イタリア(13) シエナ(Siena)-2― パリオ(Palio)とマリナさん|紀行家 石原牧子の思い切って『旅』第38回
かつて3つの行政地区から成り立っていたシエナは16世紀になると政治・経済的に独立する17のコントラーダ(Contrada)に分離された〝ミニ国家〟と化した。自分のコントラーダに忠誠を誓う住民。コントラーダのサイズは東京23区と比較にならないほど小さい。しかし住民の意識とプライドは練馬区どころの騒ぎではない。それが如実に現れるのが年2回夏に行われるパリオ(Palio)競馬だ。サドルは使わない。手綱と鞭だけを頼りに裸馬を極限まで追い詰めて走らせる。
2015年作のドキュメンタリー映画『The Palio』を見た人なら強烈で熱気に溢れたその光景を一生忘れることはできないだろう。貝殻の形をしたカンポ広場(Il Campo)(12月号記)には急カーブの角が2ヶ所あり、抽選で選ばれた10頭の馬は猛スピードで3周するうち、騎手を落とすか自らひっくり返る馬が出てくる。住民や観光客、総勢約6万人は馬が走る狭い走路を残して小さなカンポ広場に押し寄せる。人混み嫌いの私は夏に来なくてよかった、と負け惜しみを言いつつ、話を続ける。
17のコントラーダにはそれぞれ歴史的な背景を持つ名前があり、カタツムリ、亀、波(イルカが海に浮かぶ)、塔(象が塔を乗せている)、貝殻、フクロウ、鷲、雌狼、ガチョウ、毛虫等々と風変わりで必ずしも動物とは限らない。街を歩いているとどの地区なのかすぐにわかるほどシンボルがそこかしこにみられる。
パリオは馬が主役で騎手は優秀ならどこの出身でもいい。騎手はコントラーダに属し、コントラーダを代表する騎手を指してコントラーダともいう。競技の前には馬の為に祈りを捧げる儀式を行うほどパリオは威厳あるイベントなのだ。人間のする賄賂や競技中の嫌がらせも取り締まられていない。とにかく自分のコントラーダの馬が勝てば騎手はキングとなり猫も杓子も大騒ぎをする。シエナはこのためにあると行っても過言ではない。カンポ広場のギフトショップには派手なコントラーダのスカーフが満載。
さてセミナーの2日目は前日の撮影結果の評価の後、各人に地元のシエナ人がアサインされた。つまり、その人を写真でドキュメントするプロジェクトだ。イタリア語が話せない人は通訳がつく。前もって選ばれた人たちは神父、靴屋、シェフ、芸術家、清掃員と様々。自分から被写体となる人を選べない。
私にアサインされたのは80歳のベテランボランテイア、マリナ・ブロギさん。ミゼリコルデイア(Misericordia)でボランテイア・リーダーとして働いている。英語は全く分からない。私のおぼつかないイタリア語をなんとか駆使して行くことにした。いざとなれば手真似、足真似でなんとかなる。鉄則は私たちが〝お客さん〟にならないこと、課題は被写体のストーリであってカメラを持った私たちが勝手に作り上げるストーリーではないこと、尊敬の念を持って接し、自分に忠実であること、等々。
マリナさんのお宅にお邪魔してまず気がついたのは家族写真の向かいの飾り棚に象のミニチュアがぎっしり飾ってあったことだ。象は彼女が「塔」コントラーダの住民であることを意味していた。リビングには若い頃の海外旅行の土産物が飾ってある。日本に行ったことはなく、日本人と話したのも私が初めてだ。
ミゼリコルデイアとはカトリック教会直属の慈善団体でイタリアの各都市にある。救急車の配車センター、貧困家庭への支援物資貯蔵、救助隊員用の仮眠室、カトリックの儀式用品が皆この建物にある。
彼女が働く場所は大きなビルの一角。司祭のガウン、救助隊員のユニフォーム、ベッドのシーツ等の繕いやアイロン掛け、物資寄付の受け入れなどを彼女のチームが引き受けている。みんな快く私を迎えてくれた。迷子にならないようにマリナさんの後についてビル全体をくまなく見て回る。各部の責任者にも紹介してくれた。彼女を知らない人は誰もいない。
どんな写真が彼女の人生を語りうるだろうか。まずは象のスカーフを購入して。
石原牧子
石原牧子 オンタリオ州政府機関でITマネジャーを経て独立。テレビカメラマン、映像作家、コラムライターとして活動。代表作にColonel’s Daughter(CBC Radio)、Generations(OMNITV)、The Last Chapter(TVF グランプリ・最優秀賞受賞)、写真個展『偶然と必然の間』東京、雑誌ビッツ『サンドウイッチのなかみ』。3.11震災ドキュメント“『長面』きえた故郷”は全国巡回記念DVDを2018年にリリース。PPOC正会員、日本FP協会会員。 makiko.ishihara@gmail.com