【新連載】「金継ぎ師」は存在しなかった|金継ぎ開拓民のお茶休憩
実は、歴史上「金継ぎ師」なんて存在しなかった。というと、驚かれるでしょうか。
金継ぎ自体の歴史は長く、茶道が発展した500年前まで遡ることができます。壊れた器の接着、欠け埋め、金装飾など全工程において漆を使うのですが、つい最近まで、金継ぎは漆の専門家が副業として行っていたものでした。
漆の専門家には、主に蒔絵師、塗師、文化財修復士などが含まれます。彼らは直接お茶の先生やお懐石の亭主と繋がりを持ち、壊れた器が出れば個人的に受注して金継ぎを施していました。彼らには本業がありますので、金継ぎ業を宣伝する必要がありません。そのため、金継ぎを専業とする「金継ぎ師」という言葉は一般的ではなく、私含めてそのように自称する人が多く現れ始めたのも、ここ10年ほどのことのように思います。こうした背景もあり、元々金継ぎ師という職業も金継ぎ師同士の横の繋がりもほぼなく、組合や協会、更に言えば技法や質の確固たる基準なども存在せずに令和まで来てしまいました。
また、ほとんどの方にとっても金継ぎは耳馴染みのない言葉だったのではないでしょうか?従来金継ぎはアートというより修復技法としての色が濃く、思い入れのある器を再び使用できるように内々で直していたものなので、それらが金継ぎ作品として世に発表されることはありませんでした。金継ぎが有名になったのは、日本国内外どちらもコロナ禍が切っ掛けでした。日本では在宅でできる趣味として取り上げられ、アートのようなお洒落なお直し方法として人気になりました。国外ではレジリエンスや傷跡の受容という精神性の象徴として注目され、東京オリンピックの放送でも、カナダやスペイン、メキシコにおいて「東日本大震災からの復興の象徴」「コロナ禍からの復興への希望」と重ね合わせて紹介されたものでした(この時、CBCスポーツが放映した開会式の金継ぎ説明の監修をさせて頂きました)。
当コラムでは、このように古くて新しい、社会的に位置づけが曖昧な金継ぎを、確かな日本の伝統の文脈で捉え、海外に在っても魂を変えず、その土地々々に合わせた浸透のさせ方をしてゆく試みについて綴っていこうと思います。
現代アートの祭典Nuit Blancheにおいて、移民の人々が母国から持ってきた器の文化と物語に焦点を当てた世界初の金継ぎインスタレーション展『Kintsugi: In Praise of Cultural Resilience』を開きます。ぜひお立ち寄り下さい。
10月5日19時~翌7時
於Cecil Community Centre
詳細:https://introjapan.ca/nuitblanche2024/