がいる。エンプレス号悲劇の謎は水深47メートルの海底に今も眠っているに違いない。

才能溢れる画家トム・トムソンの不可解な死

トムが命を落としたカヌーレイク


20世紀初頭、Group of Seven結成にも影響を与えたと言われるほどの画家トム・トムソンが40歳という若さでこの世を去った。

トムの生きている姿が最後に確認されたのは1917年7月8日の昼下がり。アルゴンキン州立公園内のカヌー・レイクにあるカヌー乗り場から1人で釣りに出掛けて行った。トムはこれまでにレンジャーとしての見回りや釣りガイド、そして自身の作画のためにも幾度となくカヌー・レイクへ出掛けており、トムの死は不幸な事故だと嘆く人も多い。しかし、この事件には不可解な謎が数多く残されているのだ。

トムがカヌー・レイクへと出掛けた日は特別天候が悪いわけでもないのに、たった数時間後にはトムのカヌーが岸辺で発見されている。しかし、遺体が発見されたのはそれから8日後のことだった。遺体発見時のトムの左足首には釣り糸が16回以上も巻き付けられており、重りをつけて自殺を図ったのだと主張する人もいる。だが、トムのこめかみには何かで強打されたような傷跡が残っており、何者かに襲われた可能性も否定できない。当時のアルゴンキン州立公園には野生動物の密猟者や兵糧を狙う他国のスパイ、戦争を逃れるために逃げ込んだカナダ人とアメリカ人のカップルなど自身の存在を知られたくないと思っている人が多く隠れていたようだ。

その真相は解明されないまま、今でもカナダの芸術史を研究する人の中にはトムの死について調べて続けている人がいるほどで、実際に昨年10月にはジョエル・リチャードソンとジェミニーノ・ピオ・ポリットという2人の芸術家の新たな発見によって、別の角度からの調査が進められている。現在では数億の値が付くトムの作品を機会があれば是非一度観に行ってみてもらいたい。

飛行機墜落事故と消えたパイロットの謎

ジン操縦士が借りた軽飛行機はセスナ 172 スカイホーク


2017年3月、オンタリオ州北部に小型飛行機セスナ 172 スカイホークが墜落した。しかし、発見された飛行機内にパイロットの姿はなく、飛行機から脱出した形跡も見られないという不可思議な事故が発生した。

発見された軽飛行機は3月15日、デトロイトのすぐ西に位置する米ミシガン州アナーバーの空港からハーバースプリングスを目指して飛び立ったとされているが、同日午後11時38分に450キロメートル以上離れたオンタリオ州北部の森林地帯で墜落が確認された。セスナはレンタル機で操縦していたのはミシガン大学を卒業したジン・ロン、27歳。ジンは2011年に中国の大学を卒業し、ミシガン大学では人工知能や言語ネットワークなどを専攻し、グーグル社でインターンシップを行うなど非常に優秀な学生であった。そんなジンは航空科学にも興味を示し、Michigan Flyersでプライベート飛行士の資格を取得している。これまでに何度も友人を連れて航空ツアーを行うなど、操縦の腕はクラブ内でも評判が良く、今回の事故に関して関係者はジンがどこへ行ってしまったのか、なぜこんなことが起きたのか理由や原因がわからないとコメントしている。

飛行機の墜落現場は深い雪に覆われており、飛行機の破片などが雪上に散らばっていたのに対し、人が立ち去ったような足跡をはじめとする証拠が一切確認されなかった。このセスナ機に離陸時はジンが乗っていたことは確かで、墜落前に着陸した形跡もない。また、この機体唯一の乗り降りの場所となるメインキャビンの2つのドアは、設計上パラシュートを着けて飛び降りるようには出来ていないため、ジンが何らかの形で脱出に成功していたとしても、一体どのように外に出たのかは謎である。機体はオートパイロット機能が使用されており、飛行距離は770キロで、墜落の際には燃料切れだったという。

カナダ、アメリカ両国でジンの捜索が行われたが彼が生存している可能性は非常に低いとし、事件から数週間後には捜索規模が縮小されてしまった。今もなお姿を消した若きパイロットの行方は謎に包まれたままだ。

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