伊豆再発見 — 須崎半島を歩く | 紀行家 石原牧子の思い切って『旅』第18回
関東地方に住んでいた人なら一度は訪れているかもしれない静岡県伊豆半島。それほど知名度の高い、というか私にとって近場感のある伊豆。だけど海水浴、温泉や海鮮料理より、〝歩く〟ことを主目的にすると伊豆は次元の違う面白い場所になる。夏はウォータースポーツやキャンピングのメッカのような伊豆も春は静かで落ち着いた大人の保養地だ。若い時の伊豆の印象はさておき再発見の旅に出る。
伊豆急下田駅から循環バスで須崎半島にある伊豆のニキビのような岬、爪木崎(つめきざき)にでる。須崎といえば那須、葉山と並んで皇室の別荘である御用邸のあるところ。バスが細い山道に入ると鬱蒼と木々が茂り何となくそれっぽくなる。御用邸前というバス停もあるが、建物は見えない。我々が下車したのはその先のウォーキングのスタート地点、爪木崎グリーンエリアのバス停だ。
眼下には紺碧の海、九十浜海水浴場の絶景が待つ。泳ぐ人はまだいない。御用邸のプライベートビーチもこの九十浜のどこかにあるという。お忍びでおいでになるには恰好の場所と言える程入り江は〝人目を避けて泳げます〟的な佇まいをみせる。下田のビーチ一番の穴場と言われる程の景観を誇る。 まずは浜辺に下りて島国日本の美しい輪郭の一部を堪能させてもらおう。
グリーンエリアの遊歩道は海岸と山道からなる。階段の上り下りが多いが皇族方が散策し易いように、か、どうかは分からないが殆どが舗装されていたり、石畳になっているので靴が汚れることは無い。「雅の丘」の高台から見渡せば白亜の灯台、爪木崎灯台と爪木崎の美しい砂浜が一望できる。昭和天皇と香淳皇后が詠んだ歌碑が建ち、冬は300万本の野水仙が咲きみだれ、周辺一帯は白の世界と化する。戦時下の天皇であった彼が日本の花々や大海原を戦後ご覧になって何を思われたであろうか。私達が訪れた春はアロエがそこかしこに成長していた。近隣の爪木崎花園は無料なので通り過ぎるわけにはいかない。華やかなブーゲンビリアは温室の女王として君臨し、時を忘れて私を夢中にさせる程咲き乱れていた。
しかし皇室のかたがたの散策もここまでだと思う。なぜかというと須崎海岸へ向かう道は勾配がかなりあり、舗装はされていない。普通の靴では歩きにくいチャレンジングな田舎道、途中狐や狸が出てきそうな気配もある。斜面をすこし削って作った猫の額ほどの畑や壊れた作業小屋が木々に透かしてみえる。
爪木崎でバスを降りてから歩くこと約5キロ、足下に民家が見えてきたらそこが須崎海岸の漁村だ。須崎は釣客が多い。磯釣りに適した良い足場が多く初心者でもチヌという名前の魚が楽しめるという。船釣りは真鯛やブリ類が中心で民宿にはみな大漁丸とか久寿丸とか船の名前がついているのがおもしろい。船を持つ漁師が釣り客の為に船を出すのだ。夕暮れ時、水揚げされたばかりの海藻を一杯に積んだトラックが私達の前を通り過ぎた。網をたたんでいる漁師の姿が一日の終わりを告げる。
須崎海岸と橋で繋がっている恵比須島がある。夕陽に岩藻が金色をおびて光るのがこの世のものとは思えない。 恵比須島はゆっくり一周しても30分あれば足りる程の小島。私が注目したのは滑らかな曲線美をみせる砂岩のフォーメーションだ。スケールはかなり小さいがアリゾナ州のアンテロープキャニオンの岩肌に似ている。その対比の愚直さに我ながら驚く。
村はずれの古民家カフェに立寄る。メニューには店主自慢の10種類ものコーヒーが満載。なのに、私達はストロベリーシェイクを注文した。コーヒーでなくて申し訳なかったのだが、店主の作ったシェイクは〝歩く〟目的を達成した私達の最高のご褒美のごとく美味かった。「うちは道に迷った人ぐらいしかこなくて」(えっ?)よく見るとマスターの顔が山から下りて来た狐のような…
石原牧子
オンタリオ州政府機関でITマネジャーを経て独立。テレビカメラマン、映像作家、コラムライターとして活動。代表作にColonel’s Daugher (CBC Radio)、Generations(OMNITV)、The Last Chapter(TVF グランプリ・最優秀賞受賞)、写真個展『偶然と必然の間』東京、雑誌ビッツ『サンドウイッチのなかみ』。3.11震災ドキュメント“『長面』きえた故郷”は全国巡回上映中。PPOC正会員、日本FP協会会員。
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