白ふくろうのネタ探し #8 カナダ建国150周年裏話!??

カナダ建国150周年裏話!??

この号が出る頃、カナダ建国150周年のお祝いでカナダ中が異常な盛り上がりを見せているはず。皆さんは、もうどこかのイベントに出かけました?

そう、カナダの建国は1867年。日本では、大政奉還が行われ、江戸から明治に変わった年ですね。すなわち、近代日本とカナダは同い年ということです。でも、連邦国家設立に至った事情がどうだったかご存知ですか。いろいろな特集や記事が出ていますが、意外と歴史については知らないのではないでしょうか。市民権取得に必要とされるカナダ基礎知識の範囲に入っていることですが、すっかり忘れている人も、そもそも勉強していない人もいるのでは。

7月1日は、今ではカナダデーと言われていますね。しかし、以前は、Dominion Dayと呼ばれていたそうです。高齢な方々は今でもそう呼ぶ人がいるかもしれません。

1867年に大英帝国の北米植民地4つがBritish North America Actという条約下、Dominion of Canadaという連邦を作ることになりました。その4つとは、Province of Canada East & West、New Brunswick、Nova Scotia。つまり、カナダ連邦国家は4つの州から始まったということです。

ではその他の州は?

1870年Manitoba、1871年British Columbia、1873年Prince Edward Islandと続き、1905年AlbertaとSaskatchewan、そしてなんと、1949年になってやっとNewfoundlandが加盟しています。加盟年がバラバラですね。ということは、カナダは長い間、連邦としてフルには機能していなかったということかもしれません。

この中で馴染みがないのがProvince of Canadaではないでしょうか。現在のケベック州とオンタリオ州ですが、一つの州になったのが1841年。しかし州にはなったものの、州都が決まっておらず、ケベックシティ、トロント、キングストン、モントリオールの4都市でなんと州都の持ち回り運営。そのような運営が16年間続きましたが、暫定州都が変わるたびに政府官僚が大移動しなければならずその費用たるや莫大なものになったことに加え、それ以外にも多くの問題があり、ついに1857年、州都を一つに決めようという動きが起こりました。州都選定委員会メンバーが選出されましたが、やっぱりまとまらず。そこで偏見のない第三者に州都を決めてもらおうとなりましたが、さて誰が適任?

結局、英国のビクトリア女王にお願いすることに。

ただ、ビクトリア女王に決めてもらうにしても候補都市を絞り込む作業をしなければならず、各都市から立候補を受け付け、次の6都市が選考に残りました。トロント、ケベック(シティ)、モントリオール、キングストン、オワタ、ハミルトン。

トロントの立候補は、1857年3月28日。経済活動が大きくなっており、人口も増えていること、そして安全対策も容易で、鉄道も既に4つも入っていることを訴えました。

しかしこうしたアピールにも拘わらず、1959年1月10日に発表されたのは、オタワ。南(アメリカ)からの攻撃に備え、キングストンを防衛前線都市に出来、オタワ河に沿う高い崖の上にあることから防衛も容易との判断だったようです。また、政治・経済を分離する意図もあったとか。6年間の移行期間中トロントとケベック(シティー)が暫定州都として機能を続け、1865年10月にオタワがProvince of Canadaの州都となりました。そして、1867年7月1日カナダが連邦として建国され、オタワがそのまま連邦首都になりました。

以上が、オタワが州都、そして連邦首都になった経緯です。

もし150年前にトロントが連邦首都になっていたら、今のトロントはどうなっていたでしょうか。きっと今の東京のように政治経済の一極化が起こり、もっと人口が集中、グシャグシャの都市になっていたかもしれませんね。

カナダといえば移民の国。そこで150年間の移民の数と特徴を見てみましょう。

1871年国勢調査データによると、外国生まれ(移民一世)の人口は約50万人。当時のカナダ全体の人口が約300万人だったので16%が移民一世だったようです。

1800年代後半、移民入国者数は年間6千3百人から13万3千人と年によって大きく変動していますが、総じて移民は増加。しかし、それ以上にカナダ国内出生数が大きく増えたため、移民比率は13%まで落ち込むことに。

1900年代に入り、カナダ西部への移民を優遇したことから移民数が急増。 
1913年には年間40万人以上の移民を受け入れています。しかし、1914年に第一次世界大戦が始まると、移民は激減、1915年の移民入国者数は3万4千人以下となりました。

その後また増加に転じ、1931年調査では移民数は約230万人、人口比22%まで急増しましたが、大恐慌や第二次世界大戦の影響からまたまた200万人に減少。

1950年代以降は順調に増え続け、加えて政治的・人道的動乱から逃れた難民が1956年、1957年ハンガリーから3万7千5百人、1970年代1980年代には、ウガンダ、チリ、ベトナム、カンボジア、ラオスから多数カナダに入国しています。
1990年代以降は高い数字で推移しており、年間平均23万5千人。2011年の調査では、678万人、人口比20.6%と1931年以来最高比率となっています。

ざっと振り返った150年ですが、いかがでしたでしょうか。



whiteowl

白ふくろう

1992年音響映像メーカー駐在員として渡加。8年の駐在の後、日系物流会社に転職、休眠会社を実業会社へ再生再建。2007年より日系企業団体事務局勤務、海外子女教育・日本語教育にも関心が高い。2009年より、ほぼ毎日トロントやカナダのニュースをブログ(カナダはいいぞ~。トロントはもっといいぞ~)で配信している。