伝統の道を拓く⑪《 金継ぎの価値を左右する品質 Ⅲ 》|金継ぎ開拓民のお茶休憩

品質と金銭的価値の関係は、日本と北米において大きく異なるように思います。
日本では、自分が納得できない水準のものに対して簡単にお金を頂くことはできません。そこには、自分の仕事に対する誇りと矜持があります。自分では満足のいかない作品にどれだけ高い値段を提示されても、自分が決めた値段で売る。もしくは、売らない。それは、品質に対する強い基準と信念を、自分の内側に持っていることに他なりません。
市場でいくらの値段がつくかにかかわらず、自分が良いと思う水準まで手をかける。作品とどこまで向き合ったかという自分自身の基準が、まず仕事の中心にあります。
一方、北米のアート・クラフト市場では、価値判断の中心が市場側に置かれる傾向があります。自分では出来に納得していなくても、誰かが欲しいと言えば売る。希少性が見出され、高い値段を出す人がいれば、その値段で売る。それもひとつの市場の考え方ではあります。
しかし、前回までにお話ししたように、その市場の目が必ずしも洗練されているわけではありません。物そのものの完成度や細部の処理よりも、雰囲気、自信、ストーリー、ディスプレイ、作家の態度や話し方といったものが価値判断を大きく左右します。
そうした市場に作品の価値判断を委ねれば、自分では失敗だと思ったものでも、誰かが欲しいと言えば商品になります。本来であれば、売らずにやり直すことや、自分の未熟さを認めてさらに技術を磨くことにつながるはずだった失敗まで、市場が「価値のあるもの」として肯定してくれるのです。そうなれば、自分の仕事を厳しく見つめ、より高い水準を追求する必要性も薄れていきます。
その結果、技術を磨き、自分の仕事と極限まで向き合う人よりも、価値があるように見せ、語り、売ることに長けた人へお金と注目が集まり、そこで得た資金は、さらに洗練された展示や写真、広告、ブランディングへと使われ、実際の品質とは別のところで作られた価値をさらに大きくしていきます。
こうしたアート・クラフト市場の原理が働いていることを知っておく必要があります。品質を守るということは、単に良い仕事をすることだけではなく、周囲で何がどのように値付けされ、どのように売れていくのかという市場の構造まで理解しておくことでもあるからです。





