釜石の軌跡 | 東北の小さな酒蔵の復興にかける熱い想い【第70回】

 東日本大震災で多くの犠牲者を出した岩手県、そして東北で語り継がれる避難の姿です。

 釜石市は東日本大震災で多くの被害を出したまちの1つです。ラグビーが盛んで、昔は釜石製鉄所などの鉄鋼のまちとして大いににぎわいました。そんな釜石市では、古くから津波との戦いの歴史でした。

 岩手県の沿岸部に伝わる、津波から命を守る方法を「津波てんでんこ」と言われています。これは、津波が来たら、まずは自分が逃げろ、誰かを助けるとかではなく、まずは自分が自分で真剣に逃げることで、それをみた周りもみんな災害に気づき、みんな逃げる、という教えです。

 しかし、これはまだ車も発達していない時代の話で、今現在では車があまりにも便利になりすぎて、車移動が前提の避難では、どうしても一人で逃げる、がやりにくいのも確かです。

 この「津波てんでんこ」の教えを守り、学校全体で避難をしてその避難の中からは一人も犠牲者を出さなかった例が「釜石の軌跡」として伝えられています。

 釜石東中学校の生徒は地震発生を受けて高台へ避難を開始しました。その隣にある鵜住居小学校は一旦校舎の3階に避難しましたが、よびかけなどで高台を目指しました。一時避難したグループホームに到着しましたが、崖などが崩れ始め、その異常さからさらに高台にまで上がったところ、一時避難した場所は5分後津波に飲まれました。この避難行動で一人も津波の犠牲を出さなかったのです。これを「釜石の軌跡」と呼んでいます。


 しかし、避難を開始するまでは紆余曲折がありました。当然、数十名の保護者が地震直後、学校に来て「子供を引き渡してほしい」となりました。ここで学校は毅然と「NO」と言いました。避難行動が始まっている最中にその行動を止めて個人を特定し、親に返す行為をしていては全体避難が遅れる事、さらに「津波てんでんこ」の教えの通り、まずはとにかく「逃げる」行動をしなければいけない事。ここで迎えに来た親を帰さずに一緒に避難する、という選択をして、親も子供も救われました。

 そんな奇跡の生還の中、残念ながら1名だけ命を落とした児童がいました。それが、その子は迎えに来たお父さんが救命救急士だったこと、学校としても救命のプロからの強い申し出を強く断れなかったため、家族に返してしまいました。結果、この子はお父さんと一緒に津波に飲まれて亡くなります。その場で対応した先生方は悔いを残すでしょう。しかし、私も親です。同じ立場になって迎えに行って断られても、おそらく自分の責任で連れて帰る選択肢を選ぶと思います。

 仮に、今回は避難が成功しましたが、人に預けてもしも避難が失敗したら、悔やんでも悔やみきれません。子供を物理的に迎えに行けないのならまだしも、手の届くところにまで行って、それをしないで自分だけで逃げる、もしくは帰る、というのはとても難しいと感じています。しかし、てんでんこは成功しました。とても考えさせられる「釜石の軌跡」でした。


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本文:南部美人 五代目蔵元
東京農業大学客員教授

久慈 浩介