【8月8 ,9,10日 日系文化会館でトロント公演決定】“ジミー・ペイジは人生そのもの” バンド「MR. JIMMY」ギタリスト ジミー桜井さん
MR. JIMMYライブコンサート情報
- 会場:小林ホール
- 主催:日系文化会館
- 協賛:Per Se Brand Experience
ジミー桜井さんの所属するバンド「MR. JIMMY(ミスター・ジミー)」のカナダ初ライブが8月8~10日に小林ホールで開催される。このライブでは1973年にマディソンスクエアガーデンで開かれたイギリスのレッド・ツェッペリンによる伝説的ライブ「The Song Remains the Same」を忠実に再現しようと、楽器や音響、衣装など細部までこだわり抜いた熱いステージを披露する。
チケット価格は、JCCCのウェブサイトを要確認。前列VIPチケットにはリハーサル観覧やジミー桜井さんとの写真撮影などの特典付き。その他、特典や宿泊割引もある。
17歳で〝衝撃〟との出会い
―ロックの世界ではトリビュートという、本家を尊重し本家になりきるバンドも多いと聞きました。その中で桜井さんは「リバイバル(再現)」活動をしてきているかと思いますが、どのような過程を経てジミー・ペイジを再現するに至ったんですか?
ギターを弾き始めてロックというものを知った17歳の時、イギリスのバンド「レッド・ツェッペリン」の音楽を耳にする機会がありました。音楽はギターだけでなく歌もベースもドラムも全てアンサンブルとして存在していますが、独特なサウンドができているというか、聞いただけでは理解できない複雑な音に驚きましたね。そこからギターを本格的に始めて1、2年経ったあたりで、改めてレッド・ツェッペリンの音楽を聞いてみると印象が全く違いました。口で歌えるようになると弾けるようになるもので、少しずつ理解ができるようになったんです。他の音楽と違って、ロックは楽譜を見て弾く音楽ではありません。自分の中の引き出しを瞬間瞬間でどう出していくか、それがレッド・ツェッペリンのロックでもありました。
―楽譜を見るのがロックではないのだとしたら、どうやって彼の音楽を研究したんですか?
その頃、ロックでも楽譜やギターのポジションを図にしたタブ譜(ギター専用の譜面)などが出回り始めたのですが、試しにその通り弾いてもジミー・ペイジの〝響き〟とは何か違う。結局自分の耳で彼が弾いている音を聞き、どうしたら同じ音が再現できるか試行錯誤しました。同じ音程の音でも、ギターのどの弦とフレットで弾くかや指の運び方によって微妙に違ってくる音のニュアンス、弾き方の強弱による感情表現など、楽譜にはならない部分こそ再現するべくひたすら研究しました。今のようにYouTubeなどで弾き方を調べられるのとは比べものにならない集中力と根気が必要でしたが、それによって表面的な音だけでない彼の表現したい芸術の深みまで理解できるようになったと思います。研究は今も続いていて、いまだに新しい発見があるのが奥深いところです。
―では、最初に目指したところはどこだったんですか?ジミー・ペイジを越えたかったのか、なりたかったのか。
真似したかっただけですね。ジミー・ペイジになりたいということだけでした。おそらく誰もがそうなんですが、ロックギターを弾き始めた人は憧れたミュージシャンになりたくてギターを弾くんですよ。例えば僕の憧れのジミー・ペイジも、10代の時にアメリカのロックンロールミュージシャンに影響を受けています。同じような髪型をして、似たような靴を履いて、ポーズも真似するんです。だから僕がギターを始めた時も、憧れのジミー・ペイジになりたい一心でしたね。彼を越えようなんてことは夢にも思わないし、まさかリバイバルバンドを結成するなんてことも思っていませんでした。ただ好きなことをやり続けてきただけです。
日本人特有のこだわりを見せたい
―「MR. JIMMY」というバンドはいつ結成したんですか?
その名前で最初に活動を始めたのは1994年です。当時は「トリビュート」という言葉もないのでコピーと言っていましたが、レッド・ツェッペリンのコピーバンドとして活動していました。米兵が多く集まる東京都福生市のクラブでよく演奏していたんですが、バンド名がないまま活動していたある日、クラブでイベントを企画した友人が表看板に「MR. JIMMY」と書いたのが始まりです。アメリカに活動拠点を移してからは、日本では別の名前で3つのユニットを続けつつ、2017年からはMR. JIMMYをアメリカ人メンバー中心のバンドとして世界的な活動に向けて正式に始動させました。それが今回カナダで演奏するバンドです。
―トロント公演を控えて今のお気持ちを教えてください。
カナダはジェイソン・ボーナム(レッド・ツェッペリンのオリジナルドラマーである故ジョン・ボーナムの息子)をリーダーとするJBLZE(Jason Bonham’s Led Zeppelin Evening)のギタリストとして何度か公演していますが、MR. JIMMYでは初公演ということで特別な思いを持っています。トロント自体は何年かぶりなのでとても楽しみにしています。僕たちの音楽ジャンルはレッド・ツェッペリンという洋楽ですが、特に今回は日本人の文化をカナダの人に紹介する機会にもなると思っています。
―日本の文化を紹介するというのはどういったところでしょうか?
欧米では、トリビュートの中でもレベルの差こそあれ単純に〝生演奏で当時の名曲を楽しむ〟という趣向が強いです。しかし僕は、ツェッペリンのステージは時期によって異なる演奏スタイルや衣装、ステージの演出まで含めた総合芸術だと思っています。今まで会場側と協力して当時を再現するという公演は、日本のEXシアター六本木でしか実現していませんでした。今回のライブは、バンドにとって日本以外で開く初めての大きなリバイバルショーです。1973年のレッド・ツェッペリンのライブステージを、衣装や音響、ステージセットまで再現して、観客の皆さんが1973年にタイムスリップできるようなショーにします。日本人が持つ特有の洞察力やこだわりから作り出す僕たちのショーを、カナダの方にも見ていただける良い機会だと思います。僕のしている「リバイバル」というジャンルがもっとスタンダードになっていくきっかけにもなればいいなという期待も寄せていますし、そんな特別なショーを日加文化協会さんの協力でできるということにすごく意味があると感じます。
憧れのスターに会った夜
―リバイバルというスタイルは非常に興味深いです。2012年には憧れのジミー・ペイジ本人がライブを見に来たこともあるそうですね。
そうなんです。その時は本当に現実かわかりませんでしたね。ステージで演奏する彼を僕が客席から見るということはありましたが、僕のショーを見にドアを開けて入ってきたジミー・ペイジというのは、どうしても実感がありませんでした。50人がキャパの会場で、本人が席に座ってこちらを見ているんです。これはやるしかないということで、当時のベストを尽くして演奏しました。いつか僕の活動を応援してくれたファンの皆さんと一緒にジミー・ペイジを囲んで、彼の素晴らしい音楽をライブハウスで楽しみたいという夢がありました。その夢が叶った日でもあったので、嬉しかったですよ。
―憧れの人が見に来てくれたなんて、大興奮だったと思います。ジミー・ペイジとはどんなお話をしましたか?
約2時間のライブを最初から最後まで集中して熱心に見てくれている様子を、ステージからでも感じました。特に他のトリビュートバンドがやらない20分に及ぶ大曲のライブバージョンが終わった時は、誰よりも早く立ち上がって拍手をしてくれました。ショーが終わってから「ぜひ話したい!」と彼の方から来てくださって、「今日やったのは70年代のあの演奏だろう?分かったよ!どうやってあんな難しい音を全部とったんだ?」と興奮した様子で話してくれました。
―リバイバル活動についても、本人からお墨付きをもらったとか?
どんなにリスペクトしていても、「モノマネされた」と不快になる人もいます。だから本人にずっと聞きたかったんです、「これからも活動を続けていいですか?」と。そうしたら「Absolutely! (もちろん!)」とハグしてくれました。僕の演奏を聞いて、彼自身が〝自分の芸術を理解してもらえた〟と感じてくださったのだと思います。
脱サラして追いかけた夢
―以前はサラリーマンだったと伺いました。そこから音楽だけで生きていくと決めたきっかけは何だったのですか?
楽器の輸入代理店で働いて、仕事で音楽の現場を見るにつけ「自分のやりたいことはレッド・ツェッペリンを演奏することであって、プロミュージシャンになることではない」と思っていました。そして会社の休みを利用してツェッペリンを演奏する道を選んだわけですが、ライブを続けるうちに観客が満杯になり、ライブの様子がYouTubeなどを通して海外にも知られるようになりました。そんな時アメリカで人気のトリビュートバンドが来日し、MR. JIMMYのショーを観に来て感動してくれたんです。翌日の彼らのショーにゲスト出演することにもなり、その後「アメリカに来てバンドに加入しないか」とオファーがきて、お試しにアメリカで何本か2000人規模のショーに出演もしました。自分のパフォーマンスに対する観客の反応は予想以上にすごいもので、手応えは感じたものの、20年勤めた会社を辞めて50歳近い年齢でアメリカに行くなんてイメージできませんでしたね。その時背中を押してくれたのは、妻の純子でした。「音楽やるのにアメリカに行きたくても行けない人がほとんど。なのに、何迷ってんの?」と。
―カッコいいですね。
ミュージシャンはみんな、ロックの本場、アメリカに行きたいわけですよね。僕の場合はビザも取ってもらえるし、行ってすぐに演奏できるステージもあるわけです。しかも大好きなレッド・ツェッペリン、ジミー・ペイジを弾きに来いって言われているんだから、「いってらっしゃい」って背中を押されました。そうしてアメリカに行くという大きな挑戦をすることになりました。言葉もできないし食事もちょっと合わない。住むところの問題もありましたが、周りの助けで問題がクリアされていきました。
―言葉の問題はどうしたんですか?
50歳になると、単語1つインプットするのにものすごく時間がかかります(笑)。ただ音楽に国境はないというのはその通りで、レッド・ツェッペリンの音楽をしていたら言葉はいらないんですよ。バンドメンバーと練習中に音の指摘をするくらいなら僕の単純な英語力でも大丈夫でした。少しずつ話せるようにもなりましたし、仲間たちが僕の英語力に合わせた英語で話してくれるというのもあって、なんとかやってこられています。
―今もアメリカを拠点に活動されていますか?
メインはアメリカです。最初に誘ってくれたトリビュートバンド「レッド・ツェパゲイン」を音楽的方向性の違いで2017年に脱退し、自分のバンドMR. JIMMYをアメリカで始動させましたが、同じ年にJBLZEにも誘われてメンバーとして世界ツアーに参加しています。それらの活動がない期間に日本に帰国して3ユニットで活動していますが、全てツェッペリンの音楽です。
したいと願った音楽を続ける幸せ
―桜井さんにとって、ジミー・ペイジという人はどんな存在ですか?
月並みな言い方だと「ギターゴッド」とかになるのかもしれませんが、それじゃありきたりすぎるというか。やっぱり僕にとっては人生そのものな気がしますね。この人の音楽がなかったら今頃僕の人生はどうなっていたんだろうって思います。生業としてもそうですし、ジミー・ペイジの音楽をする中でたくさんの友人にも出会いました。もしジミー・ペイジに出会わなければ、おそらくアメリカに行くことなんてなかったでしょうね。そもそも故郷の新潟から東京に出てくることもなかったと思います。「師匠」とか「ギターゴッド」とも違う、僕の人生そのものです。
―ジミー桜井さんの音楽スタイルはどんなものだとご自身では感じていますか?
それも「ジミー・ペイジです」と言うしかないですね。まさにジミー・ペイジスタイルです。ギタリストと言ってしまうのがはばかられるくらい、他のことはできないし不器用なんです。レッド・ツェッペリンしか弾けないし、それしか楽しくないです(笑)
―本当に大好きなんですね。
そうですね。僕がとてもラッキーなのは、自分が初めて見て聞いて感じて、したいと願った音楽をずっとしてこられていることです。とてもレアなことだと思います。単にジミー・ペイジになりたかった、それだけです。
―最後に読者へメッセージをお願いします。
皆さんの中にも、僕がレッド・ツェッペリンやジミー・ペイジを好きなように何かが大好きだという方がいらっしゃると思います。僕の場合は、とにかくその好きだということだけでひたすら集中し妥協なく続けていたら、夢に見たような世界へと近づいていました。今はロック音楽もクラシックの名曲のように次世代へ受け継がれるものだということを自分のステージで証明していくことがミッションだと思っています。バンドメンバーも今回のショーには特別な思いを持って参加するので、ぜひ一緒にツェッペリンの素晴らしい音楽を楽しんでいただけたら嬉しいです。
ジミー桜井
1963年新潟県生まれ。17歳でレッド・ツェッペリンの音楽に出会い、ジミー・ペイジのギターに衝撃を受ける。サラリーマンとして働くかたわら、1994年にレッド・ツェッペリンの音楽を演奏するバンド「MR. JIMMY」を結成。2012年にカリフォルニアのツェッペリン・トリビュートバンド「Led Zepagain」に参加し、2014年には50歳にして脱サラして単身渡米後に正式加入。その後脱退するも、2017年に米国でMR. JIMMYを再結成。現在は「Jason Bonham’s Led Zeppelin Evening」にも所属し、世界中でライブ活動を続ける。敬愛するジミー・ペイジを「リバイバル」スタイルで継承するギタリスト。