世界自然遺産-屋久島めぐり(2) 白谷雲水峡とヤクスギランド|紀行家 石原牧子の思い切って『旅』第86回
屋久島一周の始まり
旅のキックオフは空港の食券機で買った1000円のトビウオの唐揚蕎麦定食。トビウオの羽はカリカリ、身は白身で歯応えはアジに似ている。空港ビル入口横の小さな旅行案内小屋で地図をもらい昼過ぎのバスで8㎞南の安房へ直行。予約しておいたレンタカーをピックアップして安房林道に入る。初日の午後は林道沿いの屋久杉自然観で屋久杉について学習する(交通情報は1月号記)。
屋久杉自然館
靴を脱いで入る理由は、その床にあった。杉のブロックで敷き詰められ、歩くと木の温もりと同時にモゾモゾと動いでマッサージ感がある。杉は日本固有の樹木だが屋久島では標高500m以上の高地に生殖し、樹齢1000年を超えるものを屋久杉と呼ぶそうだ。それより若い木は小杉と呼ばれる。
年間の降水量が平均7500㎜(東京1500㎜)と水分に恵まれているが、花崗岩の山地は栄養に乏しいため成長が遅く500年で直径がたったの40㎝、1660年で180㎝と日本の歴史を横目にじっくりと巨木になる。木質が緻密で樹脂を含み腐りにくいので長命。
そして1966年に発見された標高1396mの高塚山の頂上近くに鎮座する推定樹齢約7200年の屋久杉、縄文時代を生き抜いたとされる島のシンボル「縄文杉」だ(実際には人が行けない山奥に縄文杉レベルの老巨木が多くあると近年報道されたが)。勢力のある人は往復約10時間登山して縄文杉に会いに行く。2005年にこの木から折れた5m(想定1000年)の大枝は屋久杉自然館に展示されている。
屋久杉は大正時代に国有林となり戦後の成長期には伐採活動が盛んだった。1993年に島の20%が世界自然遺産に登録され地域内の伐採は停止。江戸時代の伐採は主に屋根の材料を目的とし、残材は放置された。それが数百年後も腐ることなく土埋木(どまいもく)となって工芸品などの材料に使われている。
ヤクスギランドと紀元杉
安房から16㎞、標高1000mのヤクスギランドは杉の世代交代の様子が観察できる原生林だ。土壌にない栄養素を切り株や倒木からもらい、倒木更新や伐採更新した小杉や屋久杉が何百年後の現代に神秘な姿を見せている。空洞化の進んだ「仏陀杉」(樹高21m、樹齢1800年)が名木だが、伐採更新で小杉が2本伸びている「双子杉」も珍しい。江戸時代にどんな伐採の仕方をしたのだろうか。
ハイキングコースは30分から150分まで4種類ある。深い森でキャーキャーとカン高い声が聞こえてきた。はて、幼児連れの観光客か、と思いきや猿が仲間を呼んでいる鳴き声だった。原生林感満点だ。道を遮る倒木はそのままの位置でステップに変身、あるいは倒木の下を潜らせる趣向は自然と人間の思考の組み合わせで印象に残る。
ヤクスギランドを出て、車で15分の安房林道沿いに立つ「紀元杉」(樹高19m、樹齢3000年)は森に入らずとも見ることができる唯一の屋久杉。ヤクシマシャクナゲ、ナナカマドなど16種類の着生樹が寄生していて壮観。車道に枯れて地面に落ちたままの杉の一部があった。よく見ると厚さ2~3㎜の無数の薄い板の層になっている。年輪が一枚ずつ剥がれたようだ。土産物の工芸品のしおりと同じ板だ。
白谷雲水峡
水源の森百選に入る白谷雲水峡は宮之浦から車で約11㎞。全コース歩くと約5時間だが写真を撮りながら適当なところで切り上げることにして出発。ジブリ映画『もののけ姫』の舞台イメージに使われた苔と清流の森、そして「弥生杉」「二代大杉」「気根杉」等の名木がある。
足に挑戦してくるのは不揃いの岩、複雑に絡み合う強靭な根、湿気を吸い込み滑り気のある板階段、飛び石を選んで渡る森の浅瀬、最善の注意を払いながら自分の身体の柔軟性を信じて快歩(?)する。樹高26m、樹齢3000年の弥生杉は日本の巨樹巨木百選に入っている。幸いなことに、江戸時代に枝や幹の形から利用不可となり伐採を免れた希少な老木だ。せせらぎに耳を傾けながら握り飯弁当を食べた後、南の尾之間温泉にGPSを設定。
ホテルの夕食はシャンパン、赤、白ワインをおごってこの日の成果を祝い乾杯!参考までに雲水峡とヤクスギランドは日を分けたほうが無理なく楽しめる。
トビウオは骨が多く身が少ないが島独特の海産物だ。美味しい出汁、アゴだしはこの魚を乾燥して粉にしたもの。
天気に左右される屋久島巡り
屋久島観光は天候に左右されやすい。予定していたハイキングルートも雨が降れば閉鎖になる可能性がある。ホテルのスタッフから情報を常に収集し天気予報と万が一のために帰りの本土行きの船や飛行機のスケジュールを知っておくと安心だ。実際に身に起きたことだが、私たちが帰る前日に次の日の悪天候の予報が伝わり、全て欠航予定になった。早めに情報が入ったので、宮之浦港へ走ったところ、待合室は本土に戻ろうとする観光客の行列。ここでは乗れる予定がいつになるかわからず、急遽、安房港へ車を飛ばした。宮之浦港より小さく、待合室に人はほとんどいなかった。すぐに切符を買い、レンタカーを返却し1日繰り上げて鹿児島に戻ることができた。屋久島の旅は臨機応変が鉄則だ。(次号へつづく)
石原牧子
オンタリオ州政府機関でITマネジャーを経て独立。テレビカメラマン、映像作家、コラムライターとして活動。代表作にColonel’s Daughter(CBC Radio)、Generations(OMNITV)、The Last Chapter(TVF グランプリ・最優秀賞受賞)、写真個展『偶然と必然の間』東京、雑誌ビッツ『サンドウイッチのなかみ』。3.11震災ドキュメント“『長面』きえた故郷”は全国巡回記念DVDを2018年にリリース。PPOC正会員、日本FP協会会員。www.makikoishiharaphotography.com
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