イタリア(10)トスカーナ巡り(4):温泉で国際交流?|紀行家 石原牧子の思い切って『旅』第35回
バニョ(Bagno)やテルメ(Terme)、テルマエ(Thermae)といえば、2012年に日本でヒットした「テルマエ・ロマエ」(ローマの浴場)を思い出す。ヤマザキ・マリ氏の漫画が映画化されて一躍有名になり阿部寛氏扮する古代ローマ人で浴場設計技師ルシウスが日本の温泉にタイムスリップする話。イタリアでも上映され大爆笑を得たとか。二国の風呂文化に注目したエンタメだ。
日本とイタリアは火山が多く昔から温泉を楽しむ文化が育まれていた。だから温泉好きの私がトスカーナの温泉を見たいと思うのは自然の成り行きでしかない。
中世の富豪メディチ家の人々やローマ教皇も湯治に訪れたバニョ・ヴィニョーニ(Bagno Vignioni)は今でも温水が湧き出ている。長さ49m、幅29mの中世の大型プールはオルチャ渓谷(Val d’Orcia、9月号)に位置し、ヨーロッパ各地からローマへ向かう巡礼者たちの旅の疲れを癒す場所でもあった。プールぎわのバールでコーヒーをすすりながら当時の人々が湯船につかっている様を想像するのも面白い。近くに有料のスパ施設や無料の露天風呂もある。車を置いて丘をハイキングしてみた。何にも遮られずにオルチャ渓谷の風景をのんびり楽しめそうな高台にもヘリコプターが発着できるテルマエがあった。またくるときにはこんなところに泊まるのもいいかも、と未来に思いを馳せる。日帰りなので南のバー二・サン・フィリポ(Bagni San Filippo)に向けて古代プールを後にした(バーニはバニョの複数形)。
オルチャ渓谷を20キロ南に走り、最後に狭い下り坂に入る。道なりに車がたくさん止まっていたので、私も駐車する。そこを逃すと引き返すのが大変そうだ。タオルを抱えた人たちについて私もタオルと水着を持って歩く。GPSで目的地についたらあとは勘で駐車し、勘で歩けば大抵はあっている。(えっ、こんなところから入るの?)という印象の何気無い入り口。道路から分岐した小径を入ると下からサンダルで上がってきた人たちとすれ違う。ということはこのままいけば下にバーニ・サン・フィリポの温泉がある。地図上に名前は出ているものの、日本と違ってトスカーナをドライブしていると必ずしも分かりやすいサインがあるわけではない。特に無料の露天風呂などは求めなければ簡単に通り過ぎてしまうだろう。
段々になった滝が硫黄の匂いを放ちながら流れている。岩は石灰でどこも真っ白。透き通った川底の落ち葉も白いアートだ。滝に沿って下の方へ歩いて行けば行くほど水温は下がる。「熱いのに浸かりたかったら一番上がいいよ」とだれかが教えてくれた。岩に腰掛けて持ってきたランチで腹ごしらえをして段々を戻る。小さな露天の岩風呂でファミリーが楽しんでいた。空くのを待って、わたしも……?で、どこで着替えるの?〝ない〟のだ。トイレも更衣室も。イタリアの〝無料〟とはこういうことなのか。入るか、入らないかの二つに一つ。決断の時がきた。周りを見渡すと、意外と平気でタオルに身を包んで着替えている。よしっ!
私好みの湯加減ではないがそれでも心地よい水温で一人のんびりつかっていると、一人入ってきた。目と目が合い、微笑みを交わした。片言の英語で話しかけてきたがドイツ人だということはすぐわかった。ドイツ語ではお手上げだ。彼の英語もかなり分かりにくいので簡単なイタリア語やフランス語で試してみたが通じない。でもせっかくイタリアでの〝ご縁〟なので何かコミュニケーションの手立てはないものかと考えに考えた末出てきたのがこれだ。出発前にドイツ語で覚えたシューベルトの子守唄。予測は当たった。私が歌い出すと彼は続きをスラスラと歌い始めたではないか。ちょっとした合唱になり二人で笑った。この感動は何に例えよう。母親と叔母さんに紹介してくれたあと手を振ってサヨナラした。彼にドイツの温泉文化を聞き出すまでにはいたらなかったが一つ覚えた。ドイツ語で日本は「ヤーパン」という。11才の好少年だった。
石原牧子
石原牧子 オンタリオ州政府機関でITマネジャーを経て独立。テレビカメラマン、映像作家、コラムライターとして活動。代表作にColonel’s Daughter(CBC Radio)、Generations(OMNITV)、The Last Chapter(TVF グランプリ・最優秀賞受賞)、写真個展『偶然と必然の間』東京、雑誌ビッツ『サンドウイッチのなかみ』。3.11震災ドキュメント“『長面』きえた故郷”は全国巡回記念DVDを2018年にリリース。PPOC正会員、日本FP協会会員。 makiko.ishihara@gmail.com