憲仁親王妃 久子殿下 カナダストーリ-|特集 トロントと日本を結びあわせて第100号

王立オンタリオ博物館で開催された日加修好90周年記念行事にて。(左より、ビクター・フィデリ・オンタリオ州経済開発・雇用促進・貿易相、エリザベス・ドズウェル・オンタリオ州副総督、憲仁親王妃久子殿下、メアリー・ング小規模ビジネス・輸出促進大臣、石兼駐カナダ大使)

王立オンタリオ博物館で開催された日加修好90周年記念行事にて。(左より、ビクター・フィデリ・オンタリオ州経済開発・雇用促進・貿易相、エリザベス・ドズウェル・オンタリオ州副総督、憲仁親王妃久子殿下、メアリー・ング小規模ビジネス・輸出促進大臣、石兼駐カナダ大使)

 カナダとの関係が深いことでも知られる高円宮一家。故・高円宮憲仁親王がカナダに留学されたのをきっかけに、一家は憲仁親王がお亡くなりになった今でもカナダとの交流を継続されている。

 それでは、高円宮家とカナダとの関係はどのようなところにあるのか。その幅広い交流と高円宮家のご活躍を一つ一つ紐解いていきたい。

クイーンズ大学留学に始まる高円宮家とカナダの関係

 始まりは40年以上前に遡る。1978年に高円宮憲仁親王はオンタリオ州のクイーンズ大学に留学された。二人のお兄様はそれぞれイギリスとオーストラリアに留学されるなど、国際的なご家族だったことがわかる。そんな中、クイーンズ大学を留学先として選ばれた理由について妃殿下はこう振り返った。

「カナダの大学は大きい大学が多かった中、宮様はそこまで大きい大学を望んでいなかった。また、ケベック州にある大学のようにフランス語で授業を提供している所ではなく、あくまでも英語で授業を受けられる大学に行きたいと考えた結果、クイーンズ大学を選んだのだと思う」と説明されていた。

 当初は二年間留学される予定だったものの、憲仁親王のご要望もあり、留学期間は三年に延長。皇族の一員が留学する際は期間が固定されていることが多いため、このように期間が延長されたことは異例だそうだ。スポーツ愛好家でも知られていた憲仁親王。カナダに在籍されていた際にも地元のテニスクラブに頻繁に通われていたという。

故・憲仁親王の想い「文化交流の発展のため」

 留学から帰国された後、日本と世界のさらなる文化交流に貢献したいとお考えになった憲仁親王は、日本の国際交流基金(ジャパン・ファウンデーション)の嘱託として20年以上勤務された。中でもバレエなどの芸術にも精通されていた憲仁親王にとって、多くの芸術分野とも関わりを持っている国際交流基金で勤務されることが相応しいのではないか、という理由で選ばれたそうだ。

憲仁親王と妃殿下をつなげたカナダ

 東京にあるカナダ大使館においてよくイベントに参加されていた憲仁親王。妃殿下と憲仁親王が初めてお会いされたのもカナダ大使館だったというから驚きだ。当時は通訳としてイベントに参加されていた妃殿下。その時を振り返り、カナダ大使館、そしてカナダは二人にとっての「仲人」だと笑顔で感謝の意を表していた。

 二人が出会ったのは1984年の4月。その一ヶ月後には妃殿下と妃殿下のご両親が憲仁親王の招待でカナダから訪れていたオーケストラのコンサートにもご出席されたそうだ。その後、徐々に愛を育まれたお二人。同じ年の8月1日に婚約が成立し、同年12月4日にご結婚された。今ではあまり知られていない話かもしれないが、実際に二人がカナダにより繋がれたといっても過言ではないのだ。

先住民の伝統工芸に魅せられた憲仁親王

 このような縁もあり、ご結婚された後もお二人はカナダと深い関わりを持ち続けられることになる。
 ご結婚後、お二人で様々な国を訪問された憲仁親王と妃殿下。その中でも、カナダは六度も訪問されているという。ジャパン・ファウンデーションで『氷山ルリの大冒険』を朗読された際にも妃殿下が語られていたように、お二人はカナダ北部にあるヌナブトもご訪問された。その際、現地の先住民であるイヌイットの人々が手掛けた彫刻に惚れ込んだ憲仁親王はそれをきっかけにコレクションをも始められたという。

 このコレクションはやがてとても大きいものとなり、現在では日本のカナダ大使館に設置。一般客も見られるようになっている。

 2002年に47歳の若さでお亡くなりになった憲仁親王。憲仁親王の薨去は日本全国に衝撃を走らせたが、最期を迎えたのがカナダ大使館だったということはそこまで知られていない話なのではないだろうか。カナダ大使館にて当時の駐日カナダ大使とスカッシュを練習されていた途中、心不全により倒れ帰らぬ人となってしまった憲仁親王。このように、生涯の最後までカナダとの深い関わりを保ち続けたお姿は、紛れもなくカナダに一番近い皇族の一員だと言えるだろう。

受け継がれる憲仁親王の想い

 また、憲仁親王が薨去され数ヶ月経った頃、カナダ大使館の前には憲仁親王の追悼に木が植えられた。このように、憲仁親王の生前のご活躍、そして貢献は今でも多くの人の心の中に残っていることがわかる。憲仁親王の想いや記憶が受け継がれているのは高円宮家を通してのみならず、カナダ国内の様々な組織も貢献している。中でも、今回のご訪問で妃殿下が訪れられたROMにはプリンス・タカマド・ギャラリーがある事は有名な話だ。

 しかし、憲仁親王の追憶はこれだけに留まらず、中でも教育の現場においても日加関係の発展に大きく貢献されている。

 アルバータ大学にあるプリンス・タカマド・ジャパン・センターは日加両国の大学の関係強化に貢献するJapan Canada Academic Consortium(JACAC)において代表的な役割を担っている。

 JACACは今年10年目を迎え、憲仁親王の母校であるクイーンズ大学にて学生の交流を目的としたフォーラムも開催されたそうだ。また、同センターでは日本とカナダの文化交流のさらなる発展のためにと設立されたプリンス・タカマド・メモリアル・ファンドと呼ばれる基金をも設けている。

 さらに、憲仁親王がお亡くなりになった後も、憲仁親王妃久子殿下をはじめ彼の家族は彼の意志を引き継ぐかのように日本とカナダの関係に長年貢献され続けてきた。
 例えば、日本の文化や言語にまつわる知識を競う大会の一つであるジャパン・ボウルはアメリカで1992年より、そしてオンタリオ州では昨年より始動。同大会の名誉総裁を妃殿下が務められている。

 このように、若い世代を中心に日加関係の発展に貢献してもらうべく、憲仁親王とご家族の名前のもと日本とカナダの関係発展を目的に幅広い活動が行われていることがよくわかる。

 また、高円宮家の三女・絢子さまはブリティッシュコロンビア州にあるカモーソン・カレッジ、そしてその後はブリティッシュ・コロンビア大学に在学されていた経験がある。

 そのような経験もあり、2017年にはアルバータ州のレスブリッジを訪問。その際には日加友好日本庭園の創立50周年記念セレモニーにもご出席された。

 絢子さまはまた、ブリティッシュコロンビア州のCanada-Japan Societyの名誉総裁も務められている。絢子さまのご活躍について、妃殿下は「彼女のカナダに対する強い想いを知る限り、これからも日加関係の発展に貢献してくれることだろう」と大きな期待を寄せられていた。

トロントの他にも多くの都市をご訪問

 今回カナダを訪問された妃殿下はトロントの他にもオタワ、プリンスエドワードアイランド州のシャーロットタウン、エドモントン、バンクーバー、ビクトリアなどの主要都市を数多く訪問された。

 首都のオタワでは最高裁判所をはじめオンタリオ小児病院やホスピスにも足を運ばれた。また、石兼大使と共に大使公邸で行われたレセプションに御出席された。
 プリンスエドワード島では「赤毛のアン」の原作者・モンゴメリを記念した公園の開会式にも参加された。

 最後に訪問されたバンクーバーでは、ミシサガでも開催されていた「ジャパン・フェスティバル」のように当日開催されていた「日系祭り」にも御出席された。

 このように、各地で日加修好90周年にふさわしく日本とカナダの多岐に渡る交流を再確認された御訪問になったのではないか。

 今回の妃殿下のご訪問だけを見ても、いかに高円宮家がカナダとの関係を大切にしているかが窺える。それは故・憲仁親王が遺された偉大な功績といえよう。日加修好90周年となった昨年と今年。これからも妃殿下をはじめとした高円宮家には日本とカナダの友好関係において掛け替えのない役割を担い続けられることだろう。