世界自然遺産-屋久島めぐり(4) 西海岸、そして旅のフィナーレは?|紀行家 石原牧子の思い切って『旅』第88回
大川の滝(おおこのたき)
栗生海岸を後に、西海岸を約4㎞走ったところに屋久島最大級の滝、大川の滝がある。展望台から眺めた千尋滝(3月号記)とは違い岩を降りて滝壺までいくことができる落差88mの迫力と醍醐味のある滝。屋久島の暑い5月、滝の豪快な水飛沫が涼しく汗ばんだ体を包み込む。轟音に魂を吸い込まれると雑念も消え、旅の終盤もリセットされさらに意欲が湧いてくる。
屋久島灯台
世界遺産登録されている照葉樹林を通る細い道、西部林道を50分ほどかけてゆっくり走り、永田岬にある屋久島灯台に立ち寄る。1898年(明治30年)に設置された白亜の灯台は鹿児島海上保安部に管理され、今も沖縄・奄美航路の安全に寄与している。現在消灯は自動制御で稼働していて無人。歴史を刻んだ屋久島灯台はひっそりと海を見続けていた。
永田の「いなか浜」
いよいよ亀に出会える日が近づいてきた。遠く東シナ海を望む「いなか浜」は日本随一の亀の産卵で有名な場所だ。私たちが浜辺のホテルに陣を構えたのは成功だった。亀の足跡を砂浜に発見した時、その臨場感に感動。
ところで永田に来る前に宮之浦の「屋久島うみがめ館」に立ち寄って亀の知識を得ておくのは極めて大事。屋久島に産卵にやってくるのはアカウミガメ。「屋久島うみがめ館」には卵や卵からかえった亀の標本を手に取って見せてくれる。
昔は亀の卵を島民は食べていたらしいが今は保護されている。とは言っても天敵がいないわけではなく、卵が全てかえるわけでもない。夜8時から朝の5時まで浜は一般の人は立ち入り禁止だ。
亀の産卵
2000円払って産卵見学を申し込む。夜8時過ぎに浜近くで行われるNPOスタッフの説明会はマスト。全部で15人ほどが集まった。講義が終わると、闇の砂浜を一列になって誘導員について歩く。カメラも電灯もNG。亀が一度に何十匹も同時に浜に上がってくるわけではなく、あちらに一匹、向こうにもう一匹、という感じで現れる。どの辺に亀が上陸したかスタッフらが無線で連絡し合い、誘導員は私たちを亀のほうへ連れて行く。
亀が産卵場所を選んで両足で砂を掘り始めるとその後ろにしゃがんで観察させていただく。私たちの目は不思議と暗闇に慣れていく。器用に後ろ足をシャベルにして交互に砂を掘る母亀の産卵準備は自然のミステリーだ。砂はある程度固くないと穴はすぐに埋まってしまうがその失敗を足で感知すると、別の産卵場所を求めて移動する。
穴が深く掘れるとそこにゴルフボールぐらいの球状の卵を80~120個落とし込む。2022年の推定では「いなか浜」を中心に産み落とされた卵の数は約16万個、孵化した子亀が9万匹と聞く。2ヶ月後に自力で孵化した小さな命は海を目指して去っていく、というわけだ。見学が終わった時、時計は11時を回っていた。
悪天候の予報
もう一晩「いなか浜」に宿泊する予定だったが、悪天候のニュースに翌日の飛行機が全て欠航となってしまった。仕方なく一日繰り上げてチェックアウトし、急いで北回りで東側の安房港に向かう。レンタカーを返却し、安房港からなんとか高速船で鹿児島港に無事戻ることができた。
天候に左右される屋久島観光は日常茶飯事であり、臨機応変が鉄則と言わざるを得ない。それでも訪れる人は後を絶たない屋久島、一生に一度は行っておきたい場所ではなかろうか。
さて鹿児島本土に戻った私たちは丸一日の余裕ができたので川内(せんだい)市に足を伸ばして観光をすることに。
川内市の甲冑工房丸武
映画や大河ドラマで使われる鎧、兜の制作工房が鹿児島の川内市にある。
テレビで見たあの武田信玄、織田信長、石田三成、徳川家康等々を扮する役者らが着用した甲冑はここで製作されたものだ。画面上でなく実物を見ることができるのは面白い。
作業場にはいることはできないが窓からその様子を見ることができ、巧妙な細工やデザイン、素材に釘付けになる。悪天候で屋久島から1日切り上げた甲冑工房が思いもよらない旅のフィナーレとなった。
石原牧子
オンタリオ州政府機関でITマネジャーを経て独立。テレビカメラマン、映像作家、コラムライターとして活動。代表作にColonel’s Daughter(CBC Radio)、Generations(OMNITV)、The Last Chapter(TVF グランプリ・最優秀賞受賞)、写真個展『偶然と必然の間』東京、雑誌ビッツ『サンドウイッチのなかみ』。3.11震災ドキュメント“『長面』きえた故郷”は全国巡回記念DVDを2018年にリリース。PPOC正会員、日本FP協会会員。www.makikoishiharaphotography.com
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