【Art Fraud】嘘をついているのは誰?カナダで起きた世界最大のアート詐欺|特集「芸術に触れる春。嘘も楽しむ四月。」
Norval Morrisseau (ノーヴァル・モリソー)は先住民アートをカナダの現代アートとして世に認めさせた画家。「カナダのピカソ」とも呼ばれた彼が有名なのは、あいにく彼の芸術だけではない。
モリソーの名前をネットで調べると、すぐに見つかるのは「詐欺」という言葉。彼の作品にまつわる数え切れないほどの嘘が近年彼の知名度をさらに上げた。世の中には色々な嘘が存在する。嘘をつく者とつかれる者、人を傷つける嘘と人を守るための嘘。誰を信じるか信じないかが論争される中で見えてきた驚きの真実はアート界だけなく全国の人の心を痛めた。
守られなかった画家
1962年、モリソーは初めてギャレリーで個展を開いた。先住民画家では彼が初めての事だった。まだ先住民芸術が伝統工芸品として土産店などでしか売られていなかった時代、彼の作品はカナダのアート界に旋風を巻き起こした。
1932年、アニシナベ族に生まれたモリソーは6歳の時カナダ政府により拉致され、同化政策で建てられた寄宿学校に入れられた。彼を含む多くの先住民が暴力や性的虐待の被害に遭い、将来的にアルコールやドラッグ依存症に陥った。
老いてからはパーキンソン病にも悩まされた彼。自分の作品でもないものにサインをして他人の儲けを援助していたという報道が出た際には、病気のせいで判断力が失われたのではと噂された。
2000年代初めに贋作が大きく報道されたにも関わらず警察がすぐに動かなかったのはそのためかも知れない。だが家族や知人によると本当は亡くなる直前まで判断力が鈍ったことはないそうだ。
嘘その1: 贋作を売っていたギャラリー
モリソーの贋作を最も有名にしたのはカナダ発のロックバンド「Barenaked Ladies」のキーボードを担当しているケビン・ハーンだ。彼は2005年にヨークビルにある「Maslak-Mcleod Gallery」にて2万ドルでモリソーの絵を買った。
2010年にその絵を「Art Gallery of Ontario」のイベントで展示するために貸し出した際、当時のキュレーターに贋作だと指摘されたことが事件の全貌が明らかになる始まりだった。
ハーンがギャラリーオーナーのジョー・マクレオドに金を返すように要求すると、「もし金を渡したらギャラリーを閉めなくてはならない事になる。そもそも贋作が証明された裁判を知っているか?」と反感を買った。
知らないと答えたハーンに彼は「つまりフェイクは存在しない」と答えた。それがきっかけでハーンはその証拠を掴むために動き出した。
嘘その2:「フェイクは存在しない」と信じ切る人たち
法廷で戦うことを選んだハーンは、まず作品がどうマクレオド氏の手に渡ったかを調べた。だが手にした情報は全てでっち上げだった。マクレオドは2017年に他界しているが、彼は贋作を仕入れ、売っていたことは死ぬまで黙秘した。
だがジム・ホワイトというもう一人のアート・ディーラーによりランディ・ポッターというオークショニア(競売人)の存在が明らかになり、ポッターが1500から2000ほどのモリソー作品を競売にかけたことが公になった。マクレオドがハーンに売った贋作も元は彼から買ったものだった。無言だったマクレオドとは反対に、ホワイトはポッターから買ったことを公言しているが、贋作ではないと言い切っていた。
贋作と見られる作品を所持するギャラリー・オーナーやコレクターたちは「フェイクは存在しない」とモリソーの弁護士らと真っ向から戦ってきた。彼らは贋作を断定しようとする人を地位問わず片っ端から提訴してきた。
嘘その3:「仕入れ先」の正体
ポッターは競売に出したモリソーの作品はディビッド・ヴォスと先住民アートを集めていた男から譲り受けたものだと発言していたが、事実はもっと複雑なものだった。アニシナベ族のダラス・トンプソンと言う男性が2012年に警察に話した真実によると、サンダー・ベイに住むギャリー・ラモントという白人ドラッグ・ディーラーがこの一環のリーダーだった。彼は自宅でモリソーの甥、ベンジーにドラッグとアルコールを与える代わりに贋作を描かせた。一部の証言ではモリソーの弟、ウルフも関与していると言われていた。トンプソン自身もドラッグのために彼の家に身を置いたのが始まりだったが、ラモントによる性的虐待の被害者でもあった。警察がトンプソンの供述を信じ、動き始めるまであいにく8ヶ月ほどかかった。実はその前の2008年にも連邦警察が贋作の有無について捜査をしていたが、決定的な証拠はなく行き止まっていた。
嘘その4:サイン
贋作かどうかを見極める点で一番注目されたのはモリソーのサインだった。本物には彼のもう一つの名前、「Copper Thunderbird」がクリーの先住民文字で表に書かれている。モリソー本人のアート・ディーラーだったドン・ロビンソンや弟子のリッチー・シンクレアも本人は裏にサインすることはなかったと証言している。
ラモントと贋作の「ファクトリー」が明らかになってわかってきたことは、トンプソンとベンジーがサインを遊びで真似したことをきっかけにベンジーが捏造し始めたということだ。ラモントの逮捕後の証言では彼もサインをしていたという。以来贋作にはカンヴァスの表の偽サインとともに裏には黒い絵の具で英語表記の名前とコピーライトマーク、そしてサンダーバードの絵が描かれるようになった。
仕上がり後、ラモントの妻リンダが売り手に交渉した。トンプソンが車を運転し、アート・ディーラーやコレクターに売りに行った。トンプソン曰く関与を否定したポッターもラモントから全額現金払いで何枚も買ったそうだ。
ラモントの犯した罪の深さ
ラモントと妻は北カナダの先住民青年たちが参加する高卒認定プログラムのホームステイ先として自宅の部屋を貸し出していた。ホームステイ先になると州政府からお金がもらえたからだ。
衝撃的だったのは勉強に専念するはずだった青年らは贋作の制作に利用されるだけでなく、ラモントの性暴力の餌食にもされていたことだった。アニシナベ族のトンプソンが警察に真実に語ったのは彼本人を守るためだけではなかった。贋作にせよ、ホームステイにせよ、ラモントという白人が金儲けのために先住民を利用したことが許せなかったからだった。
カナダでは白人たちが押しつけた同化政策により先住民は文化も言語も失ってきた。モリソーが有名になる10年前まで彼らは独自の風習や祝い事も禁じられてきた。
アイデンティティを奪われてきた文化とその人々を利用してラモントは自分の望むままに金儲けをした。そして性暴力や脅迫で尊厳を傷つけ続けた彼の罪は許されるものではない。
謎に包まれるモリソーの意思
贋作が出回っていることにモリソーが気づいたのは早くて1991年だという。2000年ごろにはインターネットが普及し、ネット上は彼の贋作で溢れかえっていた。養子のゲイブ・ヴァダスとともにモリソーはこの現状に立ち向かうため弁護士を頼った。
2005年に芸術界のキュレーターや学者らを集め、「Norval Morrisseau Heritage Society(NMHS)」を設立。無償だが本物を守り抜くために協力をしてほしいと画家は彼らに申し込んだ。しかしモリソーがドラッグやアルコール、時には食料のために絵を描き、自らサインをしていたことはのちに出回る作品の管理を難しくしてしまった。
さらに、詐欺師のラモントとモリソーが顔見知りだったという証言もあった。画家本人が他界してしまってからは警察が本格的に動き出したにも関わらず謎は存在し続ける。
調査で暴かれた深い闇
近年、詐欺の内容をさらに深く掘り下げたのは警察官のジェイソン・ライバックだった。彼はラモントが1980年代に起きた少年殺人事件の容疑者の一人だったことに気づいたことから2019年、詐欺事件の解決に手を差し伸べた。
彼の調べで贋作がどうしてここまで広まってしまったのか、その経緯が分かってきた。
1996年ごろにディビッド・ヴォスが贋作の制作と販売を開始したことが第一章とも言われる。ヴォスはチームを作り、オンタリオ州からアルバータ州にまで販売しに出向いた。
第二章は2002年ごろ、ドラッグを通じて彼と顔見知りだったとされるラモントがヴォスのアイデアを盗み、自らのチームを自宅で率いた時期だ。ある報道によっては、彼らは共犯者であった。
それから最後は2008年にラモントとヴォスの知り合いが詐欺の手口をオンタリオ州南部の住民らに紹介したことだ。これらは画家本人の死後に現れた詐欺師たちだ。ライバックが家宅捜査に踏み入った場所ではいずれも大勢の「画家」たちがモリソー作品を描いていたという。
解決の兆し
ラモントは2013年12月、性的暴行の容疑で逮捕された。翌年の2月と5月にもさらに罪が発覚し、告発されている。5年の禁固刑を終えた彼は出所後すぐの2022年にも性的暴行と武器所持で再逮捕されている。
詐欺事件に関しては2023年の3月、ラモントとヴォスを含む8人が逮捕された。モリソーの弟のベンジーもアート・ディーラーのジム・ホワイトもそのリストに含まれていた。
贋作を証明したかったミュージシャンのケビン・ハーンは2019年に2年間にも及ぶ裁判で負けた後、上訴した。判決は覆され、彼には6万ドルの損害賠償が認められた。
現在の時点で世に出回った贋作と押収された贋作、そしてまだ断定されていないものを合わせると1万点にも上るのではないかと言われている。そしてその被害は推定1億ドルにも及ぶ。
これからアート業界に残された課題はモリソー本人がカンヴァスに生かした彼の先住民文化やその表現スタイルをどう守り抜いていくかだ。
おわりに
20年近くにも及んだ詐欺はアート界にも先住民コミュニティーにも大きな傷跡を残した。2019年にはこの詐欺の内容を大きく暴いたドキュメンタリー映画『There Are No Fakes』が公開。
警察は現在、監督ジェイミー・カストナーに対して映画のインタビュー映像を要求しているが、彼は「ジャーナリズムの自由を奪わせない」と強く反対している。
カストナーが戦っているように、モリソーにも制作の自由を維持するために戦う権利があっただろう。
作品リストを管理していなかったことは贋作との戦いには確かに不利だったかもしれない。だが依存症や病、貧困、先住民への偏見など、彼が人生で立ち向かった壁は本物の信憑性を薄めるために使われるべきではなかった。
そして贋作のために発言や表現、そして行動の自由を失った先住民たちのためにも白人たちの嘘を完全に暴いていく必要がある。モリソーの作品に生きる彼の真実とアニシナベのスピリチュアリティがこれからも守っていかれますように。