vol.18|『アメリカの鱒釣り』|翻訳の窓から – 書評で読む世界
原作が出版された本国より、邦訳されて紹介された日本でのほうが評価の高い作品はある。『アメリカの鱒釣り』(リチャード・ブローディガン著、藤本和子訳、新潮社文庫)もその一つで、藤本和子といえば、柴田元幸や村上春樹、岸本佐知子といったアメリカ文学の翻訳者たちが絶賛する翻訳者だ。私も憧れている。日本での評価が高いのは、翻訳の質の高さによるところが大きいのかもしれない。
『アメリカの鱒釣り』は、1967年に発表され、カウンターカルチャーやヒッピーのムーヴメントの中で一躍人気を博した小説で、47の短い文章が連なっている。タイトルから察するに、釣りについての話かと思いきや、そうでもない。主人公は時々鱒釣りに出掛けはするが、〈アメリカの鱒釣り〉なる人物が現れる。その人物は、時に「裕福な美食家」になってレシピを紹介し、死んで検死解剖され、〈アメリカの鱒釣りちんちくりん〉なる中年のアル中だったりする。「クリーヴランド建造物取壊し会社」という一編では、鱒のいる小川が売り出される。この小川は店のガレージに積み上げてあって、布を買うときのように、長さによって値段が変わり、滝の部分は非常に値が張る。樹木、鳥類、花、羊歯も別売りで、昆虫はある程度の長さの小川を買えば、サービスで付いてくる。
一体この変幻自在な〈アメリカの鱒釣り〉とは何なのか。ページをめくるたびに人物だったり、宿の名前だったり、概念のようなものだったりと、ひらひら変わるので、よくわからないのだが、そこが魅力なのだ。47の物語は直線的ではないが、どこかつながっていて、語り手の男は男臭いが男らしくはなく、飄々としていて、どことなく寂しそうで、心の奥にあきらめの気持ちを持っていそうでもある。それだけで読者をぐいぐい引っ張っていき、唐突に「マヨネーズの章」でこの本は終わってしまう。理路整然とした議論にうんざりしたときなどの気分転換に読んでみてはいかが。

新田享子
書評家・豊﨑由美を師と仰ぐ翻訳文学書評グループBookpottersのメンバー。国際政治、文芸理論、歴史衣装など縦横無尽にさまざまな分野の書籍を訳す英日翻訳者。kyokonitta.com





