ベトナムへ(5)楽しいハノイ旧市街|紀行家 石原牧子の思い切って『旅』第115回
ブラ歩きで楽しいハノイの旧市街

ハノイ市内のホアンキエム湖の北に広がる職人の溜まり場、旧市街は外国客にも人気の場所だ。ハノイがタンロンと呼ばれていた頃、11〜19世紀に商業の町として栄え、いまでは大小約34の通りからなる賑やかな職人街だ。手作り楽器、カゴ製品、刺繍材料、銀製品、儀式用品やハンコ・金属メッキ専門、アルミ用品、墓石、棺桶、衣類など何から何までキリがない程ある。
狭い路地で鍋釜をだして熱々の揚げ物を売っている夫婦もいた。ありったけの商品を自転車に載せておし歩く行商人もやってくる。ここはベトナム庶民の顔がよく見えるところだ。

私のお気に入りはハンボー通りの裁縫道具屋が立ち並ぶ道。ボタン、ジッパー、生地、装飾品が小さな個々の店に所狭しと山積みだ。観光客対象ではなく、まとめ買いをする業界対象のようだ。一袋に数百個の同じボタンが入った袋が床から天井まで積み上げている店は問屋でしかない。

日本で販売されているアパレルブランド品は中国製に続き、ベトナム製が2位。ここはそういった工場でつかわれる服飾部品の卸問屋の町なのだ。私は服につけるブローチを二つ500円で売ってもらった。

ちなみに日本の和装業者が日本人のために注文する着物の仕立てや和裁品も今はベトナムに発注する会社が多い。日本人が縫うより安いからだ。なお、私が行った時は閉まっていたが、ホーチミンが独立宣言を起草した小さな建物もこの旧市街にある。
カフェをスレスレに通る電車

旧市街の北端に1.5mぐらいの小高いところに人目を引くような飾りが施された場所が見えた。一階にカフェ、上階にアパートの建物が並んでいる。一体何なのか。好奇心で短い階段を登ってみるとそこに道はなく電車の単線路があった。ここをハノイ駅に向かって電車が通過するのだ。それが名物で電車の時間にあわせて陣取っている人もいる。たまたま通りかかった私もコーヒーを注文し、テーブルに着くと15分ほどで電車が入る。赤旗に囲まれて赤い電車はガタンゴトンと次第に近づく。目をまるくして立ち上がった私の顔から20㎝離れたところをゆっくり通過した。カメラが電車に触れそうになり、あわてて引っ込める。電車が去るとそれを追いかけるようにみんな線路の上を歩き始めた。つられて私も…「お客さん、コーヒー代!」とカフェの主人が私を追いかけてきた。浮かれてドジをしたようだ。
天然石スタールビー

ハノイの大型土産物店内には宝石セクションがある。11年ほど前にベトナムのある農村で良質のルビー鉱床が発見され、町の宝石商が繁盛した時期があったそうだ。現在の採掘量はそれほど多くないそうだが、円やUSドルでも買える。しかし加工した石をアクセサリーにしている金属が金、銀、プラチナかどうか不明なので鑑定書は出してくれるが手は伸びなかった。値段の妥当性も一般客にはわからない。日本の友達がベトナムに行った時購入したというスタールビーの指輪は日本に帰ったらスターがもう出なくなったとぼやいていた。行く前に十分な知識を得ておいたほうが良さそうだ。私はココナッツ煎餅など、もっぱら味覚に応えるお土産を購入。
120年前、日本に救いを求めたベトナム人

日本の学校では習わない近代史の一面を話そう。フランスの植民地勢力から独立を目指した革命家、ファン・ボイ・チャウ(1867-1940)は明治維新の近代化した日本に軍事支援を期待した。大隈重信や犬養毅にも会ったが支援はえられなかった。しかし青年育成の重要さを認識し、東遊(ドンズー)運動を組織して1905年から日本に留学生を送りはじめた。それを援助したのが日本の一医師、浅羽佐喜太郎氏、私財を投じてこれを支えたという。合計約200人ほどのベトナム青年たちが日本に留学したのだが、皮肉なことに1907年に結ばれた日仏協約で日本はベトナム人を国外追放することになり、東遊運動は四年で幕を閉じた。
43歳でなくなった恩人、浅羽佐喜太郎氏への報恩の記念碑を建立するため、ファン・ボイ・チャウは1917年に日本に密入国し地域の援助を得て今の静岡県袋井市にそれを建てたという。彼は自国で独立運動中1924年にフランス官憲に逮捕され、終身禁錮となり自宅で無念の最後を迎える。それから100年後、2024年時点の在日本ベトナム人留学生の数は4万人強。居住者人口は約48万人と増えている。ベトナム人が日本に好意的なのもこんな歴史があるからだと思う。(終)

石原牧子
オンタリオ州政府機関でITマネジャーを経て独立。テレビカメラマン、映像作家、コラムライターとして活動。代表作にColonel’s Daughter(CBC Radio)、Generations(OMNITV)、The Last Chapter(TVF グランプリ・最優秀賞受賞)、写真個展『偶然と必然の間』東京、『久遠に逢う』東京・熊本、雑誌ビッツ『サンドウイッチのなかみ』。3.11震災ドキュメント“『長面』きえた故郷”。PPOC認定会員、日本写真協会会員、AFP、ESL教師。www.makikoishiharaphotography.com
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