トロント市庁舎で「広島・長崎デー」サーロー節子さんも参加、歌や折り鶴、灯籠に平和への願い


1945年8月6日の広島、そして9日の長崎への原爆投下から81年。8月6日、トロント市庁舎のネイサン・フィリップス・スクエアにあるPeace Gardenで、Hiroshima Nagasaki Day Coalition(HNDC)主催の「81st Anniversary Commemoration of the Atomic Bombings of Hiroshima and Nagasaki」が開催された。
今年のテーマは「Security in Peace – Eliminate Nuclear Weapons」。会場には平和を願う市民や関係団体、日本にゆかりを持つ人々らが集まり、広島・長崎で犠牲となった人々を追悼するとともに、核兵器のない世界への願いを共有した。
トロント市が8月6日を「広島・長崎デー」に


トロント市は今年も8月6日を「広島・長崎デー」と宣言した。式典ではトロント市議のリリー・チェン氏が、オリビア・チャウ市長による宣言文を読み上げた。また、在トロント日本国総領事館からは松井主席領事が出席し、追悼と平和へのメッセージを寄せた。
広島の火、長崎の水――トロント市庁舎のPeace Garden

今回の式典が行われたPeace Gardenは、ネイサン・フィリップス・スクエアの北西側にある庭園だ。この庭園が造られたのは1984年。同年9月、トロントを訪問したローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が、広島平和記念公園から受け継がれた火を使って「Eternal Flame of Peace」を灯した。そして、長崎を流れる川から運ばれた水を池に注いだ。翌月にはエリザベス2世女王によって正式にPeace Gardenとして献呈された。

サーロー節子さん、81年目の夏もPeace Gardenへ

この日の式典には、広島の被爆者で、長年トロントを拠点に核兵器廃絶を訴えてきたサーロー節子さんの姿もあった。サーローさんは1945年8月6日、13歳の時に広島で被爆。その後カナダへ移住し、自身の被爆体験を世界各地で語りながら核兵器廃絶を訴え続けてきた。

その半生と活動を追ったのが、4年間にわたる密着取材によって制作されたドキュメンタリー映画『ヒロシマへの誓い サーロー節子とともに』(原題:The Vow From Hiroshima)だ。被爆80周年だった2025年には、トロント日本映画祭でカナダプレミアとして上映され、サーローさん本人も出席。さらに同年7月にはハミルトンのThe Westdale Theatreでも上映され、サーローさんが舞台に登壇したことは記憶に新しい。
「かわいそうだったね、だけで終わらせないで」

「ヨーロッパも非常に揺れていますね。軍縮ではなく軍拡という方向に進んでいる。その一方で、オーストリアやアイルランド、南アフリカなど、反核のために頑張っている国々もあります。そうした姿を見て感動して帰ってきました。でも、本当に心配ですね。なんとかこの危機を脱却しなければ」


歌、折り鶴、灯籠に託した平和への願い

式典では、音楽を通じても追悼と平和への願いが届けられた。フルート奏者ロン・コーブ氏が演奏を披露したほか、ガンバレ・ユース合唱団がパフォーマンスを披露し、若い世代の歌声がPeace Gardenに響いた。
また、広島県出身で、トロント在住の鵜飼優衣さんが、絵本の朗読を通じて佐々木禎子さんと折り鶴の物語を伝えた。禎子さんは、広島平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルとして知られる少女だ。1945年、2歳の時に広島で被爆した。その後元気に成長したが、10年後に白血病を発症。入院生活のなかで回復への願いを込めて鶴を折り続け、1955年、12歳で亡くなった。

1958年に完成した「原爆の子の像」の頂上には、折り鶴を高く掲げる少女の姿がある。禎子さんと折り鶴の物語は、その後、海を越えて世界へ広がった。英語圏をはじめ世界各地で児童書や絵本を通して伝えられ、広島で何が起きたのかを子どもたちが知り、平和について考えるきっかけとなってきた。
その物語を、広島出身の鵜飼さんがトロントで読み聞かせる。年号や犠牲者数だけでは伝わらない原爆の記憶が、一人の少女の物語として会場に届けられた。
ゲストスピーカーを務めたSANE Policy Instituteのエグゼクティブ・ディレクター、セサール・ハラミージョ氏は、世界各地で緊張が高まり、軍備拡張をめぐる議論が続くなか、「Security in Peace」をテーマに核兵器廃絶への道について語った。













