匠インタビュー

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Y. Kawakami Guitars代表・ギター職人
川上 祐介さん

伯父は世界的に有名な日本のギター製造会社代表、父親はその会社で働くギター職人・・・、そんな環境で育った川上さんは幼少時代、伯父のギター工場に行っては、木工をして遊んでいた。大学卒業後は、某文房具会社で営業職に就くも、学生時代に感じていたような”熱さ”を感じたいという思いを抱えながら働いていたという。
そんなとき、ふと社会人になって初めて訪れた伯父の工場での経験が、彼をギター職人の道へと向かわせる。「工場特有の木と塗料の匂いに、懐かしさを覚えると同時に、体中がぞくぞくっとしました。子供の頃とは違い、ギター職人を
”職業”として初めて認識することができたのです。自分の好きな、音楽、ギター、ものづくりという三点をすべて満たしているギター職人・・・、その瞬間、”これだ!”と思いましたね。」
だが、その道で働く父は”個人でギターを作っていくなんて成り立つわけがない”と反対。まずハンドツール(鑿・鉋・小刀)で下駄を製作するよう命じる。川上さんは、サラリーマンとして働きながら、様々な木工を製作。ギター職人の前に、木工職人としての経験を積む。
「あくまでも木を加工するのがギター職人なので、基礎がしっかりしていないことには応用が利かないのです。父が最初に下駄をつくれと言ってくれたことには、本当に感謝しています。」
ハンドツールの使い方をマスターした彼は、生涯初の楽器、ウクレレを製作。その完成の喜びが後押しとなり、1996年に会社を退職する。バンクーバーのLarrivee Guitarsの工場を自作のウクレレを携え訪れたことが、代表がウクレレ製作を計画していたことと重なり、ウクレレのコピーを条件にワーキングホリデーでの雇用を約束。1999年にWHビザを取得し、1年間Larrivee Guitarsで働く。数年の日本での活動を経て、2002年にバンクーバーに移住する。
「WHの1年間は無我夢中でギターづくりを学びました。WHなのに(笑)学生時代のような熱さが完全に蘇りましたね。それが未だに続いているということは、すごく幸せなことだと思います。」
川上さんはハンドツールを使い、大きな材木を洗練されたギターのかたちに仕上げていく。「ハンドツールは、今までイギリス製などいろいろ試してみましたが、ほとんど日本製のものを使っています。鉋は新潟県与板町のもの、小刀は兵庫県三木市のものしか使わないですね。道具の生産者の方にもお会いして、ありがたいことに僕専用の小刀をつくってくれるという話も進んでいます。」
2年前には、ギターボディで右手肘の当たる部分の角を緩やかに削るという独自の構造・技法で特許を取得。「これは、椅子のアームレスト部分をヒントにしました。おもしろいことに、ギターは使いやすさを突き詰めていくと、シンプルできれいなかたちになっていくのです。」


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JSSクラフトコーディネーター / 絵手紙インストラクター
秦ペレクリタ 佐千子さん

2003 年に産休で日本に長期帰国した際、昔から絵手紙を嗜んでいた母の勧めで絵手紙を始めた秦さん。「比較的共通項の多い仲間たちと同じものをモチーフにしていても、描く絵のタッチや言葉がまるで異なり、表情の違う絵手紙になります。さらに、送るととても喜ばれ、そこからまた返事が絵手紙で来ると、ますます嬉しさが込み上げて来て、良いローテーションがどんどん続いていく。そんな絵手紙のコミュニケーションが新鮮で、絵手紙に一気にハマってしまいました。」
地元の絵手紙ギャラリーには常駐の先生がいたので、彼女は時間を見つけてはそこでひたすら絵手紙を書いていた。始めて間もなく、試しに応募したコンテストで見事大賞に輝いてから、連続してコンテストに出品し、そのほとんどで入賞している。
「絵手紙には技術のレベルは関係なく、どれほど気持ちが込められているかが重要です。普通の絵画とは違い、”こう書かなきゃいけない”という決まりはなく、ヘタで良い、ヘタが良いのです。初めての人でも時に驚くほど良い作品を書くことができます。」
その後カナダに戻るも絵手紙の先生がおらず、彼女にとって年に2カ月の日本帰国の際、ここぞとばかりに絵手紙講座を受講し、各地の教室やイベントにするというのが毎年の恒例となっている。
2009年にJSSでボランティアを始めると、クラフトで絵手紙を教えてほしいとの声がかかり、現在はクラフトコーディネーターを務めながら絵手紙の講師を務め、JCCC、ミシサガでもクラスを開講している。
日系イベントで絵手紙ブースを出せば多くの人が集まり、そのうち教室の問い合わせやイベントへの出店依頼が舞い込むようになった。震災後には、被災地への応援絵手紙でさらに様々な場所に呼ばれるようになったという。
絵手紙は52年前にできたニューカルチャーだが、1980年代急速に広がっていき、現在では日本全国どこにでも教室があるというほど普及している。カナダでの絵手紙の普及、それが彼女の願いだ。
「今までは日本人や日系の方々が中心でしたが、これからはカナダ在住の移民を含むカナディアンの方々にも積極的にアプローチしようと思っています。絵手紙はあくまでも”絵の入った手描きの手紙”であり、手紙として完成していなければならない。しかし日本語で書かれている作品がほとんどですから、英訳する際にはニュアンスを正しく伝えるための英語表現に苦心しますが、絵手紙創始者である小池邦夫先生に”カナダは任せた”と仰っていただいたことが励みになっています。まずは、観て知って頂く機会を増やしていければと思っています。」
現在、ジャパンファウンデーショントロント(トロント国際交流基金)にて「ありがとう」絵手紙展示会が6月1日まで開催され、展示期間中の5月15日には絵手紙無料体験ワークショップも開催される。また、秦さん夫婦で運営するアートスタジオも近日オープン予定で、今後はJCCC、ミシサガのクラスに加え、ここでも定期的に教室の開催を予定している。


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ニシネルアーワークス代表・ルアーカーバー
西根 博司さん

Blog URL…http://synceye.wordpress.com

大の釣り好き一家に生まれた西根さん。物心がついたころから釣りに親しみ、中学一年生の頃にルアーと出会う。お金のない中学生、ならば自分で作ろうとルアーを作り始める。そのうち、どんどんとルアーづくりの面白さを発見。「これで生計が立てられれば最高だな」とルアー職人を志す。「当時はルアービルダーで食べている人なんていなかったのに無謀だったなと、今では思いますね(笑)」
高校卒業後、ルアー職人になりたいという目標を達成するためにはどうすれば良いかと考え、”いろいろなところで釣りをしてみなければ良いルアーができるはずはない”と、自転車にテントと釣り竿、寝袋を積んで、日本国内放浪の旅に出る。その旅の途中で日本一のハンドメイドルアー職人・遠藤龍美さんのルアーを見つけ、”この人のこのルアーが作りたい”と、手紙で弟子入りを志願。弟子をとっていないと言われながらも、遠藤さんのもとへ赴き、何度も直談判し弟子となる。
師匠のもとで住み込みで修業を積み、6年半後に独立。滋賀県で自分の工房”ドリーム ラッシュ”を持つ。あるとき、放浪の旅で出会った友人経由で、カナダ西部の村・ランドにあるホテルのオーナーに自作のルアーを観てもらう機会があり、オーナーから「観光事業の一環としてぜひ取り組みたい、カナダに来てくれ」との要請を受け、98年、カナダにやって来る。
それから1年後、永住権を取得するもホテルが倒産。プロジェクトも頓挫し、自分のルアーで釣りをして生活する日々が続く。その後、2006年にバンクーバーに移り、ニシネルアーワークスを設立。そして2011年、北米で人気のあるルアー対象魚のほとんどが生息し、市場も大きなオンタリオに来る。
「僕の仕事の最終目的は一つで、ルアーを使って下さった人達にハッピーになってもらう事です。ボロボロになるまで使い込まれたルアーを見せて頂くのが嬉しいのは勿論ですが、たとえそれが鑑賞用だったとしても、それでその人がハッピーになってくれるのであればそれで良いです。僕にとって、ルアーは自分が生きてきた証と変わらないので、とにかく妥協だけはしたくないという気持ちですね。」
ルアーはすべてハンドメイド。ルアーには様々な材質のものがあるが、どれも元となるマスターモデルは木で作られる。「以前はルアーとは自分でデザインして、自分で作り出すものだと思っていましたが、今ではがらりとその考えが変わり、木塊の中にはすでにルアーがあって、僕の仕事はそのルアーをその通りに削り出す、という感覚です。ですから僕は、自分のことを”ルアーデザイナー”ではなく、”ルアーカーバー”だと思っています。この仕事は一生現役、一生追求していく価値のあるものだと思います。」


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株式会社 エア・クリエイティブディレクター/マルチメディアクリエーター
尾西 知樹さん

”デジタル技術をアウトドアの場でも活かし、相乗効果をつくりだしていきたい”、そう語るのは、マルチメディアクリエーターの尾西さんだ。
彼は日本とアメリカで映像制作を学んだ後、フリーランスを経て、2001年日本で友人とマルチメディア制作会社・エアを設立。2009年カナダ移住後も、東京のオフィスと連携し、コンピューターを使用したFlash系のWebや映像、写真を用いた企業のウェブデザイン、さらに近年ではiPhoneやiPad等のモバイル系端末用アプリのデザイン開発も行っている。
そんな尾西さんは、大のアウトドア好きでもある。世界を放浪し、カナダに学生時代ワーキングホリデーで訪れた際には、バスや車、ヒッチハイクや野宿などをしながら、ニューファンドランド以外のすべての州を巡ったという。
そんな彼の二つの世界が、2007年に訪れたモンゴルでの撮影旅行を機に繋がっていく。
モンゴルの遊牧民の生活には近年まで無線、それも限られた数のものしかなかったが、携帯電話の登場によって飛躍的に通信手段が向上。出稼ぎや狩りに出掛けている夫に、大草原の真ん中のゲルで待つ妻が携帯電話で嬉しそうに話している姿を現地で目の当たりにした尾西さんは、そこで”IT系の存在する意味”というものを実感する。「当時の僕はIT系の仕事をしながらも、自身は”持たされている”と言った感覚で、携帯電話があまり好きではありませんでしたが、モンゴルの360度見渡す限りの大草原から、日本に写真メール機能を使って”今立っている大草原”の写真を送信することができたとき、”これがしたい!”と思いましたね。」
その後iPhoneやiPadが登場し、日頃から使用法や操作感等を研究していくなかで、これを自分の好きなアウトドアの分野でも活かすことができないかと考えていたときに、世界最高峰のネイチャーフィールドで活動するオンタリオ・アウトドア・アドベンチャーズ(OOA)の代表と出会う。OOAに広報として参加し、アウトドアフィールドで写真や動画を撮影、即時にインターネットやデジタル技術を使用して世界へと発信している。また、OOAで自然に対する知識等も教わり、現在はネイチャーガイドとしても活躍している。
そうして得たネイチャーフィールドの現場での経験や思いつきは、マルチメディア制作のデザインや開発にもフィードバックされており、彼の制作物にはどこかオーガニックな温かみを感じるものも多い。
これらの他にも、”iPhoneでどこまで出来るのか”をテーマに、iPhoneのみで撮影・制作した写真(iPhonegraphy)ブログなど、次々とデジタルのマルチメディア制作で培ってきた技術と感性をアウトドアの現場でも活かす試みをし続けている。
「今シーズンはカヌーを使ってアルゴンキンの奥深くへ分け入り、実際のアウトドアのリアルな現場から写真や情報を発信していきます。ネイチャーガイドとしても、360度パノラマ写真撮影等の技術を織り交ぜながら、日本からのお客さんたちに大自然を案内していく予定です。今月からTORJAでのアウトドア連載も始まりますので、ぜひチェックしていただきたいですね。」


aoyagi_japanfoundation_takumiジャパン・ファウンデーション・トロント(国際交流基金トロント日本文化センター)
プログラムオフィサー
青柳 俊明さん

国際文化交流を担う機関として、幅広い分野での文化事業を実施しているジャパン・ファウンデーション・トロント(以下、JFT)。その様々な文化交流イベントの企画制作に長年携り総指揮をとっているのが青柳さんだ。
彼は、もともとは1982年にオペラの演出家を目指し、カナダにやってきた。無給見習いとしてオペラの仕事をしつつ、並行して行っていた折り紙を教える仕事のなかで、日本、そしてアメリカにはそれぞれ優秀な折り紙デザイナーがいながらも互いに交流がないことを知り、アーティストの海外紹介活動を開始する。
「折り紙では、自分でデザインもしましたが、他の人のデザインを探っていくことの方がおもしろかったですし、そのデザインを他の折り手の人たちに教える、紹介するということに、どんどんと興味を持っていきました。特に国境を越え、言葉を越えてそれができることがおもしろく、同時に、誰かがやらなきゃいけないことだという思いもありました。」

そして、93年から現在の職場であるJFTで働き始める。当初は舞台芸術が中心だったそうだが、その後、美術やデザイン分野など幅広い分野を扱うようになったという。
98年から始まったポスター展シリーズでは、過去に永井一正氏や福田繁雄氏、田中一光氏といった日本グラフィック界最高峰の巨匠たちの作品群を軒並み招致。現在もJFTにて、各巨匠寄贈作品を観ることができる。

そして2009年から始まり、今年で第5回目を迎えたシネマ歌舞伎。今年は4日間で1000人を超す来場者数を記録、配給元の松竹からも称賛されたという。このシネマ歌舞伎も彼発案イベントの一つだ。
「近年は、モノや人を動かすということが金銭的にも難しくなっています。特に日本の芸能は、熟練の方ほど素晴らしい表現力を持っていく傾向があり、高齢の方が多いため、交通や食事などの面で招致は演者の方々への負担が大きいです。ですから、デジタルで海外に日本の芸能を紹介していくということは、とても理に適った方法だと思っています。また、どのイベントでも英語のケアを行い、日本人とカナディアンの両方に楽しんでいただけるよう企画しています。」

これまで、数多くのイベントを手掛けてきた青柳さんだが、どのイベントにおいても未だに当日はあがってしまうという。
「歳を重ねて慣れたり熟達するのかと思ったら、内心こちらがあがるのはひどくなるばかりです。僕がやっていることは、人のやっていること、つくったものを紹介することですから、場の環境が整っていなかったら終わりで、要は気配りの問題です。ちょっとしたことでも、お客さんやゲストの方に大きく影響しますからね。ですがその反面、この仕事のご縁で素晴らしい方々に会えるという感激は一入です。そして、会場でお客さんの興奮度を肌で感じ取ることができることは本当に嬉しいですね。この二つがあるから、僕はこの仕事を続けているのです。」