TORJA東北復興通信
「復興の森」と「森の学校」の歩み
―「アファンの森財団」大澤 渉氏より
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●第4歩 「ニコルの森の学校プロジェクト」委員会事務局の取組み(後半)
「森の学校と聞いて、今までとは違う事を要求されては対応できないと不安を感じる先生方が大部分だったのではないかと思います。」と大澤氏は思い返す。アファンの森財団は自然環境のプロであっても、学校教育のプロではなく、また、実際の授業は教師らが行うもので、現場に立つ教師らにとっては自然環境を相手にした授業は専門外だ。現在、学校完成までの間に、プログラムの検討を進め、どのような授業形態にしていくか、話し合いを続けている段階だそうだ。
そんな取組みを進めながら、統合する野蒜小学校、宮戸小学校2校で、総合学習の時間をアファンの森財団を講師とした出前授業にあててもらっている。復興の森やその周辺の自然環境を利用することで、子ども達が自然と触れ合う機会になるのはもちろん、教師らにも森というフィールドをどのように利用して授業に活かしていけば良いのかを実際に体験してもらう機会にもなっている。このような地道な活動を通して、森の学校に対する教師らの理解は進んでいる、と手応えを感じている。
2014年4月、プロジェクト委員会発足時のメンバーに加え、野蒜地区の農業法人「アグリードなるせ」や、地域全体の発展に取組む団体らとも協力し、新たに「のびる森の学校プロジェクト委員会」としてスタートした。「学校に隣接している森に限らず、東松島市が持つ豊かな自然そのもの、例えば谷戸に広がる田んぼや宮戸の海などの環境が授業の教材になり得、その場所が教室になる」と、地域全体を森の学校と位置づけ直した。
提案時の、森の中に教室が点在し森の中で授業する、教室と森とが1体となった環境で授業ができるという構想が、子どもたちの安全面や、現在の文部科学省のカリキュラムの内容を考えると、現実的には難しいことが分かってくる一方で、周辺の自然環境調査を進めるうちに、東松島の自然環境の素晴らしさに気づいた。また、その中で育つ子ども達の様子を見た時に、隣接する森だけが森の学校と言うにはもったいないとも思えてきたためだ。大澤氏は、「隣接する森にこだわるのではなく、地域の自然と地域の人達とで子どもたちを育てていくことが、本当の森の学校だと思うようになりました」と語ってくれた。
プロジェクトは、森の学校を起点に地域全体を活性化し、この地区を発展させていくことも視野に入れた取組みへと変わっていった。また、公立で森の学校を実現して行くためのノウハウ蓄積、調査をしていくための産学共同研究会(現、「森が学校計画産学共同研究会」)も発足した。東松島で森の学校を実現させ、それを全国各地へと広げていくための研究も同時にスタートしている。
次回●第5歩「復興の森」のシンボル、ツリーハウスをつくる」をご紹介します。
エイサー石巻
代表 東恩納 寛武さんより
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「エイサー」が繋ぐ今と昔、人と人、石巻と沖縄
エイサーは、沖縄に受け継がれる唄と踊りの伝統芸能だ。旧盆に先祖の霊を迎えるための儀式として演舞する。石巻で演舞されるエイサーは、沖縄県北部、今帰仁村の湧川(わくがわ)という地域で30年以上踊り続けられてきたものだ。この今帰仁村出身の東恩納 寛武さんが、エイサーを通じて石巻と沖縄を繋いでいる。
きっかけは、東日本大震災後のボランティア活動の中で出会った涙だった。避難所から仮設住宅への引越しの手伝いをしていた。楽しく会話している最中、震災の話題になると「大切な人も、物も、思い出も流されちゃったから、こんな大きな部屋必要ないんだけどね」と涙が流れた。どう声をかけてよいのかわからず、一緒に泣く事しかできなかったそうだ。胸いっぱいに悔しくて、情けない気持ちが広がった。「石巻の人々の喜ぶ顔をみたい。僕だからこそできる事は何だろう?」と考えた時、エイサー以外は思い浮かばなかった。
仲間集めから始めた。エイサーの迫力を肌で感じてもらうことが何より、と思い、ビデオでも沖縄でも見てもらった。石巻のメンバーの1人を説得し、そして一緒に沖縄のメンバーを説得した。沖縄の承諾が得られた頃、石巻の「みこしの会」が、石巻で踊る環境を整えることに協力してくれた。当初は訝しげに見られていたかもしれない、と東恩納さんは振り返る。資金集めでは、方法もわからないまま、ヨレヨレのTシャツと半ズボンで会社に乗り込み「石巻でエイサーを踊りたい。支援してください!」と繰り返した。協力を申し出てくれた会社から、次の会社へと繋がっていった。自己資金とクラウドファウンディングなどでの全国からの支援で当時の活動資金を集める事ができた。
三味線の音色と唄、力強い太鼓と足踏みが響く演舞は、長い列となってゆっくり進んでゆく。唄は沖縄に歌い継がれた民謡で、10曲近くで構成されているそうだ。恋を謳ったもの、沖縄の昔の日常、永遠の愛やお酒に関するものまで様々との事で、エイサーが沖縄の今と昔、老若男女を繋ぐ踊りだ、という解釈に頷ける。「チョンダラー」と呼ばれる顔に独特のメイクを施した一際目を引く演舞者がいる。エイサーでは、道化役にあたるそうだ。チョンダラーメイクの子ども達が楽しそうに隊列に参加している。
「石巻川開きまつり」での演舞をメインに、仲間とともに、現在では各地域から声がかかるイベントでの演舞や練習に打ち込んでいる。東恩納さんは、石巻に移住して4年目。エイサー石巻のメンバーは次第に増え、現在2〜35歳までの約30名になる。東恩納さんは今後、若いメンバーの成長や喜びを感じたい、と語ってくれた。新しい環境で、新しい事に、例えば、遠く離れた祭りで演舞したり、石巻に全国のエイサーが集う祭りを開催したり、と構想を思い描いている。
■寄付金受付情報 1口3,000円から
ゆうちょ銀行 エイサー石巻(エイサーイシノマキ)
【店名】八一八(ハチイチハチ) 【店番】818
【預金種目】普通預金 【口座番号】1177515
振込の際、必ずお名前をご記入ください。
連絡先:eisa.ishinomaki@gmail.com
※お礼状をお送りしたく、こちらへお名前、ご住所のご一報をお願いいたします。
10月の定点カメラ
@リアスNPOサポートセンター事務局長 川原 康信
HP : kickoff-rias.com/fukkocamera
FB : www.facebook.com/fukkocamera
「美しい風景?」ここは、釜石市浜町の釜石魚市場前付近の道路です。左の写真は、川面に雲が映し出された美しい写真に見えますが、三陸沿岸の地盤が地震の影響で低くなったため、海水が道路に押し寄せて通行ができませんでした。左側の堤防の奥の建物が魚市場です。そして10m先に釜石港があります。