九州(2):熊本〜長崎|紀行家 石原牧子の思い切って『旅』第106回
おこしき海岸(御輿来海岸)

難しい漢字表記より、ひらがなで書かれることが多い絶景が熊本県宇土半島にある。日本の「渚百選」と「夕陽百選」に入っていて、干満さが日本一大きい有明海に面している。熊本の私の写真展で知り合った現地の写真家が近いよ、と教えてくれた。ただの海岸ではない。夕方の干潮時に潮位が50〜70センチになると三日月型の砂紋が海岸線から沖まで広がり、その珍しい自然の造形美は有名だ。
2月から4月にかけて絶景の条件がそろう日が来るという。6月という見当はずれな時期ではあったが熊本まで来て行かないわけには行かない。ネットで調べると潮位は100センチ。ダメもとで三角線の電車に乗る。教えてくれた彼が駅から案内してくれた。さて、砂紋は見えたか?車から降りるなり「ワア〜ツ!」と叫んだ私。小規模とは言え肉眼で見るその見事な海岸芸術に言葉が出ない。一緒に記念写真を撮り、決めた。きっとまた来よう。
熊本から長崎へ

熊本〜長崎間は九州新幹線・特急リレーかもめ・新幹線かもめ、と乗り継いで約210キロをおよそ2時間で走る。指定を使うと約1万円、直通の高速バスなら4時間で約4千円。有明海を挟んでいるので近いようで遠い。さて、長崎市内の移動には時代物の路面電車が便利。ほとんどの観光地はこれで巡れる。東京で使っていたJRのSUICAのカードが使えて便利だ。夜の長崎を散歩すれば足は自然と長崎・出島ワーフに向かう。海鮮丼屋、ラーメン屋、寿司屋、何でもあり決断に時間はかからない。海から上がってきたサギが暗い海と電灯でキラキラ光った店の間に立ち何かを待つようにじ〜っと海鮮丼屋を見入っていた。
出島の貸借人

長崎といえば出島。1636年に作られた広さ15000㎡の島の目的は長崎市に住み着いていたポルトガル人を集めて監視し、キリスト教の広がりを防ぐことだった。そんな幕府の命を受けて長崎の町年寄りたち25人が扇型の島に建物を建て出島ができた。ポルトガル人から取り立てた家賃銀は年間80貫目(約30K)、今の金額で数億円に相当するとか。


しかし完成から3年後、幕府の政策で全てのポルトガル人は追放、代わりに鎖国で閉鎖に追い込まれた平戸のオランダ館が移転してきた。布教しないことを条件に出島だけが対外貿易拠点として許された。ちなみにオランダ人の家賃銀は年間55貫目と好意的(?)それでもおよそ1億円!政府はいくら召し上げたのか?
出島に入ってきた物

オランダ船の他に中国、プロシア、フランスなどからも船が来るようになり、日本全国唯一の西洋・東洋文化の入り口となった出島、蘭学のみならず、象、ラクダ、象牙、白砂糖、氷砂糖、生糸、ひまわり、トマト、ジャガイモ、オランダ菜(キャベツ)、パセリ、スパイスなどが入国。資料館では人形で当時の賑わいを再現している。江戸時代のこの頃、日本の紫陽花が土壌の異なったヨーロッパに持ち込まれ、東洋のバラと呼ばれるほどに赤く咲いた、と何かで学んだ。当時日本の土壌では青や紫に変色する紫陽花は忌み嫌われていた。日本はその東洋のバラを逆輸入し、今では品種改良を重ねて豪華な紫陽花が全国で売られている。東京ドームの3分の1しかないちっぽけな江戸時代の人工島から日本の生活体験がジワジワと変わっていったのだから国際交流のパワーは凄い。そして出島に咲くピンクの紫陽花が全てを語っている。
グラバー園と倉場富三郎

日本の西洋料理発祥の地でもあるグラバー園には有名なグラバー邸がある。しかし港の眺めはグラバー邸より高台の旧三菱第2ドックハウスからの方が良い。グラバー商会を設立したトーマス・グラバー(1838-1911)は石炭採掘にヨーロッパの技術を取り入れ日本の工業近代化に寄与した人だが、このことはいつか軍艦島で触れることにする。
ドックハウスでは視聴覚用のメガネをかけて倉馬富三郎(デジタル人間)が解説する長崎の歴史に耳を傾けるのも面白い。倉馬富三郎(1870-1945)はトーマスと日本女性(加賀マキ)との間にできた子だが、長男としてトーマス・ツル夫妻に育てられた。学習院を卒業してアメリカに留学し、その後長崎で水産業改革に貢献した。後年グラバー邸を三菱造船所に売却し、1945年のアメリカによる長崎原爆投下の2週間後に自害した悲劇の人だ。敵か味方か、自分の存在に悩んだに違いない。
(注:9月号記載の五校記念館は五高記念館の誤りです。訂正と共にお詫びを申し上げます。)

石原牧子
オンタリオ州政府機関でITマネジャーを経て独立。テレビカメラマン、映像作家、コラムライターとして活動。代表作にColonel’s Daughter(CBC Radio)、Generations(OMNITV)、The Last Chapter(TVF グランプリ・最優秀賞受賞)、写真個展『偶然と必然の間』東京、『久遠に逢う』東京・熊本、雑誌ビッツ『サンドウイッチのなかみ』。3.11震災ドキュメント“『長面』きえた故郷”。PPOC認定会員、日本写真協会会員、AFP、ESL教師。www.makikoishiharaphotography.com
https://makiko-ishihara.pixels.com
https://nagatsuramovie.com














