ゴールドラッシュに沸くNFTゲームの未来|世界でエンタメ三昧【第87回】
前人未踏の成長を見せるNFT市場
2021年に最も成長した市場は間違いなくNFT(Non Fungible Token=交換不可能なトークン)市場と言えるでしょう。それもそのはず、世界のNFT市場サイズは2019年2億ドル、2020年3.4億ドルときたものが、2021年は140億ドルとなっています。なんと1年間で40倍にも膨らんだのです。ただ…一体それが何を表す数字なのか、だれも実感がないのではないでしょうか?
ツイッターの創業者ジャック・ドーシーが「(これから行う)自分の最初のツイートそのものをNFTとして販売する」と宣言し、そこにオークションのような形で入札が始まり、結果、約3億円の値がつきました。え、ツイートを買う?すでにドーシーはツイートをしているのです。そのツイートは誰もが見ているし、自分もただドーシーをフォローしてそれを「見れば」いいだけ。ただそのツイートの所有権はすでにドーシーのものではなく、3億円でそれを買い取った人のものなのです。
なんだか狐につままれたような話ですが、2021年の初頭からNFT業界はこんな事例がわんさか生まれます。猿のアバターが3.3億円で取引される、Beepleという作家が作ったデジタルアートが75億円で販売される。何も海外だけではありません。もっと〝穏やかな〟数字ですが、日本でも与沢翼の第二子誕生のツイートは約200万円で売れて、セクシー女優波多野結衣のデジタル写真3千枚が1・63億円で売れました。数百万~億円といったサイズの投資が、アートや動画、ゲーム内アイテムまで「デジタルなコレクションに価格がつきはじめた」のがNFT時代の始まりです。
ブロックチェーン技術や仮想通貨と一緒にされるので、きなくさい匂いもするでしょう。ビットコイン(BTC)自体が2009年に始まり、マウントゴッグス事件などハッキングにあったりと過去4回ほどバブルを経験してます。ただバブルバブルといいながら、その1BTHの価格は何度も落ちつつ、確実に上昇しており、この1年半は1BTHが100万円から500万円以上になりながら、ずっと固定されているのです。NFTは基本的に「あなたの持っているこのツイート」や「この猿のアバター0001番」はあなた以外の誰もが所有していないことを証明してくれるブロックチェーンという技術によって、「コピーが当たり前」「音楽もマンガもアニメも海賊版であっという間にコピーされてしまう」といった過去20年くらいのデジタル世界の常識を転換させるものです。
家にある自分だけのフィギュアや、作家が書いた世界で1枚だけの絵のように、価値が保証されるなら≒価値が落ちないなら、と人々が安心して購入できるデジタル資産、というわけです。
設立2年で任天堂に迫るベトナムのNFTゲーム会社
NFT市場における2大ジャンルは「アート」と「ゲーム」です。2021年2月にNBA Top Shotという米国バスケットボールリーグの試合動画がガチャで出るコレクションが、2月3週目に週150億円も取引されたと驚いていた時代も、今で思うとまだ黎明期からの序章に過ぎません。7月からAxie Infinityというベトナムの開発会社が作ったゲームが、5月(3億円)→6月(12億円)→7月(200億円)→8月(400億円)と「月商」を増やしていき、この10月はなんと3000億円の取引額となっています。
100万人が月30万円使った計算になります。ピークは10月6日で、この1日だけで9万人がプレイする中、34万回の取引が行われ、約370億円のゲーム内アイテムの取引がなされました。1回あたり10万円で取引が行われたということになります。この金額は『PokemonGo』から『PUBG』まで年間2千億円といった過去最大のゲーム作品を超える取引額です。そしてこのAxieを開発したSky Mavisは、2019年設立の数十名のゲーム会社でしたが、時価総額が約3兆円とUBIソフトやT2を超えて、すでにEAや任天堂に迫る勢いで評価を受けています。
もちろんこうした取引総額がAxieの開発会社の売上というわけではなく、1回買ったゲーム内アイテムを二次・三次でユーザー同士で取引しているものもカウントされ、その中の数%といったマージン率で売上が立つことになります。それでも月1千億円といった取引があれば、それだけでも数十億円の売上にはなっていたりするわけです。AXSというAxieが発行する仮想通貨も、6月までは1AXS=数百円だったものが8月には8千円、いまや1.5万円まであがっており、半年で100倍になってしまいました。
美人投票が生み出すNFTゲームの歪さ
一体だれが買っているのか?仮想通貨もNFTも、ほとんどの方が気になるのは、まずユーザーの顔でしょう。ソーシャルゲームが隆盛した2010年前後と似たような状況ですが、当時をみていた自分としては、その時の〝勢い〟を遥かに超えているのを感じます。数百億円市場が数千億市場に(いま思うと)〝なだらかに〟増えたソシャゲは、非ゲームユーザーも流入しましたが、結局暇つぶし需要も含めて「ゲームでもするか」というメンタリティは共通でした。ですが、NFTゲームは、(以前セカンドライフと同じように)リアルに近い世界で、資本家のように人にゲーム資産を貸し出すだけの商売をしたり、ゲームそのものよりも「ゲームが流行している」現象そのものにのっかる、「ゲームの外側に滞在する」人たちが多様です。会場に行くけど客席を埋めるだけでコートには一切足を踏み入れない客がいるようなものです。
人気があるから流行する、という鶏と卵のパラドックスのような状況だからこそ、1位のAxieは前代未聞の爆発を見せていますが、NFTゲームで世界売上2位のilluviumは10月の単月売上は30億円程度でAxieの100分の一にしかなりません。日本で最古のNFTゲームであるMy Crypto Heroesも世界8位で月1億円の取引額(DapperRader調べ)。これまで3年間で100億円ほどの取引がされてきた日本最大級のゲームであっても、Axie Infinityとはまだ天と地ほどの開きがあります。1位のゲームが市場の9割を独占し、2位と100倍差をつける、というのは明らかに「普通のゲーム市場」には起こりえない現象です。
カジュアルな引っ張りパズルのモンストがどれだけ成功したとしても、やっぱりウマ娘でゆっくりシミュレーション・アドベンチャー的にウマ娘を楽しむユーザーもいますし、いまも10年近くツムツムでパズルを遊ぶユーザーもいるわけです。ゲームは〝遊び性〟のみが勝負になるため、ある程度分散される傾向にある。しかしNFTゲームというのは「ここが儲かりどころだ」という、ゴールドラッシュが生まれてしまうと、そのゲームが楽しいだのなんだのは通り越して、全員がそこに集中してしまう。
NFTゲーム市場は「美人投票」なのです。本当に美人かどうかではなく、皆が美人と思うかどうかを予測して集まる。だから世界ミスコンで綾瀬はるかが優勝してしまえば100人中99人が、「美しいと言えば綾瀬はるか」とブランドが過剰集中してしまう。かといってAxieがそんなに面白いのか!?といえば、特段めちゃくちゃ高レビューが集まっているわけでもなく、ただひたすらに「そこにお金も人も皆集まっているから」と、ブームになったキャラクターコンテンツやタレントのような状況になっています。
既存のゲーム会社がNFTに学べる3つのこと
投機市場だからと否定するのは簡単です。購入者もまだまだ少ないでしょう。数千人が購入して、100万人が稼ぐためにプレイするといった不均衡が起きている市場であることは確かです。ただゲーム会社にとってこれは看過するにはあまりにも歴史に類例のない現象であり、むしろ100万人の「稼げるならゲームをプレイしたい」というユーザー規模が(実際は数十億人規模だと思いますが)いたということです。
NFTゲームから既存のゲーム会社が学べる事はなんでしょうか。個人的にまとめると、それは「外付けサービスのつなぎこみ」「商品数・商品価格による『世界観リアリティの統括』」「ユーザーが参加するゲーム運営」の3点です。
NFTゲームユーザーは、その商品の投機性からも非常に情報ドリブンで様々な手段で常に市場モニタリングを行います。ツイッターからDiscordまで外付けサービスはもはやゲーム運営の一部であり、取引の仮想通貨からウォレットの選定まで、ゲーム会社は「どのサービスをつなぎこむとゲーム内市場が安定できるか」という外との連結点を探すことは不可欠になります。
また、ゲーム内アイテムの配布には非常にセンシティブになる必要があり、レアキャラを大量配布して400体のうち9割が1人のユーザーが買い占めるといったゲームバランスを崩壊させる事故も起きます。ゲーム内の資産は、運営側の資産ではなく、「ユーザーの資産」であるがゆえに、金融業のような規制産業がごとく、きちんと責任を持った管理が求められます。
最後に、こうした市場感覚に優れた、情報処理能力の高いユーザーが多いこともあり、ユーザー自身のゲームへの参加熱量は通常のゲームと比べ物になりません。20年前にオープンワールドのオンラインMMOで近い現象が起こりましたが、ユーザー内でのギルドリーダーが自然発生的に生まれ、時にそのユーザーをプロデューサーとして採用することも「当たり前」になる時代だと感じます。投票によって運営の是非を問うたり、逐一問題が起きるたびにユーザー層に「相談する」といった現象もNFTゲームではそれほど珍しいことではありません。
この3つの要素は仮想通貨を介して「デジタル価値」を保全するNFTゲームのみならず、オンラインとソーシャルを機能させるゲームには引き続き、より強い期待値をもって求められる時代になるでしょう。そうしたときに、「うちは投機市場には参加しないから」とこのデジタル時代にそっぽ向いていると、そのゲームは〝当たり前になった、オンライン前提の世界になくてはならない面白さ〟から自然と脱落してしまっているリスクを孕んでいます。